2007.11.16 (Fri)  『STAYER』 by 中根大輔&鷲尾和彦

写真展、詳細が決まりました。
------------------------------------------------------
『STAYER』 by 中根大輔&鷲尾和彦
233 - 5th anniversary exhibition -

会期:2007年12月15日(土)~12月29日(土) (予定)
会場:世田谷233
    〒154-0023 東京都世田谷区若林1-11-10
    TEL&FAX:03-5430-8539
開館時間:12:00~20:00
定休日:毎週火曜日、第1・3水曜日
 

世田谷線沿いにある小さなボックスギャラリー世田谷233の5周年記念として、世田谷233主催・中根大輔とのコラボレーションによる新作写真展『STAYER』を開催します。関連イベントとして中根&鷲尾によるトークイベント、DJイベント等も実施する予定です。詳しくは世田谷233(中根)まで。

※トークイベント(中根大輔×鷲尾和彦): 2007年12月22日(土)19時~21時

------------------------------------------------------

世田谷233は世田谷線沿い若林駅近くにある小さなボックスギャラリー。(ボックスギャラリーとは、28~37センチ四方の「ボックス」を月単位でレンタルするというスタイルのレンタルギャラリー。詳しくはウェブをご参照。) そして僕の親友、中根大輔が運営している。
今から5年前、金融機関でサマリーマンをしていた彼が突然会社を辞め、「これからは個人の時代なんや」と宣言しこのギャラリーを始めたとき、正直僕は驚くと同時に、その一見無鉄砲な行動にハラハラしたものだった。いくら世田谷とはいえ、大きな町の目抜き通りにあるわけでもなし(むしろ辺鄙なところといった方がいい)、ギャラリーと入っても古びたアパートの1階に白い箱を無数に積み上げただけ。ギャラリストの経験があるわけでもなし、ましてや金があるわけでもなし。(きっと経営コンサルタントなんかにいわせれば、ありえない判断、となるのだろう。)
彼にあったのは、その明確なヴィジョン、つまり「個人の表現の時代になる」ということと、徹底してローカルに根ざした活動を行うということだけだった。そしてそこに自分の人生を賭けるという意思だけだった。果たして、そんな他人の心配なんぞ余計なお世話といわんばかりに、ボックスは常に一杯に埋まり続け、そして彼の存在はコミュニティにとって欠かせない存在になっている。もちろんヴィジョンだけではボックスは埋まらない。かといって別に姑息なマーケティングなど一切していない。そのために彼がしてきたことといえば、一人の人間としてこの場所に来る人たちとどのような関わりをつくってきたのかということに尽きる。これまた、経営コンサルタントが持ち出す必勝ルールなど全く当てはまらない。(しかし、もちろんそれが人を集めるための本質ではあるのだが。)
今、再び僕は彼の姿を目の前にして多いに驚く。何故なら、僕の目の前に居るこの男は、自身の明確なヴィジョンをカタチにしてみせた男なのだから。どんな有名なロックミュージシャンよりもPUNKだし、どんなイコンよりもリアルなのだ。5年前、世田谷、目黒に住んでいた僕は今では逗子という田舎町に引越し、この場所を訪れる機会もそう頻繁というわけにはいかなくなったのだが、それでも世田谷には、いやトウキョウには奴がいる、と心のどこかで常にあの小さなボックスギャラリーと中根の存在は刺さリ続けている。そしてその存在が僕を正気で居させてくれるのだ。
祝、五周年。本当に凄いと思う。おめでとう!
そんな世田谷233の五周年記念に二人で写真展が出来ることはこの上なく幸福だと思う。



