2001.08.28 (Tue)  

最近見つけたコトバ。
『反逆することで協力する』(山本耀司)
『最もPUNKであること、それは"続けていく"ということだ。』 (確かマルコムマクラーレン)。

「旅」に安住し、世界中を旅するという「行為」で旅人と思い込む。
言うまでもなくそれ自体は「旅」ではないし、 「旅人」ともいえない。
常に新鮮な発見と、歴史と時代と未来の狭間の中で、 まさに今、ここで、何が提示できるのか?新鮮な発見をしつづけていれば、今ここにも、「旅」はあるし、「旅」をしている。
人工衛星は重力からFREEであるが、宇宙の彼方には決してフラフラと飛んでいってしまうことはない。CATCHしたものを、この地球に、決して地球の上では見ることのない映像として届ける存在。単に重力からFREEであるということ自体が重要なのではなく、FREEでありながら、きちんと「届ける」ということが核心だ。

『反逆することで協力する。』
例えば日本人であること、国粋主義っていう盲目ではなく、人工衛星として日本の上を飛びつづけること。旅人でありたいと、心から思う。
人工衛星のようにこの上を飛びつづけることに、心から憧れる。
もうそれだけが、原動力になっている。
ファッション・ヒッピーになる前にすべきことは星の数ほどあるはずだ。 
(鵠沼SPUTNIKから帰宅後)



2001.08.22 (Wed)  エリオット・スミス

普段より早く夕方には帰宅。台風が通り過ぎた後で普段の靄けた空はシャープな青を見せている。こういう日は 屋上に上がって、貴重なトーキョ-プラネタリウムでも楽しめばいいんだけど、それも我慢して今夜は 暗室に篭る。 ちょっと気になっていたことを試す。フィルターのアイデア。対象と世界とのクリアな境界線、 思い切ったカットアップと躍動感。 もしくは、単なる思い付きの数々。そして、これらのアイデアは結局「 糞」なのかどうか。 BGMはさっき買ってきた、NEW ORDERの新譜と、THE STROKESというNYCの新人と、ELLIOTT SMITHのアコースティックライブアルバム。それに以前後輩のモトオカ君からプレゼントしてもらった、NEIL YOUNGのLIVEアルバム。THE STROKESは痛快だった。この前見つけたTHE COOPER TEMPLE CLAUSEというUKの新人といい、何か漸くここしばらくずっと漂っていた頼り なげな霧が晴れ渡っていく感じ。内省的か、(音響派も含めて)オタク的か、ファッション的(というよりも表層的)かしか選択肢 が見えていなかったこの数年の音楽シーンを、彼らは鋭い知性と、クリエティビティと、若さと、そして閉塞的な時代への 決意とを持って現れた気がする。それは明らかにこの数年の間に登場したもの達とは、何か圧倒的な存在の「意味」の違いを感じる。希望がない時代から放たれる確信犯の弾丸。彼らは本当に「恐るべき子供達」なのか?ELLIOTT SMITHのライブアルバムにディスクをかえてからは、延々にリピート。彼の音楽を聴くと、いつも大切な人のことを想う。 明日のMILKでは、久々にELLIOTTの曲をかけてみたいと思った。 暗室の方はといえば、思いついたことをいくつか試し、自分なりに新たな発見をすることが出来た。いずれにしても、もっともっと、もっともっと、撮りつづけていくことしかないのだけど。



