2004.11.30 (Tue)  ウェディング・パーティー

先週金曜日から風邪をこじらせてしまい、土曜日にあった友人の結婚式を欠席してしまった。
浅草の花やしきを貸切という大胆なパーティーを企画したのは友人の花婿K君と花嫁Mさん。
新郎新婦の両親がパンダの乗り物で登場し、乗り物乗り放題で、屋台の料理が食べ放題。
Bump Of Chikenの生ライブ付き、という華々しい企画の噂も飛び交っていたこのパーティーを見逃したのは残念、いやそんなまさにHappyな機会にご招待頂いた二人には本当に申し訳ないことをしてしまった。
また改めてお祝いをお伝えしたいと思っています。
K君、Mさん、オメデトウ!



2004.11.27 (Sat)  時計

長年愛用してきたG-SHOCKが壊れてしまった。正確に言うと壊れたのではなく、朽ちてしまった。時計としての機能は3度目の電池交換を経た今でも全く問題ないのだが、本体を保護する強化ゴムのフレームが劣化しぼろぼろと崩れてしまった。それは先月の沖縄・黒島で泳いだ後のことだった。
沖縄やハワイの海でシュノーケリングする時も腕にしたままだったのだが、やはりそれがたたったのだろう。海水に何時間も浸されたあと、そのままあの刺すような陽光の下にさらされると、例えタフさが売りのG-SHOCKでも堪らない。
この腕時計はまだ大学生の頃に渋谷で5000円ほどで買ったものだった。バックライトがないことを除くと、とても気に入っていて、もう10年以上も使っていた腕時計だった。おととい以前G-SHOCKのプロモーションを仕事として行っていた知人にその話をして写真を見せると、「ここまで使ったG-SHOCKって見たことがないですよ」といって驚いていた。
もともと腕時計をしなくても平気なほうなのだが、それでもないと困る。といって何でもいいわけでもない。とにかくタフで、コンパスとディアルタイムとバックライトとシュノーケリング程度なら対応できる防水機能が付いていて、あまり過剰にごつくなくすっきりした印象のデザインのもの。それでいてリーズナブルなもの。
なかなか都合よく、こんな我侭を叶えてくれるものはないんだけど。




2004.11.23 (Tue)  写真ギャラリー

今週の日曜日に四谷3丁目にあるDays Photo Galleryが閉館した。そのことを知ったのはそのつい数日前に、この場所を引き継ぐことになった東京写真文化館の篠原さんからのメールだった。篠原さんはRoonee247photography(ルーニィ・247フォトグラフィー)という新しいギャラリーをDays Photo Galleryの跡地を引き継ぐような形でにオープンさせる。そして、東京写真文化館は今年一杯を持ってクローズとなる。

土曜日、Days Photo Galleryを訪ねた。モノクロームの異国の風景写真で埋められたギャラリーはなんだかちょっとだけ寂しげに見えた。ギャラリーを運営していた浦井さんの姿が見えなかったので、後日Emailを出しておくことにした。

その後、Days Photo Galleryの向かいにあるギャラリー・ニエプスで中藤君とその仲間達のスライドショーを見たが、どれもが寂しげな写真に見えてしまった。その中で中藤君が撮る(その物腰の柔らかさとは対照的に)弾ける様に路上を駆けるイメージはここでも一貫していて嬉しかった。ただ、他のイメージに関しては、突き抜けようとする意思とそこに蹲ろうとする蒼さが混在していて、僕の背中を強く押すイメージではなかった。それがテーマだったのかもしれないし、たまたま僕の気分の問題であったのかもしれない。スライドが移り変わるスピードと、BGMとして使われている音楽のミスマッチも気になった。コミュニケーションは本当に難しい。しかし何かを掴み取ろうと格闘する彼ら写真家達のスライドショーを見ながら感じたことは、そのまま僕自身の心の底に自ら投げ込む小石のようなものなのだ。
 その後いつものように四谷3丁目から新宿御苑前、新宿3丁目といくつかの写真ギャラリーを回り、JR新宿駅方面へと歩いてみた。でも直ぐに土曜日の混雑ぶりに嫌気がさし、直ぐに電車に乗り込んだ。
 秋が深まり、寒さが増してきた。新しいことが始まる予感、それを掴もうとする格闘、そして何も変わらず垂れ流しのままの日々が目の前で混在している。もうすぐ12月だ。