2007.11.07 (Wed)  最良の精神

佐野元春さんの著書『ビートニクス 〜コヨーテ、荒地を往く』の中に登場するビート詩人達のインタビューを読み返すと、それは驚くほど環境活動家セヴァン・スズキの言葉に類似していることに気づく。おそらくセヴァン本人はビートに関しては特に何か読んだりしたことは無いのではないか、と僕は思う。しかし結果的に「流れ」はひとつの大河へと流れ着く。
「環境」(nature, environment)という言葉は、例えばネイティブインディアンの語彙には存在しない。「環境」と名付け対象化=抽象化した瞬間に、私たちと私たちを取り巻く世界とは切り離されてしまう。そして断絶が起きた瞬間にそこには所有の概念が生まれ、奪うもの/奪われるものという二極化が起きる。私たちに必要なのはPossession(所有)ではなくRelation(繋がり)という概念、思考の枠組み(マインドセット)をそう根本から書き換えることなのだ。
「環境を大切にしましょう」ではなく様々な問題を引き起こす思考の枠組み(マインドセット)そのものを変革しなければ、結局のところ兆候として地表に現れている現象は何一つ解決できない。そしてそのためには「変革に参加する」のではなく、「変革そのものにあなたがなる(BE THE CHANGE)」しかない。破壊と再生。破壊し再生するのは政治家でも、他の誰でもなく、自分自身の営みなのだというマインドセットに書き換えること。ここに環境問題の最大の解決策があるのだということが環境活動家としてセヴァンが伝えることの核心だ。では具体策は何か。それは結局「自分自身ができること」を考えることでしかない。小さな自分でもいい。一人一人がまず自分にできることを考え実行してみること。「変革そのものにあなたがなる(BE THE CHANGE)」こと。例の「不都合な真実」のエンドロールに、結局一人ひとりが出来ることとして日常の一見ささやかな行為が列挙されていたことに、当初セヴァン自身も驚いたらしい。「もっと革新的なアイデアってあるはず」と。しかし彼女はその後じっくりこのことについて考えた結果、そうした日常のささやかな行為こそが大きな変革に繋がっていくということに強く共感し納得したと言っていた。
セヴァンからそんな言葉を聞くたびに、彼女のことを「環境活動家」と呼ぶだけではどこか足りない気がしてしまう。敢えて言えば「革命家」ではないかと思う。
そしてそれはビートの精神と全くもって合致している。いや、ビートか否かということは問題ではなく、結局のところ破滅的な世界に加速度的に突入してしまっている私たち自身がよくよく考えるとそのマインドセットにしか解決策が無いことに気づく。現に、同じ言葉はかのアインシュタインもガンジーも語っている。これまでに地球上に存在した様々な智慧がそこに辿り着いていく。それは「偶然」でも「影響」でも「継承」でもないという点で「真実」なのではないかと僕は思う。
「あまりにも大きな危機、そして自分ひとりの行為などでは何も変わらないのではないかという不安。その板ばさみで孤独を感じることは私にもあるのよ。」とも語ってくれた。そんな言葉を聴くと、92年リオデジャネイロで開催された地球環境サミットでのあの「伝説のスピーチ」と、その神話によってある種神格化された彼女の存在からは予想外のように受け取る人もいるかもしれない。しかしそんな風に「自分」に素直に向き合える姿勢にこそ、彼女の強さがあるのだと思う。

Severn Cullis-Suzuki_20071031.jpg
(Severn Cullis-Suzuki_Lake Toya, 20071031)



2007.11.06 (Tue)  ソウルミュージック

日曜日、辛い出来事があったので、仕事帰りに閉店前の新宿のタワーレコードに寄ってCDを数枚衝動買いした。TOM WAITS『Closing Time』と、VAN MORRISON『Moondance』はレコードでずっと聴いてきたのだけど、どうしても聴きたくなってCDで買い直した。

「ラジオの音を上げてあの歌を聴かせて欲しい/スイッチを入れて/そうすれば、何が間違っているのか分かるはず/赤と白に塗られたキャラバン/つまり、今夜はこの場所で眠るってこと/裸足のジプシー達が篝火を囲んで唄い奏でてくれる/彼女が僕がどんな存在なのかを教えてくれるんだ」(VAN MORRISON 『CARAVAN』)

ヴァン・モリソンのソウル。ザ・バンドの『LAST WALTZ』ライブでこの曲を彼が唄いステージを去る後ろ姿に向かってロビー・ロバートソンは「Van The Man !」と叫んだことを思い出す。ヴァン・モリソンの身をよじるようなソウル。彼の歌を聴きながらキャラバンに便乗したいとつくづく思い焦がれる。

