2005.07.26 (Tue)  颱風の夜

颱風が近づいてきたので、夕方早々に自宅に戻る。
海沿いは荒れるのだ。
せっかくいつもより相当早く戻ってきたので、夕飯を作ることにした。

パスタを2品。

①アスパラガスとツナのトマトソース・スパゲッティ。


②シンプル・明太子・スパゲッティ。


BGMはハナレグミ。『音タイム』、『日々のあわ』。そして『さらら』。
どれも最高にいい曲ばかり。
『さらら』に収録されたスライ&ファミリーストーンの「EVERYDAY PEOPLE」のカヴァーは、夕飯に特に良ろし。



2005.07.25 (Mon)  ニュース

ロンドンのセント・マーチン・カレッジでアートを学んでいるDanと会ったのは金曜日の深夜。
僕はその日は仕事が終るのが遅く、ホテルに着いたのは深夜近くだった。
朝早くから出掛ける旅行者達が狭い部屋で薄手の布団に潜り込むのは比較的夜早い時間で、夜中1時過ぎに薄暗い廊下を歩いていたのは僕とDanの2人くらいだった。

唯一まだ消灯されていない洗面所で僕は彼のポートレートを撮り、ホテルのスタッフのBobbyに「静かにね!」と叱られるまで、ずっと話しこんだ。
洗面所の蛍光灯で光っている彼の金色の髪と青い瞳は魅力的だった。

「今日トウキョーの町を歩いていたら、ファッション誌のエディターに声を掛けられたんだ。
明日、写真を撮らせて欲しいって。『○○○』って知ってる?」

それは、良く似た内容で僕には違いがよく分からないけれど、見覚えのある若者ファッション誌(それがファッション誌といえばいいのか、カタログ誌なのかも正直僕にはよく分からないのだけど)の名前だった。

「双子の弟はロンドンで時々ファッションモデルをやっている。奴はかなりフェミニンな雰囲気だしね。
僕も時々声を掛けられるけれど、あまりそういうことには興味はないんだ。連中は僕の写真を撮って稼いでいる。だからちゃんとお金は貰う。
絵を描くにも、画材やらなにやらで、いろいろと掛かるしね。 『○○○』のエディターからも、ちゃんと頂くよ。でもKAZはいいよ、アーティスト同士はいつでもどんな時でもフリーなんだ。」

狭い洗面所でひそひそ声でそんな取り留めもない話を続けたことがお互い妙に可笑しく、
まるで修学旅行にでも来ている中学生のようだといって笑っては、またBobbyに見つかるんじゃないかと、ハッとして声を潜めあった。
そんな風に僕らは長い立ち話を終え、翌朝ロビーで会う約束をしてその夜は隣どうしのそれぞれの3畳程度の狭い部屋に戻った。

翌朝朝早くDanはロビーのインターネットに噛り付いていた。

「今朝、ロンドンの地下鉄で警官がテロの容疑者に発砲したらしいんだ。」

昨夜の半分冗談交じりの長話をしている時とは明らかに違う表情の彼が寝起きの僕にそう教えてくれた。
(翌週の月曜日の新聞で、それがとんでもない過ちであったことを僕らは知ることになる。)
僕はその後、睡眠不足と今朝のニュースで青い眼を赤く充血させたDanと、朝刊を挟んで昨夜とはまた違う話を始めた。

同じホテルに泊まっているといっても、お互いが挨拶程度しか言葉を交わすことがないというのが殆どの場合だ。僕とDanにしても、それに僅か「毛の生えた」程度でしかない。
しかし、そんな僅かな時間の中で、時々お互いの感情が交差したり、相手が放つ感情の閃光のようなものを感じ取る瞬間というのが確かにある。
費やした時間ではなく、そんな瞬間を感じ取った時、その相手の存在にそっと触れたような気がする。

