2010.02.28 (Sun)  写真展終了

昨日で、写真展終了。たくさんの方にお越しいただきました。本当に心より感謝いたします。ありがとうございました。昨日も就職活動中のリクルートスーツ姿の青年が来てくれたのだけど、そういう出会いがとりわけ嬉しかった。写真集を出したり、写真展をやったりしていると、それ自体がなんだかすごいことのように言われることもあるけど、正直な気持ち、本人の中では全く何も変わらない。不思議なことに、写真展の会場で感じていたのは、ただただ毎日の生活をきちんと大切にしたいなということだったし、そのことがないと写真なんて撮れないなということの確認、だった。変わったことがあるとすれば、自分の中の「ハードル」を何段階も高く設定したという覚悟のようなものがあるだけだ。それは自分の中でひとつひとつクリアしていきたいと思う。沢山の課題や次に挑みたいこと、漠然と思っていたことがプラン化できそうな感覚を得ることも出来たので、その意味で写真集や写真展、トークイベントという形で一度吐き出せたのは、とてもありがたかった。今は新しい息を吸い込みたい衝動に駆られている。
それでは。近くまた出会えることを願って。 
2010年2月28日 鷲尾和彦



2010.02.21 (Sun)  世界の響きをきくために

昨夜の管啓次郎さんとのトークは、本当に楽しかった。大先輩に向かって言うのは甚だ恐縮なのだが、僕は仲間と出会ったという気持ちを隠しきれない。とても幸運な出会いだった。
管さんとお話して、そして著書を読んで感じるのは、世界に対して公正であるということ、そして世界をあるがままで受け止めるその大きな優しさ。僕もそうでありたい、と憧れと共感とを強く感じた。
不自由さを引き受けながらも、多様な世界のありようを受けとめ、次の誰かに、未来に、開いていこうとする行為が「翻訳」という仕事だとすると、僕にとっての写真もささやかな「翻訳」的仕事のひとつではないかと思った。写真作品ひとつ、写真集ひとつでそれがどこまで可能なのかは分からない。でも僕は僕で、僕の出来る範囲で、これからも毎日丁寧にそんな仕事をしていきたいと思う。
いつかそれが目に見えない無数の「斜線」となって、この惑星を覆い尽くしていけばいいな。
狡猾に安定を志向する世界に、そうやって無数の「斜線」を、「傷」を刻み込んで行ければ爽快だ。

二月の寒空の下、ギャラリーに集まって頂いた皆さまにも心から感謝。
開始直前に会場を観て吃驚、沢山の方にお越し頂いた。中には遠く新潟や広島からも。本当に嬉しい。昨日ギャラリーに集まった人たちは誰もが名もなき「翻訳者」だと思う。管さんと二人で話していて、質問で話していただいたみなさんの声を聞いて、この場を全員で共有している心地よさを感じていた。断定的で、早急に答を求められ、「わからないこと」に素直でいる猶予を許さず、「分かる」ことを要請する社会(あるいは、そんな社会の中で、コトバを持たず愛想笑いと反射神経だけで生きている不自由な人生)の中で、この世界の美しさと多様性をつないでいくのは、そんな名もなき「翻訳者」たちの仕事なのだと思う。昨日は沢山の人に会えて、本当に嬉しかった。

セントマークスプレイスのコーヒーショップでギターを弾きながら唄っていたキャサリン、トロントの森の中で聞いたジェームスのあの美しい歌声、ベルリンの廃墟ビルで天使の羽を織り続けていたアーティストの少女、平塚の海岸で捨て猫を抱きしめていたスリランカからやってきたトニー、サンタクルーズのビーチで蝶の群れに手を広げて踊っていたローズマリー....。菅さんと旅の話をしながら、僕は世界各地で彼らが奏でた「響き」に耳を傾けた日のことを思い出していた。そして逝ってしまったジェフや、エリオットのことも。
昨日はエリオット・スミスのTシャツを着ていたんだけど、気付いた人はいたかな。




2010.02.10 (Wed)  トークイベント詳細決定

今回の写真展では、真っ白なフレームとマットで額装。当初は黒のフレームで検討していたし、過去には断ち落としの大きなパネルも制作したり、何年間かいろんな展示方法を試してきたけど、今回はこの仕様、そしてサイズも含めてベストだと思う。エディション作品として展示、販売することとした。昨日はいいお話を頂いた。本当に嬉しい。