2004.11.22 (Mon)  広島へ

仕事で広島へ。朝10時前の全日空で羽田を発ち、夜10時に戻ってきた。
日帰りというのはただでさえ疲れるが、広島での打ち合わせ内容が酷く、やたらと徒労感を感じた。
物事の本質を見極める目を持たずとも、それを探ろうという姿勢すら忘れ、都合や事情や保身だけで延々と話し続ける人々との時間は本当に疲れるし、いくら長い時間を過ごせども、そんな時間はただただ曖昧で中途半端で結論の方向には全く進まない。都合や事情や保身で満足する人が居ることは知ってはいるが、改めてそんな時間は自分の人生の中の中から極力排除したいと思った。
ということで、夜遅くの羽田空港に戻ってきた時は、本当にもうほっとしてしまった。
なんだかとっても気が滅入った1日だったのだ。



2004.11.20 (Sat)  Creative UK

昨日は、APAのプレゼンテーションを六本木のSuperDeluxで観てきた。The MILLAardman Animationsをはじめとする英国の映像制作会社の作品をまとめて見る事が出来た。その後、The MILLに勤める唯一の日本人でもある飯沼さんをはじめ、RSA Films(映画監督リドリースコットの制作会社)のJohn、Aardmanのスタッフ等と一緒に深夜まで一緒に過ごした。Aardman Animationsといえば「ウォレスとグルミット」のアニメーションで有名だが、僕が最初に好きになったミュージッククリップは、彼らが手掛けたPeter Gabrielのミュージックビデオだった。そんな時間は話をしながら彼らと過ごす時間はとっても楽しかった。年明けにはLondonに行く予定なので、今度はLondonで会おうという約束として深夜遅くに別れた。来年早々には彼らのスタジオを訪ねてみたいと思う。



2004.11.16 (Tue)  2004年のベストアルバム

木枯らしが吹いた後は確かに冬に近づきつつあるようで、昼間陽が出ていても温かさはそれほど感じられなくなった。逆に、差し込む光は鋭さを増す。

ブッシュが再選を果し、アラファトが死に、昨日はパウエルが辞任した。そんなニュースがもはや遠くで鳴る太鼓の音ではないということも分かっている。しかし早朝乗り込んだ地下鉄には、身近にある不安を掻き立てるコピーが溢れていて、その週刊誌や広告の宣伝文句は僕らの意識が自由に世界の果てまで飛んでいこうとすることを妨げる。

「東海大地震は絶対にやって来る」「子のない男女200人の告白」「パーフェクトスリム」「債務の解決」「借りたいその日にキャッシュワン」「魔性の白肌」「セクハラ教授の開き直りと懺悔」「大儲け五原則」「米を狙う新型ミサイル」「19歳で1億円」「小泉、今度も自衛隊を見殺し」...。

身体はたった一つだというのに、いくつもの現実やいくつもの世界に僕らが属し、そのひとつひとつに晒され続けているように感じる。その姿はあまりにもか弱く、そしてそのか弱さを過剰に意識させることが今やメディアや広告の使命のようになっている。
それらは死角から撃ってくるかのようだ。そんな得体の知れない暴力に純真な心はその純真さ故に破れてしまう。自衛のために意識を閉ざす人。無関心を徹底する人。手のひらの小さな携帯電話の画面の中を見つめ続ける人。そんな小さな世界に篭もることすら賢明にさえ思えてくる時がある。