それが確かなものかどうかは分からない。
しかし、今朝のニュースがその時、僕にとってもごく身近なニュースとして届いてきた、その感覚は確かなものだった。

他の多くの旅行者達と同様に、僕とDanはその朝のロビー以来、もう暫くは会うことはないだろう。もしかして二度と会わないのかもしれない。
しかし、時々あの朝撮影した写真を僕は見返し、遠くの町に彼が暮らしていることを思い浮べるだろう。
あの朝のニュースをきっかけに2人で交わした言葉、感覚が蘇ってくるだろう。
その時、遠くの国は、遠くの国ではないのだ。


(photo by mobile phone)




2005.07.18 (Mon)  夏祭り

三ノ輪で撮影。
その後、池袋の立教大学まで池澤夏樹さんの講演を聴きに出掛ける。
タイトルは『思想の道具としての日本語』。
講演終了後、池澤さんと再会したいなと思いつつ、すぐに池袋発の湘南新宿ライナーに飛び乗り逗子まで戻る。
今日は逗子・亀ヶ岡八幡宮の夏祭りの日なのだ。

シャワーを浴びてすぐに、今年初めて、浴衣の袖を通し八幡宮まで歩いていく。
子供達がいつも以上に元気にはしゃいでいる。
子供達にとっては堪らない一日だ。

幼少の頃、母方の祖母の実家近くの夏祭りに行くことが毎年楽しみだった。
お宮さんまで続く川沿いの畦道に提燈が延々と吊るされていた風景を一番よく覚えている。
提燈に微かに照らし出された暗い夜道を歩くだけでなんだかとっても気分が高揚した。

賑やかな駅前を離れて、そのまま逗子海岸までゆっくり夜の散歩をした。
もう海水浴客も帰った頃、数軒を除いて海の家もひっそりとしていた。
半月の下、海岸に向かう道を歩きながら、僕はあの頃の、夏祭りのことを思い出していた。



2005.07.14 (Thu)  有限ということ

横浜美術館のルーブル展へ行った友達からメールを貰った。

彼女は、その中でも特にアングルの『泉』にとても惹かれたと伝えてくれた。
結局ルーブル展を見逃してしまった僕は、この作品をまだ直に見たことがなく、画家がその作品に構想から完成まで30年以上もかけて書き上げたものだということも知らなかった。

「30年もかけて1作品を仕上げる。そんなことが出来るほどの情熱って本当に凄い話ですね。でも生涯かけて例え1作品でも残せるのなら最高に幸せだと思います。僕もそんな長い目で、写真を付き合っていきたいと思っています。」

感動したホットな気持ちを、真空パックにして伝えてくれたその嬉しいメールに、僕はこんな風に書いて返信した。
そして、この言葉はまさにちょうど今僕が写真について感じていることだった。

ケイタイやデジタルカメラが普及していくということは、より「イメージ」を撮ることが身軽で簡単
で安価に出来るということを意味している。
コンパクトカメラが登場した時と比べ物にならないほど、僕らはイメージを乱獲し、そしてイメージの交換、流通に勤しんでいる。
そのこと自体をとやかく言うつもりは全くないが、こうした状況により、写真を撮る者は、ますます「何を撮るのか」「何故撮るのか」ということに自覚的、確信的であるということを突きつけられている気がする。

これまでのカメラの延長というよりも、むしろビデオカメラの延長のようなデジタルカメラは、シャッターチャンスを曖昧にする。「仕留める」というよりも、むしろ流れ続ける時間をちょっとフリーズさせるような感じ。そうやってフリーズされたイメージは永遠に死ぬことなく生き続けるような錯覚を与える。
そしてそれは今の僕らの生き方そのものを比喩しているような気すらする。

僕らはもしかして、決して老いることなどなく、死ぬことなどなく、永遠に生き続ける、という風に、無意識に思いながら暮らしているのではないだろうか。
僕も時々テーマに合わせてデジタルカメラを使うことがあるのだが、デジタルカメラで撮影するたびに、何故だかいつもそんなことを考えてしまうのだ。