「時はすぐに過ぎ去ってしまう/だから俺はあのルート55号を突っ走ったんだ/スピードを落としたらとても神聖な気がした/ほんとうに生きているって感じがしたんだ」(TOM WAITS『OL '55』)

トム・ウェイツのファーストアルバム。このアルバムの1曲めで吟遊詩人はこんな詩を唄いだす。3行目が特に好きだ。過ぎ去る時に対して、自分自身のペースを獲得すること。自分自身になる瞬間が最も神聖な時。今夜はどうしてもこの2枚のアルバムを聴きたくなった。

そしてもう1枚、リリースされたばかりのR.E.M.のライブアルバム『R.E.M LIVE』を手に入れた。2枚のCDと1枚のDVD。「マイケル・スタイプのように唄うことが出来たら」という歌詞を唄ったのは確か80年代後半から90年代初頭にかけて活動した英国のロックバンド、The Wonder Stuffだった。もしもその人の声が無ければ、バンドは曲を奏でることも出来ないし、ただただ普通のどこにでもあるポップソングに落ちてしまう。声が全てであり、その声を発するその人の「存在」が全てである。あえて乱暴に言えばロックは決して「音を楽しむ」という意味での音楽ではない。それはジャズやクラシックに任せておけばいい。ロックミュージックとは「存在」そのものの表明。それは言葉であり、その「存在」を感じるヴァイブレーション(共鳴)。やっぱりそこにこそ価値がある表現フォームなのだと思う。だから、それ故に人の心を撃つことが出来る。そしてそんなロックミュージックの虜であり続けたいと僕は思う。R.E.M.はこうしたロックそのものの存在をもっとも象徴しているのだということを、この新しい(彼らにとって正式な初の)ライブアルバムを聴いて(観て)痛感する。
ライブ映像の中で、目の周りに帯状に黒い墨を塗り付けてマイケル・スタイプは唄う。「EVERYBODY HURTS」で手を優しく差し上げながら唄う「HOLD ON」。歌詞が記された紙が宙に舞い上がる光景の美しさ。詩が宙を舞うのだからこんなに美しい光景はない。「集めたヴァイナルで死はもはや決定的。俺は世界の終末でDJしてやる」(「I'm Gonna DJ」)。デビュー当時と一歩たりとも変わらぬパンクスピリット。

今晩は彼らの歌がどうしても必要だった。



2007.11.05 (Mon)  主題とメッセージの関係

10月25日のDiaryを読んで頂いた方から以下のようなメールを頂きました。

「今回のブログを読んでいて、どうしても質問したいことがあるのですが、 そうやって(本能的に)選んでいく主題というものを通じて、 やっぱりアーティスト(作家)は、何かを伝えたいのでしょうか?  僕にはどうもその主題とメッセージの関係がよくわからなくなるんです。 例えば、伝えたいことはないけれど、主題として捉えてみたいことがある、 というところから出発して、最終的に何か(どこか)に たどり着くものなんでしょうか? 」