かっては自分や家族、そしてごく身近なコミュニティだけが世界だった。情報化によって、人はいくつもの世界を同時に生きていくようになってしまった。東西南北、様々な方向から風は吹き続けている。吹き曝しの荒涼とした風景の中では、手のひらの冷たい石でさえ自分と同じ生命体ではないかと思えてくるのではないだろうか。ぎゅっと手で握り締めれば微かに体温で温まる冷たい石を握り締めている人々。夜遅く、混雑した電車の中で僕が見かける風景はそんな情景を想起させる。

REMの新しいアルバムを繰り返し聴いている。
聴く度にこの静かなアルバムが途轍もないタフネスを持った作品であるということを痛感する。音楽は水であり、空気であり、光なのだと、つくづく思う。
呼吸を止めずに、荒涼な風景の中をゆっくりと歩き続けるように進んでいくこと。このアルバムはそれを唄っている。マイケル・スタイプは誰よりも強靭なその声でそのことだけを唄っている。聴く度に勇気づけられる。本当に素晴らしいアルバムだと思う。今年2004年のベスト。


『Around The Sun』 by REM

I want the sun to shine on me
I want the truth to set me free
I wish the followers would lead
with a voice so strong it could knock me to my knees

Hold on world 'cause you don't know what's coming
Hold on world 'cause I'm not jumping off
Hold onto this boy a little longer
Take another trip around the sun

If I jumped into the ocean to believe
If I climbed a mountain would I have to reach?
Do I even dare to speak?--to dream?--believe?
Give me a voice so strong
I can question what I have seen

Hold on world 'cause you don't know what's coming
Hold on world 'cause I'm not jumping off
Hold onto this boy a little longer
Take another trip around the sun

Around the sun
Around the sun
Around the sun
Let my dreams set me free.
Believe. believe.



2004.11.14 (Sun)  木枯らし

今年最初の木枯らしが吹いた。
木枯らしも1号、2号と数えるということは知らなかった。なんだか不思議な感じもする。
さてそんな木枯らし1号が吹いた後の週末はすっかり冷え込んだそうだが、またしても原稿書きのためにずっと自宅に閉じこもりっきりであった。
10月生まれの僕は秋が深まり少し肌寒いくらいの季節も好きなので、
本当はちょっと寒い寒いと言いながらも外を歩きたいところなのだが。
次の週末はそんな風に過ごしてみたいとは思うのだが...。



2004.11.11 (Thu)  池澤夏樹 『カイマナヒラの家』

昔から本を読むときは、一人の作家の作品をまとめて読み耽るということが多かった。
きっかけは様々ななのだが、ちょっとした偶然で出会った一冊から始まり、同じ作家の作品を気分に任せて次第に読んでいく。書かれた順番というわけでもなく、まあ書店で見つけて気になったものから一冊ずつ手にとっていく。そんな風だから、特にその作家自身の人物像を体系的に捉えていたり、履歴的に詳しいというわけでもない。
ある意味、とても気ままな付き合い方だなと思う。でも、それが心地よい。
 
少し前から池澤夏樹さんの作品ばかりを読み耽っている。9月のフランス、ドイツ行きには『夏の朝の成層圏』を携えた。『カイマナヒラの家』を波照間島で読み、石垣島の離島桟橋前の書店で『すばらしき新世界』を買い、昨日『エデンを遠く離れて』を読み終えた後、今朝から『マシアス・ギリの失脚』を読み出した。
池澤さんとの出会いは、昔友人からプレゼントされた一冊の詩集がきっかけだった。それは読んだ時からとても素晴らしい詩集だと思ったのだが、特に彼の作品をいろいろと読み漁ろうとは何故か思わなかった。それがこのところ池澤さんの作品が無性に読んでみたいと感じる。ちょうどそんなタイミングなのだろう。心地よい波に身を任せるように、池澤さんの作品を読み続けている。

