2005.03.29 (Tue)  東京のジンガロ座

先日、ジンガロ座を木場公園まで観に行ってきた。 ようやく日本で観ることが出来た。

2003年12月、バルタバス氏に取材するためパリを訪れた際、彼が設立したヴェルサイユの馬術アカデミーを訪れてみた。アカデミーといっても、一般に公開されている時間帯があり、馬術アートを学んでいる生徒達のスペクタクルを観ることが出来る。
観客の前で演じることも生徒達にとっては重要な学習プログラムのひとつなのだ。

十頭ほどが並んで演じる生徒達のスペクタクルを見ていたとき、ふいに一人の生徒が操る馬が全体のラインを乱した。馬と騎手との呼吸が乱れて、馬は一直線に並んだ列から数歩だけ外れてしまった。 僅かな乱れが全体の調和を崩した。それは瞬間的な出来ごとで、すぐにその一頭は元の位置に戻っていった。

その時、僕はこの馬術アートというものが想像を絶する緊張とバランスを強いるものであるということを理解した。それは観客席の僕達からは見えないところにある。
相手は「馬」、言葉で理解しあえる(ように思える)人間同士ではない。
言葉を超えた、もしくは言葉以前の世界。
ジンガロ座のあまりにも素晴しいスペクタクルを前に、観客はそのことに気付くひまなく歓喜することが出来る。しかし静かに見える人と馬との間に、僕達には見えないとても濃い「会話」が交わされていることを、僕はヴェルサイユで「幸運」にも目撃した乱れたラインから学んだ。
それ故、二重の驚きをジンガロ座のスペクタクルに観ることが出来る。

エンディング近く、様々な国籍の「現代人」達が、騎馬民族へと「戻っていく」。
ジンガロ座の演目の中では、ある意味、饒舌なこのシーンだが、僕はこのシーンに改めてバルタバスの意志を感じて感無量になってしまった。それは、言葉や情報によるコミュニケーションに過剰に頼りすぎる僕達の眼を洗い流してくれる。

5月、彼らが日本を去る前に、もう一度観にいきたいと思う。




2005.03.25 (Fri)  移動式遊園地


(Fontainebleau, France 2005.03.03.)

僕が住む町にも小さな移動式遊園地があったらなあ。いつもそう思う。

© 2005 Washio Kazuhiko



2005.03.23 (Wed)  フォンテーヌブローの夜


(Fontainebleau, France 2005.03.02)

ロンドン・ウォータールー駅発のユーロスターは雪のために予定時間を大幅に遅れてパリ北駅に着いた。北駅からリヨン駅を経由して郊外へ向かう電車へと乗り継いでいったが、Fontainebleau Avon駅に辿り着いたのは、日が暮れる間際だった。
駅は郊外にあり、小一時間ほど歩いてようやく町の中心街が見え出した頃、灰色の空から湿っぽい雪が舞いだした。レストランを除き商店は店を閉め、僕は水ひとつ買うことも出来ずに、しばらくオレンジ色の街灯に薄っすらと照らし出された石畳の路地を雪に降られながら歩き廻った。すれ違う人もまばらで、あまりにも静かな夜だった。東京やロンドンのあの喧騒の中から突然見ず知らずのこの町にやってきた僕は自分自身のことがとても場違いで奇妙な存在に思えてきた。でもそれは、仮に東京であろうと、どこであろうと、いつも僕の中に絶えず付きまとっている感覚なのだ。何処に居ても、自分の居場所だとは思えない、常にその状況からはみ出しているような感覚。それは幼い頃からいつも付きまとっている「親しい」感覚でもある。人影まばらな夜のフォンテーヌブローはその感覚を増幅させたに過ぎない。僕の中には海外に対する憧れなど欠片もないのだし。ブラッサイもそんな感覚を感じながらパリの夜を撮影したんだろうか。

© 2005 Washio Kazuhiko



2005.03.19 (Sat)  表現手段


(London, London 2005.02.26)

最近東京は品川、新橋、六本木などの高層ビルが立ち並び、どうも都市の中に人々を囲い込もうと誰かが意図しているようだ。ますます内向的になっていく。ケイタイやブログでちょこちょと日々の鬱憤や不満を吐き出すようなことが自己表現と勘違いしていくようになると、更に身体感覚までも失い、その内向性は更に強まっていくだけだとおもう。現に渋谷あたりを歩くと、そんな表情の輩ばかり目に付く。その意味で、ある種フォトジェニックなのかもしれないが。
「デモ」は身体を使った表現形態のひとつだ。異議があるなら身体で表現する。その意味で自然なことなのだと思う。こういう発露が道端に転がっているのを見ると、妙に安心してしまうのは何故だろう。

© 2005 Washio Kazuhiko



2005.03.17 (Thu)  吉田兄弟

吉田兄弟に会う。
最近はアサヒスーパードライのTVCM出演で、知名度も上がっていると思うが、簡単に紹介すると、彼らは130年続く津軽三味線という文化の継承者、そして創造的破壊者だ。
ここにインタビューした内容を一部抜粋しておこう。
最近30代前半で「風雲児」と呼ばれるネット関連企業の社長が話題だが、同じ世代でこういう奴らもいる。僕はとても彼らと話して楽しかった。

鷲尾:津軽三味線というのは単なる楽器を越えて、日本のトラディショナルな文化のひとつです。そんな伝統そのものを体得してきたことが2人の人生においてどんな意味をもたらしたと思いますか?