そして、週末のトークイベントの詳細が決まりました。
急なお願いに関わらず引き受けてくださった管さんに、心から感謝。
ぜひお越し下さい。宜しくお願いします。


鷲尾和彦 写真集『極東ホテル』刊行記念トークイベント
『世界の響きをきくために ~新しい旅をめざす写真と言葉』
管啓次郎(詩人・翻訳者・比較文学者) × 鷲尾和彦 (写真家)

日時: 2010年2月20日(土) 18時~20時
会場: AKAAKA
    〒135-0021 東京都江東区白河2-5-10(TEL 03-5620-1475)
トークイベント参加料:500円(予約不要)

管啓次郎(すが・けいじろう)
1958年生まれ。詩人、翻訳者、比較文学者。明治大学大学院ディジタルコンテンツ系教授。
主な著書に『コヨーテ読書』『オムニフォン』『ホノルル、ブラジル』など。最新刊は『本は読めないものだから心配するな』(左右社)、『斜線の旅』(インスクリプト)。主な訳書はE・グリッサン『<関係>の詩学』、M・コンデ『生命の樹』、J・M・G・ル・クレジオ『歌の祭り』、エイミー・ベンダー『燃えるスカートの少女』ほか多数。
 
 



2010.02.05 (Fri)  L'amour

ずっと探していた写真集、やっと見つかりました。



2010.02.04 (Thu)  偶然性が「私」をつくる

2009年度の文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門で「日々の音色」が受賞したというニュースは本当に嬉しかった。制作スタッフの皆さん、おめでとうございます。
この作品を知ったのは去年の夏頃、ちょうど博報堂が出版する雑誌『広告』の「特集:2020年をデザインする」号の編集打ち合わせの最中だった。僕はこの号の「2020年の私」というテーマのページを担当していたのだが、その時、たまたまYoutubeで「日々の音色」のPVを観て、自分の写真なんか使うことなく、この映像を使いたいと瞬時に思ったのだった。
それはこれからの「私」の在り方をとても象徴しているように思えたからだった。素晴らしい作品だな、と思った。様々な偶然性を受入れながら変わって行く「私」の姿は、現在の「自己確立」を強制される息が詰まりそうな世の中の窮屈感を吹き飛ばしてしまう爽快感を感じさせた。
「日々の音色」のキャプチャー画像を編集ページに使いたいとおもっていた矢先、偶然にも先輩がこの制作チームのナカムラマギコさんを知っているということが分かり、さっそく彼を通じてNYCにお住まいのナカムラさんにコンタクトをとってもらった。「僕の後輩の、鷲尾くんという奴が君にコンタクトを撮りたがっている。彼は写真家なんだよね。」と。すると、先輩のところに即座にナカムラさんからメールが届いた。というのも、ナカムラさんは僕の写真をよく知っていて、そして実は数年前に僕に直接メールを送ってくれていた方だったのだ。ご結婚されて名字が変わっていたのだが、当時のメールを探すと確かに。彼女はいわゆるファンレターを僕に送ってくれていた。
その話を先輩にすると、彼は驚くこともなく、「そういうことは起こるんだよ。必ず出会うべき人とは再会するもんだ」と言った。
偶然性を受入れて行くことが、新しい「私」をつくる。そういうテーマで原稿を書いていた僕にとっては、まさにそのテーマを地でいく幸運な出会いとなった。確かに先輩の言う通りだと思う。地球上のどこにいようが、関係ないのだ。
そして、今回、メディア芸術祭受賞というとても嬉しいニュースが飛び込んだ。
本当にこの作品が選ばれて嬉しく思います。おめでとうございます。
今日のtwitterでは、マギコさんのスピーチが随分と話題になっていたけれど、それはその通りだと思う。腹立たしいけれど、でも彼女がいうように、作り手の魂はモノに映し出されるものだと僕も思う。



2010.02.01 (Mon)  「井戸を掘る」

昨日の青山ブックセンターでのトークイベントには、結果的に100名弱の方々が集まってくださった。この場を借りてお越し頂いた皆さまに心から感謝をお伝えします。ありがとうございました。

