サンフランシスコで写真家の兼子裕代さんにお会いした。
彼女が住んでいるミッション地区を二人で歩きながら、写真のこと、この町のこと、色々な話しをさせていただいた。
サンフランシスコの中心地から少し南に下ったミッション地区と呼ばれるこのエリアは、そもそもラティーノの町であり、サンフランシスコの発祥の地だそうだ。
待ち合わせた16stストリート駅を起点にして、通りを1本1本曲がるたびに町の雰囲気、通りを行き交う人々の姿は変わり続ける。中南米系の人々や黒人、浮浪者が屯している駅前の風景から一転し、数本先の通りは古いビクトリア朝の建物を綺麗に修復した裕福そうな家々が並ぶ通りになる。
洒落たファッションを着込んだ白人たちが集うカフェやレストランが連なる一角。魔法使いのような細長い顔と長い白髭の書店の店主。街灯にブルーメタリックのボディをギラつかせたアメ車とその脇に立って客を引く性転換者。路地裏や建物のファサード全面に描かれたラティーノ達が描く壁画。
嘆きの聖母(ドロレス)という名を持つ教会。この教会から先住民へのカソリック布教が開始されたという。このエリアを詳しく調べていくと、きっと米国西海岸エリアの歴史が象徴的に見えてくるのだろう。
兼子さんと色んなお話をしながら一緒に歩いていると、このエリアに来て自分の気分が落ち着ちついていくのを感じた。比較的コンパクトなこのエリアにぎゅっと凝縮されたマルチカルチュラルな風景や人々。どうも僕はこの町を気に入ってしまったようだ。(実際、兼子さんとお会いした翌日も、翌々日も僕は1人で夕暮れのこの町を訪ねた。)
さて、そんな風に散策していると、何軒もの個性的な本屋にも出会った。見知らぬ土地で地元の個性的な本屋にばったり出会うと、なんだか小さな子供が玩具屋を見つけたようにわくわくしてしまう。
そのうちの1軒に飛び込むと、アニー・リボヴィッツの大判の写真集『A Photographer's Life:1990-2005』が入り口を入って直ぐのところに平積みにされているのが目に入った。
コマーシャル・フォト、セレブリティのポートレート、日常のスナップ写真、全てが一緒くたになって収められている。まさに「ある一人の写真家の人生(=A Photographer's Life)」。
「こんな写真を見ると、白人の持つパワーってやっぱり凄いなって思いますよね」と兼子さん。
真っ直ぐ対象を射抜くように見つめる眼差し、そしてその強靭さと同じくらいの強さの包容力。
兼子さんはサンフランシスコにあるSFAI(San Francisco Art Institute)で写真を専攻された方なのだが、リボヴィッツもこのカレッジで学んでいたそうだ。同じ女性の写真家として、また同じ場所で写真を学んだ存在として、僕以上に彼女はリボヴィッツの存在を近くに感じているのだろう。
リーボヴィッツの『A Photographer's Life』を貫く背骨となっているのが、彼女の友人であったスーザン・ソンタグとの交友の日々を撮影した写真だ。
まるで双子のような二人の女性。彼女が50歳を越えてから出産したという3人の子供たちの写真と交差するように編まれたソンタグの写真。彼女が日常生活の中で見せるふとした微笑みも、病と闘う姿も、そして亡骸も。
確かに兼子さんが言うように『A Photographer's Life』を見ると、この女性写真家のとんでもないタフさを感じてしまう。しかしそれだけでなく、写真を撮り続けることのタフさと同時に、その幸福をも同時に強く感じる。
生き続けること、そして撮り続けること。それはきっと幸福なことなのだと思う。
いくらそこに深い悲しみが入り込んできたとしても。
その写真集を見終わり、書店を出て一つ目の角を曲がると、通りに立って談笑している2人の女性にばったり出くわした。
そのうちの1人の姿を見て僕は驚いた。肩に掛かるくらいの豊かなブロンドの髪。左右のこめかみ辺りの髪には白髪が混じっているのが見られる。年齢は50代くらいだろう。夕暮れ近くの西日を背中に受けて柔らかい光が彼女を背中から包んでいる。微笑みながら僕達の方を振り返ったその人は、スーザン・ソンタグその人にそっくりだったのだ。髪型も白髪の混じり具合も、そしてその表情までも。
僕はその二人の女性達に話しかけ、スナップ写真を撮らせてもらった。
お礼を言ってすれ違い際、僕らの方に振り返ったその人の顔が夕陽に照らし出された。それはとても優しい微笑みだった。
「僕らは今ソンタグさんに会ったんですね。サンフランシスコのソンタグさんに。」
僕がそういうと、兼子さんも、そうかもねと言って笑った。
僕はおかしなことを言っているのかもしれないですね、でもきっとそういうことも起こりうるんですよ。
その夜は夜更けまで楽しい時間を過ごした。偶然見かけて入ったイタリアン・レストランもチーズの活かし方のアイデアが素晴らしく、実際料理もとても美味しかった。
そんな楽しい時間の間にも、僕の中には通りで出会ったあの女性のことが蘇ってきた。
サンフランシスコのソンタグ。
そしてサンフランシスコで出会った二人の日本人。
ここに居合わせたこと、そして写真を撮り続けているそれぞれの人生。
それはやっぱりとても幸福なんだと思う。
あの女性の微笑みが蘇るたびに、僕はそんなとてもポジティブな気分に包まれた。
2007.04.25 (Wed) Stooges!!!
