友人の結婚式に出席するために名古屋へ。
新郎新婦がともに在日朝鮮人ということもあって、普段の日本人の結婚式には見られない歌や踊りも入ったとても盛大で愉しい会に僕自身も大いに楽しませてもらった。僕もカメラを持ちながら、朝鮮民謡に合わせてみんなと一緒に踊った。女性達の鮮やかなチマチョボリがくるくると華のように舞って本当に奇麗だった。親族、友人、仲間がそんな風に身体全体で二人を祝い、ともに心から楽しむ姿を見て、家族の存在が如何に僕達を励ましてくれるものなのか、改めてつくづくと感じた。そしてちょっぴり羨ましくも思えた。
2002.06.18 (Tue) 暗室
日々の糧を稼ぐ仕事の合間、自宅の暗室に入りつづけている。沖縄へのたった2週間の旅だというのに、現像やプリントにまだ数日間はかかりそうだ。夕方から次の日の朝まで暗室に篭ったとして、大体仕上がるのは10数枚のプリントであり、しかもそれらはベタ焼きの次の段階である「試し焼き」に過ぎない。そして、そうやって上がった何枚ものプリントを床に並べては、果たしてそこに何が写っているのか、写すことが出来たのか、時間をかけて覗き込まなくてはならない。 何百枚のプリントの中に、果たして僕が見た沖縄の風や光は注ぎ込まれたのだろうか。僕は沖縄の何を見て何を写し撮り得たのだろうか。時々、写真を撮ることなど、またこうして拙い言葉に記すこと自体が卑しいことに思えて仕方なくなるし、正直どこかにそんな考えがこびりついたままに、それでもこうして暗室に入りつづけ、言葉を残しつづけている。僕は一歩も前には進んでいないかもしれない。 この沖縄の写真を全て目の前に並べてみた時、何がそこには残るのだろうか。何かが立ち現れるのだろうか。
2002.06.14 (Fri) Individual
沖縄・竹富島で知り合ったK君から先日手紙が届いた。仲盛荘という同じ宿で数日間をK君と僕はともに過し、あの夕陽を見るために西桟橋に白い道を一緒にてくてくと歩いていった。島で花が美しく鮮やかに溢れていた石垣を持つ仲盛荘の前のブーゲンビリアの花や、布団を干しに表へ出る仲盛荘のオバアの背中や、夕飯の仕度にジャガイモを剥くオジイの姿が写った幾つかの写真とともに、K君はその手紙の中で沖縄への移住を決意したことを記していた。
彼は陸上短距離走のスプリンターで怪我の療養をかねてふらりと沖縄本島や八重山の島々を訪れていた。彼は竹富島で宿の皆と楽しい時間を過しながら、新しい可能性を色々と考えながら過していたのだと思う。僕と友有子は彼のことを詳しくは聞かなかったけれど、どこかそんな雰囲気だけは感じられていた。
「僕は7月からあっちで働いてみようかなと思っているんです。挑戦してみたいんですよね。決して“逃げ”とかでは無いですよ。今の生活は楽ですし、実家ですから働いたお金は全て勝手に使えます。そんな今の生活の方が“逃げ”なんです。あっちで生活して働いて、沖縄が嫌になるかもしれません。辛くて帰ってくるかも知れません。逆に自分の居場所を見つけて、自分なりの道が拓けるかも知れません。行ってダメでも、それなら東京で腹を括って東京で働くという道が拓けます。どっちにしても道は拓けるのです。」
今日、ワールドカップで日本が1次リーグを突破した。夕方の渋谷の街では日本チームのレプリカユニフォームを来た若者達が騒いでいた。僕はそんな騒ぎを抜けて、K君が働いている渋谷南口のスポーツショップへと出掛けていった。今日は彼が東京で働く最後の日だったからだ。 餞別にと、僕は自宅で編集した音楽テープを彼に渡した。K君はスポーツショップの制服の下に、あの8年前のワールドカップ予選で使われた古い日本チームのユニフォームを着ていた。番号は11番で、当時三浦カズが着ていたものだった。彼は僕達に見せようと沖縄で撮影した写真の収まった小さなアルバムを持っていていた。そして、僕等は短い話をして、また会おうとだけいって別れた。
トルシエ・ジャパンは、組織力だけでは世界に勝てないということを示した。そして彼は、「個の確立」こそが世界に通用するするために一番大切であることを立証した。古い頭のサッカー協会や取り巻きやマスコミたちに攻撃されながらも、彼はそのことを貫き、そして今日、日本のサッカーの歴史を新しく前に進めた。
「たぶん、今日の試合を見て、自殺しようとしている中高校生の1000人位は救われたんじゃない?」 夕飯を食べながら、そう友有子が話した。多分、そうだと思う。それは、日本が勝ったという情報のためではなく、一人の個人としてプライドを持って生きていく姿こそが世界に開かれるのだ、ということが、若く柔軟で繊細な若い眼にはくっきりと映ったに違いないからだ。きっとそんな気がする。 K君はとりあえず竹富島に行くそうだ。宿も何の決めていないとは言っているけれど、多分大丈夫なんだろう。
彼は一人で出来ることからはじめようとした。そしてとりあえずの1歩を実際に進めたのだから。すぐにまた会えるだろう。