昨日は、大竹昭子さん、「風の旅人」佐伯編集長とお話しながら、自分の中にもやもやと言語化されずにあったことが、いくつもコトバになっていく心地よさとスリリングさを感じていました。
コトバは世界を捉える手段。つまり他者との会話とは、それぞれがどのようにして世界を捉えているのかということを交換しあう場だ。そしてそれは「交換」しあうからこそ意味がある。交換し、入れ替え合い、書き直していく。だから会話は面白いし、大切だし、意味がある。
もちろん、自分を入れ替えるということはとても怖いことだと思う。正直、僕も怖い。自分だけならともかく、自分が発したコトバが相手を「入れ替え」たり、それが意図に反して、本当に人を傷つけたりすることもある。それはもっと怖い。だから、自分も相手も傷つかないように、差し障りのない言葉とつくり笑顔を振りまいて、一見「会話」らしくみえる曖昧かつその場限りの表層的な振る舞いに終始する人間がいてもおかしくない。

しかし、昨日のような対話の場(壇上に上がった3人だけでなく、初めて出会う100人近くの人たちとの対話の場)では、出来る限り僕はコトバを尽くして話をしたいと思う。コトバを尽くせば良いというものではないだろう、コトバの量ではなくて、そのコトバにどんな気持ちをこめるのか、ということも含めてだ。丁寧に話したいのは、他者とかかわることの怖さを感じているからだし、そして、その怖れにしり込みしていては、やはり表現者として作品を世に出すことなど出来ないと思うからだ。つまり、作品とあの会場でのトークとは別物ではなく、あくまでも地続きなのだ。
佐伯編集長から「誠実なる宙ぶらり」という肩書きを頂いたが、(「宙ぶらり」はその通りだけど)、僕自身はあの場で「泥まみれ」と告白したように、「誠実」というコトバは似合わない。それは先に述べたように、「そうしなければ、自分の存在も、自分と他者との関係性も成立しないから」と思っているだけなのだ。

さて。
昨日、新しく見つけたコトバのひとつが、佐伯さんが言った「井戸を掘る」だった。
まさにそうだったと思う。それは自分自身が覚えた感覚を的確に表現していると思う。僕は5年近くの間、あの『極東ホテル』の中で井戸を掘っていたのだ。
佐伯さんは更に「『極東ホテル』とは、井戸を掘る先に、新しい地下水脈を見つけようとする行為」だと続けられたが、僕もこの「地下水脈を見つける行為」という部分が極めて重要だと思っている。
つまり、「井戸を掘る」作業というのは、決してタコツボに入り込み、オルタナティブであることを良しとすることではなくて、むしろその真逆であって、「地下水脈を見つけ」、新しい世界を獲得するための、止むに止まれぬ行為なのだ、という認識。
「井戸を掘る」行為というのは、地味で暗い。(既成の世界で光を浴びている場所に身を置かないので、目立つこともなく、光も届かないので暗くなる)
既にある「大きな物語」や「神話」を辿る旅でもないので、あてもなければ、予定も計画も立てようがないので、ものすごく時間もかかる。そして、必ずこうなるというヴィジョンや確信も描けないので不安にもなる。
しかし、もしもその先に「地下水脈」が見つかったら、それは、そこには新しい「物語」が立ち現れていく。それは必然として、極めてパーソナルな話でありながら、同時に、世界的な物語になりえるものだ。そしてその井戸が深ければ深いほど、それは強く確かに世界中につながっていく力を獲得することになる。国境も、文化も、既成のルールも越えた、「共感」という力を獲得することができる。
僕が昨夜「徹底して個人の側に寄り添いたい」といったのは、自分のスタイルやテイスト、趣味志向といった狭いタコツボや居場所を確保したいからではなく、あくまでも新しい物語を求めているからだと思う。それは僕の渇望であり、カメラを使った表現を志す人間としての宣誓でもある。

『極東ホテル』がそのような新しい物語になっているかは、正直僕には分からない。
あくまでも旅の「過程」なのだし。ただ、これからの作品も含めて、僕はこれからも「井戸を掘る」ことを続けていければと思っている。
 



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