3月からの写真展『遠い水平線 On the Horizon』にあわせて、少部数のセルフパブリッシングで1冊つくっています。
昨年4月から昨年末までの間に、青森〜福島の海岸線沿いを中心に撮影してきました。昨年9月には池澤夏樹さんとご一緒に『春を恨んだりはしない』(中央公論新社)を出版させていただきましたが、その後も継続して撮影してきた写真と、僕なりに綴った言葉とで構成した内容です。自分が見たこと、いま感じていることを整理しておきたいと思いつくりました。今のところは写真展の会場で直接御覧頂いた方にと考えています。ぜひ写真展の会場で御覧頂ければ嬉しいです。宜しくお願いします。
ということで、本日、第一回目の色校正が上がってきました。
2012.02.12 (Sun) 写真展『遠い水平線 On the Horizon』
この3月と4月に、東京と大阪で、写真展『遠い水平線 On the Horizon』を開催します。
この写真展は、ニコンサロンが主催するニコンサロン連続企画展&シンポジウム「Remembrance 3.11」の一貫として行うものです。
写真展の会期中である3月16日(金)には、『写真とことば-記録の先にあるもの』と題したシンポジウムを、作家の池澤夏樹さん、写真家の新井 卓さん、写真批評家の竹内万里子さんとご一緒に行わせていただきます。
詳しくは【news】を御覧下さい。ぜひ会期中足をお運び頂ければ幸いです。どうぞ宜しくお願いいたします。
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2012.02.08 (Wed) たった「1枚」の中に
東京都港区のギャラリーAKAAKAで、震災による津波被害を受けた写真約1500枚を展示する「LOST&FOUND展」が開催されている。この写真を収集した「思い出サルベージ」プロジェクトは、津波で流され泥をかぶってしまった写真を洗浄し複写し、その写真の持ち主に届ける活動を行ってきた。昨年8月に宮城県山元町の活動現場を訪問したとき、一枚一枚いたわるように写真を洗い続けるスタッフの方々の姿に強く心を動かされた。
日常をとらえたその膨大な枚数のスナップ写真には、何が写されているのかはっきりと分からないものもある。人物が写っていてもそれが誰なのか判明しにくいものもある。しかし、たとえ「像」が損なわれても、そこに写し出された存在の「影」は決して薄れたようには感じられなかった。むしろその一枚一枚の中には、多様な物語や時間や記憶が幾重にも積み重なり存在しているということを強く感じた。
それは、流され、変色し、損傷し、削りとられてしまった不鮮明な「像」の向こう側に、いま目の前には見えない存在を「見ようとする」、見る側の視線と想像力とが呼び起こされるからに他ならない。
「見る」のではなく「見ようとする」こと。見えるものだけではなく、見えない存在を想像しようとすること。その時、時も場所をも超えて出会うことができるかもしれない。それも全て私たちの想像力しだいなのだ。
(Yamamoto, Miyagi. 2011.08.)
※産経新聞(2012.2.8.)に掲載
2012.02.04 (Sat) 終わりと始まり
兵庫の実家に戻って来きて、地元ローカル紙を広げてみると、池澤夏樹さんが先日お亡くなりになったテオ・アンゲロプロス監督についてのコラムを寄せられていた。池澤さんと一緒に4月頭に宮城県東松島を訪れた時のことを思い返した。雨が降り続くグレーの空の下、海面に突き刺ささるように乱れた杭(それは牡蠣の養殖のためのもの)が並んだ光景を見て、アンゲロプロス監督の中に繰り返し出てくる水のイメージが重なり、お互いに「まるで彼の映画のようだ」と話したことを。
あの水のイメージ、方やギリシア、方や2011年の東北、しかしそれは意図せず(いや、その逆かもしれない)、深いところで水脈として繋がりあっていたようにも思う。そしてそのとき撮影したイメージは、昨年、池澤さんの言葉と僕の写真とでつくった本「春を恨んだりはしない〜震災をめぐって考えたこと」の中にも収録されている。
同じ新聞で、ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカさんがお亡くなりになったことを知る。なんたる偶然なのか。「春を恨んだりはしない」というタイトルは、シンボルスカさんの詩「 眺めとの別れ」から、池澤さんが引用されたものであった。
(そして、アンゲロプロス監督とシンボルスカさんの仕事を僕はともに、それは10数年前と昨年という時間の差はあれ池澤さんという媒介者を通して知った。どちらの作品も、いまではどこかでいつでも心の支えのひとつになっている。)
それにしても。それにしてもこの2人が何故この今居なくなってしまうのか。
しかし。しかし、だ。過去は消え去るものではない。過去は積み上げられて行くものなのだと思う。過去は消えない、積み重なり未来がつくられていく。(例えそのことを、放射能という負のストックが未来まで消えないという、全くネガティブな要因から学んだことだとしても)
イメージ、そして言葉。これからの支えであり続けるそれらを、継承していく機会に、ぎりぎりのところで関われたということを、それこそ自分の支えにして行くことができればと思う。
心よりのご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。
戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから
誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように
誰かがはまりこんで苦労しなければ
泥と灰の中に
長椅子のスプリングに
ガラスのかけらに
血まみれのぼろ布の中に
*ヴィスワヴァ・シンボルスカ「終わりと始まり」
(沼野充義 翻訳)より一部引用
(HigashiMatsushima, Miyagi. 2011.04.)