2007.06.28 (Thu)   『ashes and snow』(再考2)

前回のエントリーに関して、何人かの方からメール頂きました。
了承を頂きましたので、以下に転用します。

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鷲尾和彦さま

『ashes and snow』展(ノマディック美術館)。一月程前に行ってきました。
あの展覧会を観て、僕もまたどこかしっくり来ないところがあったのですが、それを見事に言葉にされたという感じです。

「映画館なみの巨大なスクリーンに映し出された1時間ほどの映像作品を見終えた後に用意されているもう一本の長い廊下に吊るされた写真群を見る人々は、その1点1点を眺める時間も短く、そこに向かい合い、想像力を広げ、のめり込む気持ちが薄れているように感じた。それはやはりあの映像の後であったからだと思う。正直僕自身がそうだった。極端に言えば、会場を出るときには、写真が映像作品の付属品のように見えてしまっているということだ。」

と書かれていましたが、「まさに!」と思いました。
周りを歩く誰を見ても、二つの廊下がまるで違った形で現象していることが明らかでした。映像・インスタレーション・ビジネス臭・・・・・それらによって、一枚の写真がもつ眩暈が、薄められてしまっていたような印象です。Gregory Colbert自身は、やはり「映像」(Moving Image)の人ですから、それでよしとしたのだとは思いますが、僕としては全く違った形で、彼の写真を経験してみたかったなぁという思いが強くします。
彼の映像も確かに美しくて、すばらしいものではあるのだけれど、あまりにも「意味」が過剰なように感じられました。映像は写真よりもずっと、鑑賞者を強引に巻き込んで、同一化します。だからこそ、そこにある「意味」や、「意図」に息苦しくなるのかもしれません。
鷲尾さんのおっしゃる「静かさ」と「謙虚さ」。カメラを持たない僕も、そんな姿勢とまなざしで、常に世界を向いていたいと思います。

(2007/06/26 11:10)
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鷲尾さん

こんにちは。
ブログのashes and snowについて読みました。
全く同感!と思ったので、思わずメイルします。

わたしも彼の写真を見てめちゃくちゃ期待して写真展に行って「?」と落胆(というか、やっぱり腑に落ちないという言葉がピッタリ)したクチでした。
やっぱり映像なんですよね、そんな気持ちにさせるのは。あの映像のせいで、全てがつくりものの世界になってしまっている気がしました。
いいとは思うけど、わたしは好きじゃないなぁと。
写真だけ見ていたら、きっとすごく好きだったと思います。

そういうこともあるんだなぁと思いました。

でもやっぱり芸術って、その人の想いを伝えるっていうのもあるけれど見ている側に勝手に想像したり、自分と重ね合わせたりさせられることの方が重要なんだと、わたしは思います。

(2007/06/25 17:25)
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2007.06.26 (Tue)  ROCK

世田谷233に立ち寄り、盟友・中根より、CDとビデオを数本借りる。
『23』(Blonde Redhead)『KingSnake Highway・Early Works 1975-1979 』(鮎川誠)、そして“永遠の名作"、『シザーハンズ』(ティム・バートン)。『ハーフジャパニーズ』のミュージッククリップ&ドキュメントビデオ。
Blonde Redheadはまあまあ。
それよりも何よりも鮎川さんのEarlyworks。

「俺の壊れた蛇口から吹き出る不純な飲料水...」(『ヴィールスカプセル』)。

惚れ直すというのはこういうこと。
コトバが凄いな。ギターがとんでもなくナマナマしいな。不純物ゼロのロックミュージック。そして30年前近くも前の曲だとは全く思えない。不純物のない作品の寿命は尽きるわけがない。
「あかん、ロックや...」と思わず関西弁が飛び出し、兵庫で暮らしていた小学生(ませガキだった僕は小学4年生から丸坊主&ジャージでロックコンサートに行っていたのだ)の頃にいきなりタイムスリップするのだった。
『シザーハンズ』はよっぽどDVDを買おうかと思っているのだが、ついつい借りてしまった。
勿論ジョニー・ディップの1番の作品。
そんなわけにはいかないんだろうなと思いつつも、JDは泣き顔のままで、こういう作品だけに出ていれば良いのになと強く思う。



2007.06.23 (Sat)  『ashes and snow』(再考)

Gregory Colbertの写真展『ashes and snow』。
今週末で終るということだったので、急いでお台場まで出掛けてきた。

ドラマティックで演劇的な光景が、現実に存在するものであるということの驚きは確かにあったし、作家の並々ならぬ情熱やその仕事ぶりには敬服したのも正直なところだ。
しかし何故だかそのリアルさが、またその本当の凄みというのが、伝わりきらないでいるように感じられた。それは何故だろうか。先週一度観た時どこかで心にそんな思いが引っかかったままだったので、最終日の直前、もう一度観にいって来た。