「多くの本を読むよりも、一冊の本を深く読む人生でありたい。」
小学生の時に憧れていたロックミュージシャンが自伝でそんな風に語っているのを覚えている。僕の場合でいえば、多くの人と付き合うよりも、一人の人と存在と深く付き合うような人生、ということかもしれない。そんな風に思える人と出会えるというのはとても幸運だなと思う。




2004.11.07 (Sun)  夢

急遽決まった仕事のために、大阪に向かった。
夕方には取材仕事を終え、その足で兵庫の実家に立ち寄った。
癌のために入院している伯父を見舞うためだった。
伯父が入院しているという連絡が届いたのは先週の水曜日、既にかなり症状が悪化してるらしく、もうそんなに長くは持ちこたえられないだろうと、親族たちの間では話ししていた。
急な出張だったが、そのこともあって他の打ち合わせ等の予定をキャンセルし大阪に向かった。

翌土曜日の早朝、市民病院を訪ねた時、伯父はモルヒネを少し多めに与えられているらしく、人口呼吸器を付けられたまま眠り続けていた。息が辛いのか、それとも刺し込む痛みに耐え切れないのか、頬を紅潮させながら、10秒に一回くらいは唾を飲み込むように大きく喉と首を動かし続けていた。目は閉じたまま、何度も何度もその動きを繰り返していたその姿と表情を見て、伯父がベッドを取り囲む僕や家族達には手が届かないところで、何者かと格闘している真っ只中に居るのだと思った。病院ではベッドの上で苦しんでいる伯父の姿を見つめても、どうしてもそれ以前の彼が倒れる前の表情を思い起こすことが出来ずにいた。僕が幼い頃に記憶していた伯父の印象と、今目の前にいる彼の姿との乖離があまりに大きかったためなのだろうか。僕はその記憶を僅かな時間で上手く遡ることが出来ることが出来なかった。

その日は実家には泊まらず、そのまま新幹線に乗って東京まで戻ってきた。
そして自宅に戻ってきた僕はその夜伯父の夢を見た。

夢の中では何故か上手く思い起こせなかったいつも明るく快活だった伯父の顔がありありと浮かび上がってきた。古い長屋の玄関先で訪ねてった僕を伯父はいつものように微笑んで出迎えてくれた。伯父の家族が長屋暮らしだったのは僕が小学生の頃だったから、僕は夢の中では小学生に戻っていたようだ。玄関先から幼い僕を伯父は少し見下ろすような格好で「そうかそうか、よく来たな」と目を細めて笑っていた。

明け方何度も電話が鳴る音がしたように思えた。僕のかばんの中の携帯も何度かなった。
音には気付いていたけど僕がベッドから起き上がる前にその電話は鳴り止んでしまった。
何度かかかってきた後、電話の音は鳴り止んだ。実家の母が伯父の死を告げるために僕に電話をかけてきているのだと、僕は夢うつつの中でそう思った。昼前に起きると、ちょうど実家の母親から電話がかかってきた。やはり伯父が先ほど亡くなったという知らせだった。「明け方に電話してきた?」というと、母親は「今はじめて電話してんのよ」といった。
たしかに鞄の中の僕の携帯電話は電源が切れたままだった。

僕達が見舞いに行ったその土曜の深夜、伯父は亡くなった。いつも付き添っている身内のものがちょっと離れた僅かな間のことで、彼はそっと独りで逝ってしまったそうだ。とても穏やかな表情だったと母が教えてくれた。

最後に僕が見たのは、夢の中で目を細めながら僕に微笑みかける伯父の姿だった。
病室のベッドの上の姿ではなく、そんな暖かな伯父の顔を僕ははっきりと呼び起こすことが出来た。そしてそのことで、僕の中には悲しみや喪失感ではなく、何か暖かな記憶が残り続けていくような気がする。とても伯父さんらしいな。
伯父の穏やかな笑顔を感じながら僕はそう思った。



