いつものように、近くの海辺へと向かう。すっきりと澄んだ青い空は伸びあがるように高く広がり、春めいた陽気が温めた砂浜の上を、ときおり強い風が駆け抜けていった。眠っている小さな娘を抱きかかえて隣を歩く妻の写真を撮る。いつものように。
すでに多くの人たちが砂浜に集まってきていた。ウエットスーツを着たサーファーたち、家族連れ、子供たち。人々に囲まれるようにして、小さな献花台がひとつ置かれ、その上で白い花束が風に揺れていた。どこからか声がして、その時が来たことを知らせる。目を閉じる。海風の鳴る音だけが通り過ぎていく。
この1年の間に、この目で見てきた風景が、出会った人たちの顔が次から次へと立ち現れてくる。それは、自分自身でも予想もしていなかったくらいに。
記憶が確かに今自分の中で動き続けていることを実感する。そのためにこの1年があったはずだ。記憶は私を見ている。記憶は私を試している。
今日ほど、多くの人が海の向こうに思いをはせた日はなかったかもしれない。この瞬間、日本各地の海辺に立って目を閉じている私たちは確かに「何か」を共有している。お互いの姿が見えなくても。たとえ彼の地から離れていても。
いっせいに海へと漕ぎ出すウインドサーファーたち。帆を潮風でいっぱいにはらませた小さな舟がいくつも飛ぶように進んでいく。波しぶきが舞いあがる。静止した時間が再び動き出す。時間を進めるその舵をきるのは、ここにいる私たちひとりひとりなのだ。
(Zushi Beach, Kanagawa. 2012.03.01.)
*産経新聞(2012年4月4日掲載)