会場に入り、最初に長い廊下に吊るされた写真作品を観た時、観客はその1点1点の写真を眺め、圧倒されつつも、めいめいにイメージや想像力を広げ向き合うことで、目の前の「世界」の意味を読み取ろうとする。この瞬間がこの展覧会の一番の体験の瞬間だと思う。
しかし、その後映画館なみの巨大なスクリーンに映し出された1時間ほどの映像作品を見終えた後に用意されているもう一本の長い廊下に吊るされた写真群を見る人々は、その1点1点を眺める時間も短く、そこに向かい合い、想像力を広げ、のめり込む気持ちが薄れているように感じた。それはやはりあの映像の後であったからだと思う。正直僕自身がそうだった。
極端に言えば、会場を出るときには、写真が映像作品の付属品のように見えてしまっているということだ。

そして、あくまでもこの人は映像の作家なのだということだ。
そしてその映像の制作手法、あるいは編集やストーリーテリングの手法のために、一番の核心のメッセージが過剰に戯曲化されすぎてしまい、ヒリヒリとした胸を撃つ痛みを和らいでしまっているように思えた。
そもそも、写真、映像、詩、というミックスド・メディアによるインスタレーションなのであるのだから、別に本人は当初からそのつもりなのだと思う。
写真は映像のシークエンスを利用するのではなく、独立して撮影しているということがパンフレットにもわざわざ明記されている。恐らくビデオを撮影するように、連続撮影の中の一こまを抽出してスチルを選びだしていると思う。機材はそうかもしれないが、やはり撮影のスタイルは「映像」のそれだと思う。
そして、やはり本人が登場することも含めて、メイン映像を一番見せたいのだというのも作家の正直な気持ちではないかと思う。
しかし、よく考えると、この展覧会の告知で利用されるイメージ、あるいは展覧会に足を運びたいと思わせるのは、1点の写真のチカラによる。人と自然、人と動物との邂逅を捉えた一瞬の写真に強く心惹かれこの大規模で、一般的な写真展と比べるとやや高い入場料を払ってお台場まで足を運んだという人が多いのでないだろうか。

写真、映像、言葉。こうしたものを組み合わせる方法というのは面白いし、僕自身も過去の写真展では映像と写真、音楽を組み合わせた経験もある。

しかし、それは伝えたいことだけでなく、伝わること、何より観客の想像力の広がり方というものを通常以上に強く明快に意識する必要が出てくる。写真と映像、あるいは言葉が相乗効果によって観客の意識や想像力を単一の媒体以上に掻き立てる場合もあるが、その逆の場合も容易に生じてしまう。
語りすぎず、雄弁すぎず、受け手の想像力を刺激し、広げるのは本当に難しい。
今回の展覧会ではその微妙なバランスがどこかで噛み合っていない気がした。
例えば、あの1時間の映像作品を観た時に、作家本人が登場することや、あの詩の朗読が重なることで、どこかでそこにある生々しさが薄れ、小奇麗で単に気持ちの良い映像体験へとするっと滑ってしまうような感覚がしてしまったのは残念だった。
作家が一番見せたいものと、観客にとって一番刺激的で、一番想像力を掻き立てるものとがズレているのだと思う。
こうした長年に渡る作家の執念のような仕事には素直に敬意を感じるし、写真も映像も素晴らしいと感じるところが多い。しかし、ここに述べたことが、僕の率直な気持ちだ。

十数年を掛けて、恐らく映画なみのスタッフの数や資金を掛けて制作している大プロジェクトなのだから、こうした大規模でゴージャスな展覧会にしようという意図も判るし、スポンサーもいるし、ビジネスにもしなくてはならないし、と色々な要因が絡むことも判る。
でも、例えば、今回の場合も、会場展示よりもその写真集をめくる時の気持ちの方がよほど想像力を刺激し、そして作品や作家の意図へと近づいていこうとする感覚が芽生えるのは何故だろうか。

これは僕が写真家だからいうのではないが、やはり「写真」というメディアは強いと思った。
そして、世界を前に、写真家は静かで、そして謙虚であるべきだと感じた。
例えば、やはり自然と人との邂逅を捉えた星野道夫の写真の方がより強く、いつまでも長く僕の心を撃つように。




2007.06.20 (Wed)  That’s a camera

『When I was a civil rights photographer,
I recall a UPI filmmaker who had a 16mm cast iron camera.
When I admired it he said it was “good to hit people with”.
That’s a camera. 』
(by Danny Lyon



2007.06.18 (Mon)  特別講義

名古屋の美術系大学で、『写真をみる、メディアをみる』というテーマで特別講義を行った。多分本当は5時間位で話す内容だったと思うので、相当駆け足だったはずだが、果たして講義を聴いた100名の大学生はどんな感想を持ったのだろうか。
その後で、大学の助手の方からお伺いすると、学生の間では直後から結構話題が飛び交っていたとのことをお伺いしたので、それなりに話したかいはあったようだ。
まずは何より、こうした貴重な機会を用意していただいた大学の皆さんに心より感謝いたします。有難うございました。

