2007.10.30 (Tue)  ロック暗黒大陸ニッポン

宿題に答える前に。ちょっと別の話。
今出ている雑誌『snoozer』の特集が「ロック暗黒大陸ニッポン」という、またどうしちゃったのという唐突な企画なのだが、これがなかなか面白かった。もちろんこういうランキングは選者の好みに偏っていて当然だしそれで良い。
1位がRCサクセションの『楽しい夕に』、2位がローザルクセンブルグの『ローザルクセンブルグII』、3位がフィッシュマンズ『空中キャンプ』、4位が村八分『ライブ』(ついでに14位が山口富士夫『ひまつぶし』、15位が裸のラリーズ『'77ライブ』)。 他には、佐野元春さんのアルバムだと16位の『VISITORS』が最も上位。ちなみに個人的にはちゃんとdipの『WAITING FOR LIGHT』がランキングに入っていたのでこの企画への納得度も高まった。(dipのこのアルバムは恵比寿MILKでDJをやっている時に恐らく一番良くかけたアルバムだと思う。たぶんそんなDJ、誓ってもいいけど他には居ないと思う。川村カオリ嬢もこのアルバムがかかるたびに身を乗り出して「ナニナニ?ダレダレ?」といつも尋ねてきた。) 
どの程度の人がなんのこっちゃ?と思うのか、あるいはむふむふと納得するのか、全く僕にはわからないのだが、個人的には実は納得度は高い。よく見ると、2000年以降の作品はトップ30位までにようやく、くるりと七尾旅人の最新作が入っているだけだ。これはとても重要なポイントではないか、と思う。ロックミュージックに関しては相当にうるさい友人のKajiken君あたりにこの辺の感想と解説を望む。
 



2007.10.29 (Mon)  

先日のエントリーに対して、以下のようなメッセージが届きました。

「今回のブログを読んでいて、どうしても質問したいことがあるのですが、 そうやって(本能的に)選んでいく主題というものを通じて、 やっぱりアーティスト(作家)は、何かを伝えたいのでしょうか?  僕にはどうもその主題とメッセージの関係がよくわからなくなるんです。 例えば、伝えたいことはないけれど、主題として捉えてみたいことがある、 というところから出発して、最終的に何か(どこか)に たどり着くものなんでしょうか? 」

レス、少々お待ちください。
取り急ぎ、メッセージに感謝。



2007.10.25 (Thu)  出会い

漫画家の井上雄彦さんにお会いした。すぐに自分の近くに存在しているのに気付かないで通り過ぎてしまうもうひとつの世界を照らし出すこと、そしてその世界が持つ美しさや醜さを、あるいは幸福と悲しみととを描き出すこと、そしてその結果として今自分が生きている世界そのものに揺さぶりをかけること。そんな仕事をアートと呼ぶのなら、僕は井上さんの作品は全くもってその域に存在しているということを痛感する。そして「世界」を描く最も困難で最も有効で最も重要な主題が「人」であるということに真正面から取り組んでいるいうことにも。そのことは漫画というフォームであろうと、写真、あるいは絵画であろうとも全く同様だと思う。要するに「人」の存在に人は世界を見つけ、自分を見つけ、物語を見つけ、心揺さぶられ、共感するのだ。「人」が最大の主題なのだ。名画と呼ばれ長い歴史の中で人々の記憶と心に刻み付けられてきた作品は全てのこのルールの上に成立している。(あの「モナリザ」、死ぬ直前のゴッホの自画像も、メイプルソープの写真もそうではないか。)
そんなことを井上さんご本人と話した。夜自宅に帰ってきて、出版社の方に見ていただくために準備している写真集構成の見本づくりを行う。どこまで人を捉えられているだろうか。夜中遅くまで何度もコピー紙の束に格闘する。「今回の出会いはとても大きなものになると感じています」と夜中のPCに井上さんからのメールが届いた。

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2007.10.14 (Sun)  

『家庭画報インターナショナル』のジャパニーズ/アニメーション特集でSTUDIO4℃の田中栄子さんと森本晃司さんを撮影させて頂いた。田中さんは以前スタジオジブリにいらっしゃった頃に『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』のプロデューサーを務められた方ということでお名前は存じ上げてたし、森本さんはKEN ISHIIのPV『EXTRA』や『memories』などの作品を通じてやはり存じ上げていたので、お二人にお会いするのがとても楽しみだった。ポートレート撮影の前に、編集者とアニメ評論家の方によるインタヴューがあったのだが、実際その話はとても刺激的だった。

「絵そのものを描き込むことで誰も見たことがない世界を描き出す、そんな作品が今は少なくなった。大手が手がける作品も今や企画やマーケティングが先行する作品ばかりだし彼らの力も低下している。その意味では真っ当に描き込んでいく作品、物語をしっかり持った作品を作ること自体が一番実はパンクなのではないだろうか。」(森本さん)

「例えば当時『トトロ』は宮崎さんがずっと作りたくて暖め続けていた企画だったけれど、どの映画会社に持ち込んでも全て却下されていたんです。それで宮崎さんが自分でつくるしかなかった。でもその結果として作品の価値が高まったし、宮崎さんという存在が輝くことになった。結局、作家本人が創りたいことを創る、それが作品として最も力を持つことになるんです。」(田中さん)