「伝えたいことはないけれど、主題として捉えてみたいことがある、 というところから出発して、最終的に何か(どこか)に たどり着くものなんでしょうか? 」ということですが、これは少々噛み砕く必要がある問いのように思います。伝えたいことはないのに主題として捉えてみたいことがあるという状態。これは正確に言えば、「まだきちんと自分の中で整理し、伝えたいこととしてまとまってはいない状態なのだけど、何故か心惹かれていることがある。あるいは何故だか無意識にも気になってしまうことを見つけてしまった」というような状態、つまり非常に直感的に(つまり自分の中では消化できていないのだけど)、「これは面白いかも」とテーマを見つけた状態ではないでしょうか。つまり「主題として捉えてみたいことがある」という時点で既にどこかで「伝えたいこと」があるのではないかということに自分自身の中で気づいてしまったのだと思います。そうでなければ(本当に伝えたいことがないのだとすると)、主題として捉えてみたいことなど見つからないのではないでしょうか。
要は具体的に言葉にできるような状態(=言葉にできるということは論理的に説明できるという状態)ではないところから出発して、最終的な「表現」(=かたち)に辿り着くことがあるのかという問いかと思います。
その意味においては、答えは「YES」です。殆どそういうことばかりではないかと思います。
他の人の場合は勿論わからないのだけど、個人的にはそういうことばかりです。例えば僕がこの数年続けている「極東ホテル」というシリーズ。これもそんな風にして始めました。初めて「極東ホテル」と名付けた簡易宿を訪れたとき、そのとき僕が直感的に感じたのは「ここで何かが始まる。写真が撮れる」という直感でした。その後試行錯誤しながら(具体的にはフィルムを試し、カメラとレンズをいくつか取り替えながら、一番しっくりくる手法を時間をかけて選びました)、少しずつ自分の中で無意識的に直感的に気になったことを探しました。最初の頃は何故自分がこんなにもこの場所で写真を撮ることに没頭してくのか自分でも正確にはつかめていませんでした。しかしそれは少しずつ時間をかけて何度もこの場所を訪れ、撮影した写真を選びながら手探りで見つかっていきました。僕の場合ほとんどそんな感じです。
「伝えたいことを決めてから主題を決め、表現までおとす」ということもきっとあると思います。しかし必ずしもそういう場合ばかりとは限らないと思います。自分でもよくわからない、何故か気になる、そしてとりあえず手を動かしてみる、写真を撮ってみる、筆を動かしてみる。そして何処に辿り着くかわからないまま、思うままに進んでみる。そんな風にして最終的に表現に辿り着く場合もあると思います。そして非情にも辿り着かない場合もあり得ます(もしもそんな場合になったときは、それが何故だったのか、自分自身で真剣に反芻してみます。)
これは個人的な考えなのですが、僕自身はそんな風に「よくわかってないけれど初めてみる」ということが大切なような気がしています。どこかで頭でっかちに考えて伝えたいことを決めてしまってから表現に取りかかる場合は、最初に考えたコンセプトを最終的に超えられることが出来ないように思います。あくまでも自分の小さな頭の中の発想を超えることが出来ない、そんな風に思うんです。それよりも「自分自身、よくわからないのだけど、とにかく初めてみる」という場合の方が、思いもよらない結末に僕自身を連れて行ってくれる。そしてその方がちっぽけな自分の存在に気づき、自分の矮小な考えを塗り替えてくれ、そして最終的に僕自身に大きくしてくれるように思います。僕自身はそんな風でありたいと思っています。いつでも自由に発想できるように、自分の小さな枠を超えられるようにありたいと思います。写真もそうだし、他のアートフォームも全て結局は自分自身を塗り替えて行くためのものではないか、と思います。必ずしもそんな風にいかないことも確かにあります。そんなときは自分の小さな考えに閉じている自分を未熟だなと思います。そして自分の愚かさに情けなく思いながら、次はきっと、と志だけは高く掲げたりします。そんなことの繰り返しです。(その意味では、毎回失敗ばかりです)