思うことは切実にあっても、なかなかその場では声が出ない。
これは一般的な傾向だということも後で大学の先生からお伺いした。
講義をしながら教室に集まっている学生の顔を伺うと、確かに大学の先生が憂うのも理解できる。
(1時間半の講義の最中、一見好き勝手に一人で話しているようで、実は教室の中の雰囲気とか、そこに居る人の反応というのは、かなり詳細に見ている。2分以上続けて少し抽象的な話をすると集中力が切れるなとか、どんなコトバにどんな反応が起きるのかとか。)
欲望のレベルは薄いように感じたのが正直なところだ。
しかし勿論、本当のところは良くわからない。一概に何かを述べるのも不適切だと思う。

例えば、ブログに沢山のトラックバックやコメントがあるからといって、それは必ずしも新しい視点や有意義な議論となっているかどうかは別の話だ。
以前、写真家の若木信吾さんと話した時に、彼が手掛ける『Young Tree Press』のウェブでも別にコメントとか来ないし、それを期待しているわけではない、とおっしゃっていた。僕も全く同感だ。
要するに誰かが投げかけた言葉が、その人の中で小さな火種として残るものであったのなら、それはそれでいい。そして火種が大きく燃え上がるのに時間がかかっても良いと思う。

しかし。
小さな火種が大きな炎となるには風がいる。
風は様々な人との関わりの中で、その摩擦で吹くものでもあるということを、やはり確かではないだろうか。



2007.06.16 (Sat)  I don't know how, but it does.

『As I look closely at the pictures, I am reminded about the power a single person carries aroud with them.
Everyone is different, and yet they all look somehow the same.
They all embody huge potentials for success or failure,
for nervousness or calm, for sainthood or deviltry,
and have individually had their proportionate share of both.
They remind me of the moment the picture was actually taken, and how that moment is linked to their past, thier present and their future.
The day that I happened to catch them was just one little piece of time that is connected to all the other pieces of time that make up their lives.
and sometimes I think I can see this in the picture itself.
Somehow the camera is able to capture it.
I don't know how, but it does.I swear to god.』

by Gus Van Sant



2007.06.06 (Wed)  CC

今日モーリー・ロバートソンさんと話しをしていて、彼から教えてもらったのが、これ
『クリエイティブ・コモンズ』に関する説明ビデオなのだが、こういうビデオがISPのサービスサイトの中で見られるようになったんだと知って、ようやく日本でもCCに関する認識が一般的にも広まりそうな予感を感じる。

著作権、あるいは表現活動に関わる様々なライツ(権利)は、「奪い合うもの、勝ち取るもの、確保するもの」(=ビジネスの糧)という側面と同時に、やはり「つくるもの、残すもの、活かすもの」(=文化の源)という側面もある。
しかしそれ以前に、自分も含めて、様々な表現活動を行う個人にとっては、著作権とは「自分の作り出すモノや仕事がどんな価値を持っているのか」、あるいは「自分の仕事は何に対して価値を提案しようとしているのか」ということを見詰めることに他ならない。
そしてそんな「誰のためにどんな価値を作り出しているのか」という発想が何より一番大切なことなんじゃないかなと思う。
勿論自分も避けては通れないテーマ。時間をかけてじっくり考えていきたい。



2007.06.02 (Sat)  resist

ルーニイ主催の写真ワークショップresistの写真展オープニング・パーティーへ。 ルーニイの篠原さん、写真家の綿谷修さんにも久々にお会いできて良かった。
帰りにTSUTAYA ROPPONGIに立ち寄り、Thomas Struthの『making time』と、ネグリの『芸術とマルチチュード』の2冊を購入。
(ちなみに僕の隣では写真家の沢渡朔さんが写真集を物色中だった。)
Thomas Struthの『making time』、凄く面白い。なのでちょっと高かったけど思い切って購入。きっと何度も繰り返し繰り返し見るだろうな。僕がいうのは全くもって恐縮なんだけど、やはり写真家・アーティストとしての力量というか視点を強く感じてしまう。
自宅に帰る横須賀線車中で『世界アーティストサミット』を再読。
何に対してresistするか。戦略の設定がやはり鍵なのだ。気が引き締まった1日。



2007.06.01 (Fri)  風庵のそばT

沖縄から「風庵」のダン君がGFと一緒に我が家に遊びに来てくれた。
幻の泡盛「カーリー春雨」と、最近沖縄のグラフィックデザイナーと一緒に作ったという「風庵・そばT」をお土産に貰う。沖縄は去年、首里フジコさんの撮影に行って以来、もう1年以上もご無沙汰してしまっている。2001年頃から4年間くらい沖縄に通って写真を撮っていたのだが、『極東ホテル』に着手してから沖縄写真は一旦小休止になってしまっている。早く再開したいし、なにより「風庵」の抜群に美味い沖縄そばが恋しい。ダン君は最近友人知人のためにと、ゲストハウスを建てたとのこと。そのゲストハウスにはダン君セレクトの僕が撮った沖縄写真が。もう早く行くしかないねえ~、と早速お土産の「そばT」に着替え、気持ちは高まるのだった。


PS
Tシャツといえば、digmeoutプロデューサー谷口さんたちが最近立ち上げたArtee.jp。僕はさっそくPalmGraphics豊田さんのデザインシャツを購入しました。もうすぐ、夏!



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