2001.08.19 (Sun)  鵠沼・平塚

土曜日、バイクで鵠沼・平塚へ。出掛ける前から曇り空だったが案の定、途中から雨に降られる。腰越のあたりで一旦バイクを止め、砂浜に降りてシャッターを切る。天候のせいか、海岸にいる人も少なく、地元サーファー達が曇り空の下、いつもより高い波に挑む姿だけが目立つ。 まだ感覚が戻っていないことが良く分かる。カメラと眼と身体とがひとつになっていない。バラバラ。シャッターを向けた先にある視線とも上手く交錯しない。身体を温めるように、気にせず何枚も何枚も撮ってみる。 平塚手前の「サザンビーチ」。今まで幾度となく訪れた場所なのにそんな名前がついていたのには全く気付かなかった。名前に似合わずここのビーチは他の場所よりもどこか寂しい感じが漂う。それは砂浜を左右から防波堤が切り断ちその隣に停泊している漁船が直ぐ視界に入ってくることや 、 ビーチへの入り口ですらCVSの隣の路地を通り抜けなければならないこと。そして何故か砂浜の中にまで延々と電柱が 立ち並んでいることなど、つまり完全に三方を人工的で世間の営みを象徴するタテモノに隔離されたビーチであるということが影響している気がする。そしてよく砂浜を見て見ると、他の場所よりもゴミの散乱も 目立つ。人の意思は簡単に置かれた環境に左右される。僕はまだ上手く風景と自分と自分の手の中にある機械が一体化していないことを感じていた。だからカメラを傍らに置いて 小雨に濡れながら、さっき買って来た握り飯に喰らいつき、 防波堤の上から、疎らに戯れる海水浴客を眺めていた。 防波堤の上は高校生カップルが一組と、すぐ僕の目の前に近所のおじさんと彼の愛犬が何をするともなく只ぼぅっと座っているだけだ。 僕はその犬が僕の食べている握り飯を横目でチラチラと見て気にしていることを面白がって、 ちょっかいを出したりして、しばらく その風景の中で同じように「暇な人」になって過ごした。そんな風に慌てないことを漸く最近学んだ気がする。そうして小一時間程度小雨も気にせずぼっとしていると、突然曇り空が晴れ、日が差してきた。そしてその突然の青空に不意を突かれ、止むことを忘れた小雨の向こうに、 奇麗な半円を描いた虹が現れた。久しぶりにみた光景だった。 それは まるで感覚が戻っていない僕に合わしてくれるかのように、ゆっくりと時間をかけて呼吸しながら 薄く濃く 彩度を変え、しばらく少し先の湘南海岸の上あたりに浮かんでいた。僕は傍らに置いたカメラをゆっくりと持ち上げ、海水浴客の頭上に孤を描いた虹の呼吸に合わせてシャッターを切った。 やがて 徐々に 徐々に靄けた空の中に、その虹が染み込んで 消えてしまうのを見終えて、僕は「サザンビーチ」を離れ、R134を西へ向かってバイクを走らせた。 また雨が降り出してきた。今度は小雨ではなく大粒の雨になって、すっかり僕はびしょ濡れになってしまった。 今日は西湘バイパスの手前まで行っていつもの場所で、陽が落ちるのを待つはずだったのだけど、この天気では今日は素直に諦めるしかないだろう。 のんびりと、少しずつ、動いていけば何とかなるかもしれない。少しだけエンジンが回りだして、身体が温まってきた気がした。



2001.08.16 (Thu)  A day of life

白浜の海を思い出す。その日は結局写真は撮らなかった。僕がずっと撮り続けている『Indian Summer』っていうのは、秋とか冬に突然真夏のような天気になる日のことを指すわけで、米国ではそれがまるでIndianが攻めてきたように突然で激しい光景を思わせることから、そのような表現が生まれたそうだ。言うまでもなく、本当は、身勝手な白人達が先住民族達を一方的に襲い、犯し、辱めたわけで、正確には「Indianが攻めてきた」という表現は適切ではない。侵略者達が、先住民から無理やり奪い取ったあとに弛緩している状態のところを、まさにその瞬間を戦略的に狙って、 先住民たる Indian達が起死回生、最後の賭け、として、かって彼らが手にしていた「ささやかな毎日」をとり返そうとしたというのが正しい気がする。(勿論あくまでも僕の勝手な解釈だけど。)寝込みを襲われた、白人達がその決死の姿に怖れを感じたに過ぎないし、彼はいつかその日が来ると何処かで感じながら、獲得したばかりの「毎日」を過ごしていたのかもしれない 。まあそんなことはともかく、Indian Summerという コトバの背景には、そのように或る何気ない毎日に突然、かっては有った筈の光景が突然にある衝撃を持って現れるという 意味合いが込められている気がしている。 日本ではそのような歴史はないから、『Indian Summer』を「小春日和」なんて長閑な言い換えで表すのだけど、しかし、本来はこのコトバの中に、かっての白人達と同様に弛緩しきった僕の目と頭を覚めさせてくれる 衝撃を与えてくれる光景が突然目の前に立ち現れるという意味があると僕は思っている。怯えているのは「いまの僕達」であり、目を覚まさせてくれるのは「かっての僕達」なのかもしれない。 そんな危うく脆い狭間を僕はずっと行ったり来たりしている。 結局、僕は真夏の白浜海岸では写真は撮らなかった。 撮れなかった。そんな時はあっさりカメラなど丁寧に砂がかからぬようにリュックの奥にしまいこんで、白浜海岸の 右手にある松の木がその力を漲らせて生茂る 崖の風景に、日本の夏を想いながら ビール片手に寝そべるしかないし、それが賢明だ。 IndianSummerが襲ってくる、今は束の間の時なのだから。