質問への答えになっているでしょうか。いずれにしても、メッセージありがとうございます。心より感謝します。



2007.11.03 (Sat)  風庵

沖縄・東風平にある沖縄そば屋『風庵』が写真をまとめて10点も購入してくれた。本当に嬉しい。心からご主人に感謝します。『風庵』のご主人である金城さんは僕が初めて沖縄に訪れた解きから本当に大切な友人として親しくさせて頂いている。かって『風庵』が営業危機に陥った時、金城さんは様々な金融機関を回って融資を募ったが、殆どがその申し出を受け入れなかった。あまりにも零細で先行きが見えないということがその原因だった。しかしある金融機関に、かって僕が『風庵』を取材した記事(このウェブサイトの「dialogue」を参照頂きたい)をプリントアウトして持っていったところ、その内容を読んだ担当者が「本当にこの記事のような思いなのか」と彼に問い、「もしそうならば融資しましょう」ということになった。そのことで金城さんは僕に対して恩に感じてくれている。しかし金城さん自身の言葉であり、思いであり、そしてそのことに心動かされた金融機関の担当者の方の職業人としての誠意であることに尽きることは言うまでもない。僕はただ単に彼の言葉を記述したにすぎない。しかしもしもこの記事が金城さんにとって役に立ったのならば、これほど嬉しいことはない。これまでに写真を撮り、そして言葉を綴ったことで様々な貴重な機会を得てきたと思う。でもこの話はその中でも最も僕にとって掛け替えのない出来事だった。この時ほど写真を撮って良かったと思ったことはない。
もしもこのウェブサイトを読んでいる人がいて、もしも沖縄に行く機会があれば、ぜひ『風庵』を訪ねてください。何度も沖縄に行って、いろいろなお店で沖縄そばを食してきたけれど、本当にここは一番美味い。知人であることを差し引き客観的に見ても、やっぱり一番美味い。『風庵』を訪ねた際に、小さな鷲尾和彦写真展をご覧頂ければ、本当にこの上なく幸せです。どうぞよろしく。

沖縄そばと山野草 『風庵』
住所 沖縄県島尻郡東風平町友寄108 
TEL 098-998-5832
営業時間 午前11時半~午後6時
定休日 火曜日
http://www.fu-anokinawa.com/



2007.11.02 (Fri)  札幌、洞爺湖、二風谷

文化人類学者の辻信一さん、環境活動家のセヴァン・スズキさん、ウインドファームの中村隆市さん達と札幌、洞爺湖、二風谷へ。洞爺湖では湖畔でビデオディレクションと、スチール撮影。撮影したビデオを眺めながら、彼女の言葉を繰り返し聴いている。この数日の出来事はあまり慌てて言葉にしない方が良いと思う。身体に染み込んでいくように、何度も何度も彼らと交わした言葉やその時の空気を味わっていたい。まるで「新しい朝」のようだった。いつかこの数日のことを振り返るとそんな風に思い起すのだろう。


(Toyako, 2007.10.31.)


(Toyako, 2007.10.31.)


(Nibutani, 2007.10.31.)



Archives:
2012.07 
2011.07 
2010.07 
2009.07 
2008.07 
2007.07 
2006.07 
2005.07 
2004.07 
2002.12 
2001.12 
2012.06 
2011.06 
2010.06 
2009.06 
2008.06 
2007.06 
2006.06 
2005.06 
2004.06 
2002.11 
2001.11 
2012.05 
2011.05 
2010.05 
2009.05 
2008.05 
2007.05 
2006.05 
2005.05 
2004.05 
2002.10 
2001.10 
2012.04 
2011.04 
2010.04 
2009.04 
2008.04 
2007.04 
2006.04 
2005.04 
2004.04 
2002.09 
2001.09 
2012.03 
2011.03 
2010.03 
2009.03 
2008.03 
2007.03 
2006.03 
2005.03 
2004.03 
2002.08 
2001.08 
2012.02 
2011.02 
2010.02 
2009.02 
2008.02 
2007.02 
2006.02 
2005.02 
2004.02 
2002.07 
1999.12 
2012.01 
2011.01 
2010.01 
2009.01 
2008.01 
2007.01 
2006.01 
2005.01 
2003.08 
2002.06 
1999.11 
2011.12 
2010.12 
2009.12 
2008.12 
2007.12 
2006.12 
2005.12 
2004.12 
2003.06 
2002.05 
1999.10 
2011.11 
2010.11 
2009.11 
2008.11 
2007.11 
2006.11 
2005.11 
2004.11 
2003.05 
2002.04 
1999.08 
2011.10 
2010.10 
2009.10 
2008.10 
2007.10 
2006.10 
2005.10 
2004.10 
2003.03 
2002.03 
1999.06 
2011.09 
2010.09 
2009.09 
2008.09 
2007.09 
2006.09 
2005.09 
2004.09 
2003.02 
2002.02 
1999.01 
2011.08 
2010.08 
2009.08 
2008.08 
2007.08 
2006.08 
2005.08 
2004.08 
2003.01 
2002.01