良一郎:5歳の時から三味線をやっているので、もう三味線抜きの生活って考えられないけど、今でもやればやるだけ民謡と伝統が持つ素晴らしさを感じるんです。ライブ前にウォーミングアップしている時も、僕も弟も気が付いたら「津軽じょんがら節」を弾いている(笑)。 一生懸命、その基本的なフレーズを練習しているんです。形があるから壊すことが出来る。逆に言えばもしもこれが無かったら多分全部が崩れてしまう気がするんです。

健一:伝統は創るもの何だと思います。伝承するものは確かにあるけど、伝統は今この瞬間に作られていくものなんだと思います。今僕達がやっているものはもしかして近い将来に伝統になるかもしれない。僕はそう思いますね。



2005.03.15 (Tue)  バスの車窓から


(Hayward Heath, UK 2005.02.27)

Hayward Heath Station でバスに乗り換え、Brightonまでは1時間ほど雪の中を揺られた。1999年、この道をガールフレンドと一緒にレンタカーを借りて旅したことがあった。夏の草原の中の道をRedHotchiliPeppersの『Californiacation』を延々カーステで流しながら駆けた記憶は、本当に夢のようだった。今日は隣の座席で大声で話しているゲイのカップルの声がBGMだ。

© 2005 Washio Kazuhiko



2005.03.13 (Sun)  鉄道


(Three Bridge Station, London 2005.02.27)

日曜日はLondonからBrightonへの直行便がなくて、途中の小さな駅で乗り継ぐことになってしまった。「3つの橋」という名の小さなローカル駅。次の列車が来るのを待っていると、突然吹雪きだした。列車が遅れるとのアナウンスがホームに響いた。狭い待合室に駆け込んだ乗客たちは皆憂鬱な顔で震えながら雪が止むことを待っている。
横なぐりの雪にコートを真っ白にしながら僕は誰もいないプラットホームで写真を撮り続けた。待合室の窓には不思議そうに僕を見ている人たちの顔が並んでいた。


© 2005 Washio Kazuhiko



2005.03.11 (Fri)  backpack


(Waterloo Station, London 2005.02.27)

次の列車がどのプラットホームから発車するかは意外と直前まで分からない。誰もが自分が乗り込む列車が掲示板に記されるのを黙って見上げている。 その姿はまるで空の上の誰かからメッセージが届くのを待っているかのようだ。

© 2005 Washio Kazuhiko



2005.03.10 (Thu)  2枚の地図

取材で、DoisMapasの木下ときわさんに会う。天性の明るい性格で、こちらも話していて楽しくなった。ライブの写真も撮影した。
DoisMapasはポルトガル語で「2枚の地図」という意味だ。ブラジルと日本、2つの地図を持って旅するように音楽を奏でること、そんな思いで名づけられた。
ブラジル音楽のエッセンスは、確かに日本の文化にもとても近いと感じる。
多分それは「環境との調和(ハーモニー)」なんだと思う。
DoisMapasの音楽はそのことに気付かせてくれる。




2005.03.08 (Tue)  池澤夏樹さんに会う

フランス・フォンテーヌブローで、作家の池澤夏樹さんにお会いした。

池澤さんの小説は、希望の欠片を掴みとろうとする人々の物語だ。
そして一人の読者として、僕もいつもそんな欠片を手に出来るようなポジティブな気持ちに
なることが出来る。
僕の眼の前に座った池澤さんは、一人の人間であり、そのことが彼が描く物語に肉体性を与え、
僕の中で希望の欠片の輝きが増した気がした。
池澤さんとお話したのは短い時間だったけど、凄く沢山の刺激を受け取った。

当日、フランスは20年ぶりの大雪。
寒さの中、池澤さんの行きつけのカフェで2人で温かいカプチーノを飲んだ。
そんな寒い日に会えたことも、なんだか嬉しかった。

昨日、池澤さんから「今日あたりようやく雪が融けはじめています。」というメールが届いた。
東京はこの数日暖かくなり、今日はコートも要らないくらいだった。
あの雪が溶けていく中、原稿に向かう池澤さんの姿を僕は想像している。




2005.03.01 (Tue)  TSUNAMI 

ミーティングへ向かう道すがら、ホテルの直ぐ前の道でスナップショット。
「TSUNAMI」という日本語が世界の共通語として使われていることを初めて知った。
勿論、あの恐ろしく悲しい出来事のことだ。
『TimeOut』を見てもかなり多くの場所で「TSUNAMI BENEFIT」イベントが行われている。
美術館などでも寄付を呼びかけるコーナーが多く設置されている。
日本はどうだろう?

 



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