松蔭神社前にあるギャラリーカフェで、写真展示が始まった。明日から海外へ出かける という慌しい中で、深夜額装した写真を運び入れ、僕らは2時間ほどかけて、それらを 壁に飾っていった。写真はこの4月に行った沖縄・八重山諸島の写真。そのうち古いロ ーライフレックスで撮影した6×6のスクエアなイメージを今回選んだ。スペースの関係 上、何枚も選んだ写真のうち15点という限られた点数になってしまったが、それでもそ こにはあの時真夏を迎える前の萌え立つ沖縄の風景が映し出されているはずだ。準備を 終え、深夜クルマを自宅へと走らせた。ひっそりとした闇の中に浮かんだ写真から、沖 縄の風が静かに流れ出し、島の海と空とがつながる境で淡い蒼が光りだす。僕はドライ ブしながらそんなことを想像した。
2002.10.26 (Sat) 2002.10.26.
"風にのる(KADHINKI NUIBUN)"
2002.10.26.(SAT) at DELI DELI (SYOUIN JINJYA, SETAGAYA)
2002.10.18 (Fri)
引越しして1週間、仕事からの帰り道、これまではJR田町の駅を渋谷方面の電車に乗って帰っていたのが、今は逆の東京方面に乗って帰っている。改札をくぐって右と左、山手線でいれば外回りと内回り、たったそれだけのことで面白いことに見る風景や乗り合わせる人、混雑の時間帯、電車の中の会話、などなどが見事に違っていることに気付かされる。たいした話ではない。「ささやかな発見」だ。 でも、そんな「ささやかな発見」が意外と考える種になったりする。
例えば。「渋谷こそ若者の今が分かる街」なんて発想で、企業やメディアはこぞって「渋谷」を舞台に情報合戦を繰り広げている。でもそんなのがあまりにも誰かの狭い,ある意味勝手な想像力で成り立っている話だ、ということを僕はこの「ささやかな発見」を通して改めて気付かされたりする。
小さな東京の一角の話ですら、こんな調子だ。これまで右に曲がっていたのをずっと左に曲がって進んだとする。ほんの1Kmも行かないのに僕の狭い想像力にはない新鮮な世界が広がっていることになるはずだ。(やや大袈裟な言い方なのだけど。)
つまり、自分とは異なる生き方をする人がすぐ近くにもその先にもいるという当たり前のことを、意外と日々の中で想像していないかもしれないな、なんてことを改めて思うわけだ。更に言えば、「ささやかな発見」を通して、「想像力を常に持ちながら行かないとヤバイな」ってことを僕は再確認しているわけだ。 まあそれもこれも、典型的に想像力の欠如したあのブッシュ大統領のことがこのところ腹立たしく思っているからかもしれない。 「いいじゃないか、いろんな人がいろんな幸せのカタチを求めて生きているってことで。」
そんなことを、日付も変ろうとする時間、サラリーマンで込み合う電車に揺られながら僕は思っていたりするわけだ。
2002.10.10 (Thu)
先月実施したワークショップが終わって後、しばらくしてBunkamuraザ・ミュージアムでの広報担当の方から「今後もあのような企画を続けていきたいので相談にのって頂けないか」とご連絡を頂いた。
さっそく僕と、僕と友人の中根さんとでもっと詳しいお話をお伺いするためにBunkamuraに出掛けていった。 担当者の方が考えていらっしゃることは「子供向けのワークショップ」ということに限定されず、また単に来場者を増やすための施策ということでもなく、より多くの人がアートを日常の中で触れていくための機会を提供できないか、ということであった。 僕自身、そのような考えは理解することが出来るし、もっとそうなればいいなといつも思っていた。 自分が言い出して実現したささやかな機会が、また新しい機会になっている。そのことが嬉しく思えた。僕はアートや教育の専門家ではないので、あくまでも一個人の視点から「こうなったらいいのにな」ということやそのためのアイデアを考えていくことが出来れば、と思う。
2002.10.06 (Sun) 引越し
目黒のマンションから新居への引越しを済ませ、今日もずっと荷物の整理に追われていた。家族と一緒に過す誕生日は久しぶりだった。単に偶然なのだが、どういうわけかここ数年間この日は海外で迎えていた。去年も確かロンドンにいた気がするし、一昨年はパリの郊外でバルタバス率いる「ジンガロ座」を見ていた。今日はどこへも行かずに荷物の整理に終始していただけの何事もない日だった。でもそんな何もない一日を大切な人と過す当たり前の時間がとても嬉しかった。