2004.11.07 (Sun)  DJクラッシュ@LiquidRoomEbisu

昨夜はDJ Krushのライブを観にリキッドルームEbishまで出掛けた。『寂(Jaku)』という新しいアルバムがようやく日本でもリリースされ、そのリリース・パーティーだった。先日Krushさんにインタヴューした時から僕は本当にこの日を心待ちにしていたのだ。
ライブ自体は今回のアルバムの共演者を一人ずつステージに招き共演するというスタイルで進んでいった。森田柊山さん(尺八奏者)、木乃下真市さん(津軽三味線奏者)、島健さん(ピアノ奏者)、Mr.Lif(ラッパー)。和楽器の奏者達とKrushさんの共演はスリリングで本当に素晴らしかった。
中でも和太鼓奏者の内藤哲郎さんとの共演は僕にとって昨夜のハイライトとなった。
演奏は勿論、それ以上に内藤さんが太鼓を打ち鳴らす姿に僕は心底驚いてしまった。

上半身を軽く反らした姿勢を維持し全くぶれることなく低い重心移動だけで並べられた複数の太鼓の前を流れるように動いていく。指先、手首、上腕にまさに最適な力が注がれ、時には一本のしなる幹になり、時にはそれぞれが絶妙のバランスを取りながら揺れる木々の枝のように揺れ、様々なリズムや色とりどりの音色が放たれる。
その音色、リズム(というか音でありそれはリズムでもある)は全てが計算されたように正確だが、同時に全てが超一流のジャズミュージシャンのような素晴らしいアドリブ奏法によって繰り出される。ささやきのような繊細な音から、猛り狂う雷の音まで、澄んだ水が溢れ出るように太鼓のひとつひとつから迸る。
その全てが今までに観たことがないほど美しかった。僕はその美しさに圧倒されてしまった。
時間にして僅か数十分、内藤さんとKrushさんのセッションを僕は食い入る様に観ていた。

音そのものとそれを奏でる奏者の姿の美を通して、日本という国が持つ魅力を僕は改めて感じた。民族としての誇りを持ちえるとしたら、それはイデオロギーや論理や思想や言葉ではなく、美しさからでしかありえないのではないか。そんな気がした。
内藤さんもKrushさんも本当に美しい人たちだった。



2004.11.04 (Thu)  熊を放つ

取材で、三田にあるBritishBeatという英国車専門のバイクショップに行く。
先日後輩にYAMAHA SR400を譲ってしまったから、今バイクなしの生活になってしまっているのだけど、やはりこういう場所に来るとどうしてもバイクが欲しくなってしまうのだった。
トライアンフ、ノートンなどの英国車が並ぶ店内で見初めたのがこの1台。
60年代半ばのBSA製。非力な250CC だけどこういうバイクに乗って散歩をすると本当に楽しいだろうなと思う。

そもそも僕がバイクに興味を持ったのは大学生の頃なのだが、きっかけはその頃読んだジョン・アーヴィングの『熊を放つ』という小説だった。主人公の青年2人が古い(たぶん1920年頃の)ロイヤル・エンフィールド製のバイクに跨って動物園を襲撃し動物達を檻から放ってしまうというシーンがあった。その物語にとてもワクワクしたし、それとともに旧車のバイクへの憧れも募っていった。以来何度も何度も繰り返してこの小説を読み、その度にバイク熱が盛り上がってしまうのだ。

他にも50年代のロッカーズのスタイル、映画でいえばコッポラ監督の『ランブルフィッシュ』のミッキー・ロークのバイク、ガス・ヴァン・サント監督『マイ・プライヴェート・アイダホ』のリバーフェニックスとキアヌリーブス、最近『モーターサイクル・ダイアリーズ』という題名で映画化されているエルネスト・チェ・ゲバラの青年期の自伝『モーターサイクル南米旅行日記』などなど、沢山の魅力的なバイクの話があるけれど、やっぱり僕にとっての一番はこの『熊を放つ』かもしれない。
と、この日記を書きつつ、またこの小説が読みたくなってしまった。




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