2001.08.14 (Tue)  BREAK ON THROUGH

日曜日、オイル交換をして元気を取り戻したクルマで夕方から横浜へ。ティムバートン『猿の惑星』@マイカル本牧。 ティムバートンである必然があったかどうかはともかく、シネコンらしく、ポップコーンとコークのセットを抱え込んで思い切り「娯楽」を楽しんだ。 (それにしてもレイトショーのシネコンで映画を 見るとどうしてこんなにワクワクするんだろ。)月曜午前0時前に中華街を出て、鎌倉街道を走り、北鎌倉、江ノ島、鵠沼へ。「SPUTNIK」で気の抜けたビールのようなテクノに居た堪れず、「BREAK ON THROUGH」をカーステで鳴らしながら再び伊豆方面へ向かう。 そのまま明け方まで走りつづけ、下田・白浜へ。ファミレスのパーキングにクルマを停めて寝る。 月曜日はそのまま白浜海岸で朝っぱらからビールを飲んで寝て過ごした。こっちは休みでのんびりとビーチで過ごそうと思っているのに、やれパラソルだ、チェアだ、シャワーだのなんだのと呼び込みの連中の煩いこと。 この奇麗なビーチと 風景を満喫させてくれるモテナシこそを「商売」にした方が利口じゃない? 何が美しいか判断できないというのは悲しい。昼飯は下田の寿司屋で旬モノを頂く。TVでは夏の高校野球、甲子園球場。 僕も兵庫に居た頃は毎年夏には甲子園に観に行っていたけど、今はTVでしか観戦できなくなってしまった。東京の夏は不快で嫌だけど、あんなに暑い甲子園の大銀傘の下は大好きだった。 下田から伊豆半島のど真ん中、R414を通り沼津経由で8時間かけ東京へ戻る。結局、写真もフィルム1本程度で完全に弛緩した盆の休みを楽しんだ。それにしても、あの渋滞さえなければね。 いろんな意味で日本の夏を改めて感じたけど。



2001.08.11 (Sat)  サンセットラウンジ

夕方からのSUNSET LOUNGE@江ノ島CHUBBYSに立ち会う前に、2時間ほど海岸線沿いを写真を撮って歩く。 『INDIAN SUMMER』 今年初めての撮影。CONTAX35mmとマキナ。 昨夜A3のカラーコピーでまとめたBOOK、今回はどうだろうか?腰越付近の海岸で出会ったティーンズの集団と花火で遊ぶ。



2001.08.07 (Tue)  花の絵

週末の昼間、友人が奥さんを連れて来てくれた。
そこで学校の先生をしている彼の奥さんから、最近は「花」を描けない子供が増えているという話を聞いた。
彼女曰く、例えば「花を知っていますか? これは何の花ですか?薔薇ですか?」等という質問にはある程度答えることはできるそうだが、「じゃあ薔薇の花を描いてみましょう」というと、描けない子供達が非常に多いそうだ。
正確に言うと、「描けない」のではなくて、それ以前に「手を出せない。
描こうとすることを避ける」そうなのだ。つまり、誰かが呈示した情報や知識には「Yes, No」(=知っている、知らない。)ということは言えるそうなのだが、いざ自分の手でそのカタチを描こうとすると、「間違っているのかも。間違っているとしたらかっこ悪い。」などという意識が先に立ってしまい、手を出すことを躊躇するそうなのだ。
何が一般的に正しいと言われているのか(どう世間や親が言っているのか)には解答を出そうとするが、自分なりの表現をすることが出来ない、出来ないのではなく、表現するという行為そのものを避けようとする。もしくはいつも見ているTVのように2次元の情報だけは判別できても、それをいざ3次元の世界で創造するということが極端に出来ない子供が増えているということなのだ。それは今では悲しい通説のようにメディアでもさも嘆かわしそうに語ることがある話だが、僕はその話が小学校1年生の話であることを聞いてえらく驚いた。 小学1年生で? かっては小学生でも高学年になればなるほど、そのような子供が多かったそうなのだが、今では1年生にまで低年齢化してきているらしい。
いろんな原因があるだろう。学校自体にも課題はあっただろうし、社会(特に消費のテーマパークのようなアメリカー日本型生活)、大人・親(やはり大人や親なのだと思う) 、それに、嘆かわしく語ってみせるメディア(日本のメディアリテラシーは世界でも類を見ない程低レベルであり、それは 極端に広告=消費ベースで全てのメディアが成立していることが原因だ)など、様々なレベルでの原因があるとは思う。かっての「読み・書き・そろばん」ではなく、批評性と自己表現こそが今後のメディア・リテラシーであり、ここまで極端な情報集積地化した日本においては、それは「サバイバル能力」に他ならないはずだ。
 ではどうすればいいのか? これも様々なレベルで考えられることがあると思う。実際にメディアに携わる人間として実践していることもあるのだが、気が滅入る、正直。本当はすごく私的なことでいいと思う。1週間の短い期間だったが僕は出来るだけ沢山の人と出来るだけ長く色々な話をした。それがどうなるのかは分からないが。そうすることが大切だと思っていた。
隣の人を幸せに出来るかどうか。
そこから、出来ることから始めていきたいと改めて思う。



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