例えば映画の世界でいうと、低年齢層に既に売れているライトノベルを、流行のアイドルタレントを起用して映画化するという戦略。よく考えると予め集客力が見込めるに決まっているし、むしろそれで成功しない方が可笑しい話だ。もしも小説よりも映画が受けない場合は、単にオリジナルの作品力を下げているだけの作品づくりをしたということでしかない。しかしそんな風に予め集客力が担保されている作品をつくっている人やその行為は実際に多いし、また実際そういう仕事のあり方がプロデュースというものだという認識の方が多いだろう。しかし、正直そこには「価値」というものは生まれていない気がする。生んでいるのは「価値」ではなくて、単に「数字」なのだと思う。奇麗ごとだけ言えない、清濁あわせ飲みながら生きざるを得ない世界の真っただ中に生きているのは、誰もが同じだと思う。中でも映画のように関わる人間やビジネスの規模、あるいはリスクが大きい世界というのはむしろいかに濁の中に一滴の清らかな水を求めるかということの方が日常だろう。だからこそそんな退っ引きならない世界の中で作品づくりを行っているお二人の言葉はとても刺激的だった。



2007.10.07 (Sun)  無題

吉野から自宅に戻り真っ先にしたのは靴を磨くこと。こっちを磨くのも大事。今日も気持ちいい秋晴れなので、PearlJamの「On Two Legs」を聞きながらちょっと葉山まで走ってきます。

(Zushi, 2007.10.07.)



2007.10.06 (Sat)  吉野へ

金曜日の夜から奈良県・吉野を訪ねた。実は仕事関係の人に会いに行くことが目的だったのだが、ちょうどこの数日間、吉野山にある金峯山寺・蔵王堂の本尊である蔵王権現像三体が特別に開扉されると知り、今朝の早朝6時から金峯山寺へと向かった。蔵王堂の本尊である金剛蔵王権現立像は普段は拝観できないのだが、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録三周年記念ということで、この10月4日から8日まで間だけ特別に開扉されている。吉野山は和歌山の高野山、三重の伊勢とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」、つまり「熊野古道」を構成する起点であり、修験道における重要な霊場のひとつだ。そしてこの吉野山・金峯山寺蔵王堂の本尊、金剛蔵王権現立像は日本最大の秘仏と呼ばれ、普段は拝観することは出来ない。その顔は青く塗られ憤怒した表情で右手と右足を宙に上げた独特の姿をしているらしい。噂では普段扉の向こうに保存されている間に「気」を溜め込み、早朝、開扉される時にその気をいっきに放つために青い顔と身体が眩しく光り輝くのだそうだ。

早朝6時半、他の参拝客とともに蔵王堂での御務めに加わる。そして本道の奥に立っている金剛蔵王権現立像の姿を見上げて驚いた。確かに勇ましく憤怒の念を放っているのだが、同時になんとも人懐っこい表情であった。その表情に驚かされた。確かに密教仏教の仏像は、優しく柔らで慈悲深い表情ではなく、逞しさ、躍動感、力強さが表現されている。不動明王像の表情はまさにその典型だ。しかし1300年程前に役行者が千日の修行の末に感得したという蔵王権現像の表情は、そうした強さとともに何とも言えない人懐っこさとそれ故のコミカルさを表しているように感じられた。その姿を見て畏れを感じることも、あるいは人が辿り着けない程の智慧の深さにただ平伏すだけというような気持ちを覚えるということもない。怒りながらも受け入れる。強く、そして近く、親しい。修験道の開祖がその尋常ではない修行の末に感得した仏の姿はこのような表情であったことに、驚いた。

今日は僕の誕生日であった。また一つ歳を重ね、そして新しい節目を向かえた。その新しい節目のタイミングで吉野を訪れたのだけど、この2日間を通し何故か自然をはっきりと確信を覚えたことがある。いくら年を重ねても、迷いや悩みは消えるわけもないのだけど、それでも自分にとって確かだとを感じられることを日々こつこつと淡々と続けていけばいいのだなということ。そんなことを静かに感じた。しかしそれは決して金峯山寺に出掛けたという宗教的な体験のためではないと思う。蔵王権現像の表情もひとつとして含めて、日々の中で出会う些細なことが重なった結果だと思う。前日夜、宿の庭から見上げた満天の星空。前日の夜に出会った方々、そして彼らが話した新しい言葉との出会い、新しい智慧や発見の数々。雲ひとつないまさにインディアンサマーな吉野の青空。そうした些細な日常のディテールの重なりあいが、いとも簡単に人の心持を変えてしまうのだなと気付いた。そして様々な物事をもっと受け入れて自然に流れていくことで、とても幸運な偶然に出会えるのだなということを痛感した。日々をよく見ること。よく見える目を、もっともっと養って行きたいと感じた。そうすればこうした日々に出会えるのだ。

早朝、蔵王堂で蔵王権現像の表情に驚いていると、今回の吉野行きに誘ってくれた友人が、「真ん中の釈迦如来像。鷲尾さんにそっくりですね」と隣で囁いた。確かに丸く人懐っこそうな顔つき、その目つきは似ているかもしれない。でも勿論、怒りも、逞しさも、優しさも全くその足下には及ばない。これはきっと僕が似ているというよりも、僕が向かうべき、未来の顔なのかもしれないと思った。

PS
吉野のUさん、名古屋のMさん、Sさん、ご一緒させていただいた皆さん、素晴らしい機会にお招き頂き心より感謝いたします。どうもありがとうございました。また近々お会いできることを楽しみにしています。



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