(Iggy pop & The Stooges @Warfirld, San francisco)
久々に凄いライブを観た。
勿論全くの現役だし。これほどのライブパフォーマンスだとは正直予想を超えた衝撃。
曲もいい、全く飽きない。シンプルで明確なlyrics。
2時間が光速で過ぎていった。
「筋金」が入っているって、まさにこういうことだね。
だからあまり余計なことは言わないほうがいい。
日本ではFRFに出演するらしいけど、絶対見たほうがいい。
「俺は今実験してんだよ。Quality Of Lifeだとかなんとか、そういうこといってるこのSocietyをな」。
ライブの翌日60歳を迎えたIggyのMCより。
2007.04.12 (Thu) 『ティンプクトゥ』
ポール・オースターの『ティンブクトゥ』を読んだ。
ホームレスで精神分裂症の中年男ウィリー・G・クリスマスと、飼い主に長年連れそう中で人間の言葉を理解できるようになった雑種の老犬ミスター・ボーンズが主人公。奇妙な話だといえば確かに奇妙な設定だ。
犬と狂人の2人は世界の周縁を彷徨し、スパイラル上にアップダウンを繰り返しながら、やがて「ティンブクトゥ」といわれる彼の世につながっていく。それが桃源郷のような世界かどうかは判らない。ティンブクトゥは決して理想化されない。
此の世とはどんな場所なのだろう。そして彼の世(=ティンブクトゥ)とはどんな場所なのだろうか。
飼い主と老犬という「2人」の関わりの強さに素直に心打たれる。確かにこの作品はこの2人の関係についての物語だ。しかしそれは2人の親密な小さな輪の中だけに閉じていないし、それ故、決して感傷的な気分だけには終わるものではなかった。
読み手は「犬の視線」で世界を見る体験、あるいは「狂人(あるいは聖者)の視線で世界を見る経験を得る。「犬(dog)」が逆立ちすると「神(god)」であるように、犬と狂人(聖者)とは表裏一体であり、そして読み手はそんな世界の「周縁」だと思われている場所から、此の世の新しい眺め方を知る。
この物語は世界の眺め方についての物語なのだ。
だから少しだけ大袈裟に言わせて貰えば「希望」のようなものを感じてしまう。何故だろう、決して明るい話ではないのに。
オースターの作品の中ではやや短めの小品に類されるものだと思う。ドラマティックな展開や壮大な冒険活劇でもない。あるいは歌い踊るネズミの話のようなファンタジーでもない。しかしだからこそ、僕はこの作品をこれからも繰り返し愛読するだろうという予感がしている。
(kugenuma, photo by KAZUHIKO WASHIO)
2007.04.08 (Sun) 美意識
「写真を撮っているときなど、私は自分が目にしている光景の中を浮遊しているように感じることがある。それはちょうどいま居る場所から一歩後ろへ下がり、自分自身が凝視しているのを見つめているような感覚だ。激しく熱中していても、ある一定の距離を保ちながらディテールを見つめ、同時に出来栄えをも予感するのだ。
まるで自分が子供であって同時に大人でもある、そんな感じ方だ。」
(JOEL MEYEROWITZ 『A SUMMER'S DAY』より)
2007.04.05 (Thu) Emilie
浅草・観音温泉脇の路地裏でEmilieのポートレートを撮影。
フランス人と日本人のハーフ(double culture)。「Emilieは、“笑理”って書く。 “笑”って字は、お祖母ちゃんの名前から貰った。」
日曜日には日本を発ち、南アフリカのヨハネスブルグに移住してしまう。
「フランスと日本しか知らないし、そのどちらも故郷だから全然自分とは繫がりがない街で暮らしてみたいなと思って。」 そして今ヨハネスブルグでギャラリーを経営しているBFの元へ。