逆に36枚獲れば1本のフィルムが終ってしまう、そんな古いカメラを使うとき、どこかで、いつか尽きること、終わりが必ず来ることを無意識に感じながら、その適度な緊張感に包まれ撮影している自分に気付く。

もう二度とこの瞬間には巡り合えないかもしれない。
そんな気分に薄っすら包み込む中で僕は撮影しているのだ。
そして、そんな気分は決して悪いもんじゃなく、むしろ心地よさを僕は感じている。

正確にはデジタルカメラであっても、「メモリ」が尽きれば(「メモリ」というのもなんだかよく考えると意味深な言葉だけど)、終ってしまう。
でも、やはりそこでは切実さはない。

銀塩フィルムとデジタルのカメラそのものを比較してどうこう言っているわけではない。
またそのどちらかに過剰な思い入れがあるというのでもない。
しかし、いざ対象に向かう時、その場へ足を運ぼうとする時、僕は「終わり」を前提とした古いカメラについ手を伸ばしてしまうのだ。
それはきっと、道具(ツール)ではなく、姿勢(スタンス)の問題なのだと思う。


その日の夜、自宅のキッチンで広げた朝日新聞夕刊に石垣島出身の唄者、大島保克さんの記事が出ていた。
その中で大島さんがこんな言葉を述べていた。

「オリジナル曲を何曲つくるかには意味がない。一生をかけて何曲残せるか...。」

アングルが1作に30年を費やし描き続けた時、そして大島さんが1曲1曲唄うとき、彼らの心の中にはどんな人生がイメージされているのだろうか。
それは無限に作りつづけることではなく、むしろ有限であるが故の美しさを丁寧に紡ぎだし、繋いでいくような人生ではないだろうか。
僕もそんな生き方に憧れる。

毎週、東京の端っこにある安ホテルで、その時限りの出会いを繰り返しながら写真を撮る時、僕はいつもそんなことを感じている。


(from "Passengers in the far east" 2005)



2005.07.12 (Tue)  極東ホテル(1) ~プレゼント~


(photo by mobilephone)

ホテルのロビーに置かれた宿帳を読むと、英語、フランス語、ドイツ語、韓国語、中国語、そこには様々な国の言語で綴られたメッセージが記されていた。
中には、覚えたての片言の日本語で記されたものも沢山ある。
日本の漫画やアニメーションを模した画風でイラストを記しているものが多いのも、秋葉原に比較的近いこのバックパッカー宿ならでは、なのかもしれない。

何人もの部屋を見せてもらったが、多くの旅行者の部屋には秋葉原で買い集めたアニメのフィギアがずらっと並んでいることが多々あった。
特に、何故だかスウェーデンからの旅行者にはそんな趣味を持つ人の割合が本当に多かった。
そして、その魅力を僕に語ってくれる彼らの表情は、共通してとても穏やかだった。

「彼らはもう長い間このホテルに泊まっているけど、全然トラブルを起こさないし、凄くいい連中なんですよね。」
彼らの写真をロビーで撮っている僕に、ホテルの日本人スタッフのA君がそう話しかけた。

写真撮影の翌日、僕は写真を撮らせてもらったスウェーデン人の一人からブルーのネクタイをプレゼントされた。

「え? いいの?」っていうと、とても背が高い彼は僕を見下ろすような姿勢で、少し頬を赤らめ、黙ってその青いネクタイを手渡してくれた。
手にとって見ると、ネクタイの柄は「ハリーポッター」だった。

そのことに気付いて彼を見上げると、ますます頬を緩めた彼が僕に満面の笑みを投げかけていた。



2005.07.04 (Mon)  夕暮れ

夕暮れになって、俄かに雲が去って青空になった。夕方6時半過ぎ。
あわてて、買ったばかりのスクーターの乗って一色海岸まで走る。
なんとか夕陽が沈むのに間に合った。
金曜日にオープンしたばかりの海の家は既に混雑していた。




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