待ち合わせの浅草・雷門前で会ったとき、「日本を出る前に、やっと会えた」と、彼女はいきなり泪をポロポロと流しだした。
暖かかったので、喫茶店ではなく露店で缶ジュースを2本買って4月頭の観光客でごった返す仲見世通りをすり抜け、観音様に手を合わせてから彼女のポートレートを撮影。
「お祈りの仕方を教えて」といわれて、二礼二拍一礼を教えてあげると、彼女は一礼した後、とても長い時間手を合わせ続けていた。多分、直ぐに旅立つ自分自身のことだけでなく、フランスに住んでいる両親のこと、東京に住んでいるお祖母ちゃんのこと、ヨハネスブルグに住んでいる彼のことも、何人分も祈っていたからだと思う。
僕も会えてよかった。気をつけて。またいつか会おう。
PS
夜、暗室作業。結構プリントしなくちゃならないのが溜まってたなあ。
BGMは『ENDLESS HIGHWAY~The music of The Band』。
The Bandのトリビュートアルバム。Jack JohnsonがALOと一緒に『I shall be released』。Death Cab For Cutieが『Rockin' Chair』のカバーを。他のアーティストも含めてとても丁寧に大切に演奏している。TheBandの楽曲の良さにも驚くと同時に、如何に彼らの存在が米国ロックアーティストの間で重要だったのか、よく判る。
2007.04.02 (Mon) 山桜
桜の季節ですね。挿し木で育てた染井吉野が一斉に咲き誇っているのを観るのも綺麗ですが、新緑の芽を出した様々な樹木の中に混じって、桃色の花と蝦茶色の新芽を出した山桜や、白い花を持った大島桜が山間に咲いている光景を眺める方が個人的には好きです。
新しい生命がはち切れそうになった春の山間にはまさに色とりどりで、とても立体感のある風景です。
山間にあるうちの家のテラスにはそんな山桜の花びらがどんどん飛んできます。日曜日はとても暖かかったので、1年ぶりにハンモックをとりだし、時々舞い散ってくる山桜の花びらを浴びながら1時間ほど昼寝をしていました。BGMはIsrael Kamakawiwo'ole。
ちょうどIZのこのアルバムのような感じ。
2007.04.01 (Sun) 台峯を歩く
パタゴニア鎌倉が主催するアースデイイベントに参加して、北鎌倉の台峯を歩く。
台峯は鎌倉三大緑地のひとつで、シイ、カシ、クヌギ、コナラ、ハンノキ等の樹林がある尾根筋と、谷戸(やと)の湿地の自然とで形成されている約60ha緑地だ。
ちょうど山桜と新緑が芽吹く時期に重なり、3時間程度の散策の間にとても表情豊かな景観に出会うことが出来た。特にガイド役を務めていただいた「かまくら環境会議」代表、「NPO北鎌倉台峯トラスト」理事の久保廣晃さんのお陰で、様々な樹々や草木や野鳥のこと、風景の眺め方、自然の中に入っていく時の作法を学べたことはとても幸運だった。久保さんのお話を聞きながら歩くと、目の前にある風景がとても新鮮な発見に満ちていることに気付かされ驚きっぱなしだった。そして、身近なことを何も知らないまま生きるんだなあと、自分の無知を痛感。
台峯を歩くツアーは地元住民の方々が運営するFriendsOfDaimineによって定期的に主催されています。鎌倉近辺に来られる機会にぜひ。
※台峯は不動産会社による宅地造成が決まっていたが、二十年間にも及ぶ地元住民や先の久保さんたちNPO北鎌倉台峯トラストやFriends Of Daimineの方々の活動により、数年前にようやく鎌倉中央公園の拡大地としての全面保全が決定した。
※画像はパタゴニア鎌倉店で販売している「SAVE DAIMINE」ステッカー。代金の200円は上記「Friends of Daimine」の活動に寄付される。