(Sapporo, Hokkaido, 2008.05.)
2008.05.26 (Mon) no title
(Toyosato, Shiga, 2008.05.)
2008.05.25 (Sun) 『CONTROL』
やっとアントン・コービン監督作品『CONTROL』を観た。
彼の撮るイメージを最初に意識したのは高校生の時だったろうか。
その頃自分で写真を撮ることなど考えてもいなかったが、今思えばあの時の出会いが自分の中に浸みこんでいて、結果的に写真に手を伸ばすことになったような気がする。そう、初めて好きになった写真家が、そして写真(イメージ)そのものの刷り込みがアントン・コービンだった。
果たして『CONTROL』の映像の素晴らしさ。
無数の「写真」がつながってムービング・イメージとしての「映画」が成立している、その研ぎ澄まされた美しさ。壊れながら生きているアーティスト達を包み込んでいる鋭く、大きく、そして優しい視線。
無駄や余計なものがない安心感と同時に、胸を打ち続ける刺激が続くという両面性。もちろんそんなことは滅多にない。それがアントン・コービンという人なのだ。
そして、このタイミングでこの映画を観ることが出来て本当に良かった。
ここしばらくずっと旅に出っぱなしだったし、その間良い意味でも悪い意味でも自分が予想もしなかった状況ばかり起きていて、すっかり混乱し、無力さを痛感し、自分が壊れていることを痛感し、破壊衝動に捉われて生きてきていることを思い起こし、現場から逃避しようとした。痛みはそれほど衝撃的だったし、そのことに途方に暮れていた。混乱の中で自分のすべきことも、何を大切にすべきかも、全部見失っていた。そして、そんな状況の中でいつもはじめて音楽を聴いた時のことばかりを思い起こしていた。
『CONTROL』を観ることで、自分を取り戻せそうになった。映画のストーリー自体は、主人公そのものは破滅的だが、観る側が感じるのはむしろ逆だ。自分を取り戻すために、自分がいまここに存在しているために、「音楽」と出会えたこと、「音楽」があってくれたこと、そして先駆者たちが居てくれたことを再認識し、感謝した。あえて誤解を恐れずに、奢りととられることを百も承知で言うと、この映画は僕自身の物語であった。
今、この映画を観ることが出来て本当に嬉しかった。
そういう出会いというのはやっぱりあるんだな。
2008.05.17 (Sat) 泳ぐ
やっと水の中でも息苦しくなくなった。
そして泳ぐことは、ほんの少し先、視界が消える寸前の青い水の中へ
精一杯手を伸ばすことなのだと気づいた。
金曜日の夜市民プールに駆け込み、閉まる間際の30分間休まずに一気に泳ぎ続けた。
まだまだ泳ぎ足りない。まだまだ身体は、腕は遠くに延ばせるはずだ。
そして、僕は必ず帰還する。
(Hayama, 2008.04.)
2008.05.10 (Sat) 大鹿村
豊橋から飯田へ。そして飯田でレンタカーを借りて大鹿村を目指した。アルプ・カーゼ/延齢草を営む酪農家の小林さんにお会いすることが目的。この数千年以上の人類の歴史の中で、人間にとって大切な動物は2種類だった。人間を守る存在としての「犬」、そしてどんなに枯れた荒地でも人間に栄養をもたらしてくれた「山羊」。そんな話を小林さんからお伺いする。物静かな小林さんの、情熱を秘めたその言葉に打ちのめされる。
夕方前に小林さんの農作業の手伝いをさせてもらった。田圃の草刈り、そして刈った草をトラックに運びこむ。夕食のためにと、ニラ、ミョウガ、ミツバ、ウド、タンポポ、ワラビ、クズ、クサギを採る。ミョウガを根元の少し上でポキツと折る感触が堪らない。刈った草を集め運ぶうちに汗だくになった。気持ちいい。こんな気持ちよさは久し振りだ。他に流したどんな汗とも違う。干し草を腕いっぱいに広げてぎゅっと抱きかかえる。その匂いにいつかの幼少の頃の記憶が呼び覚まされる。とてもいい匂い。優しい匂い。人はこうして生きてきたのだ、このことを忘れてはいけないと強く思った。
未来は決して新しく生まれてくるものではないんだ。親しいこと、身近なこと、すでに自分の中にある記憶の中にこそ「未来」はあるような気がする。きっと小林さんは僕にそのことを教えるために農作業を手伝わせてくれたのだと思う。
父は10年、いやもしかすると100年先を見ているかもしれませんね、と夕食をつくってくれながら娘さんが話してくれた。小林さんご家族にお会いできた幸運に感謝した。
このところずっと眠れずにいるので、やっぱり明け方に目が覚めてしまった。それに今朝は雨の音が。
夜明け前から冷たい雨が降り、夜が明けても目の前に聳える鳥倉山はすっかり低い雲に隠れてしまっている。宿で傘と長靴を借りて一人まだ明けきれない木立の中を、森の中を、歩き続けた。もっと汗をかいて、もっと息が上がるくらいに、と。わざと道を反れ薄暗い森の中へ中へとはいっていく。その中へと入っていきたいというただその衝動だけに急かされて。深い森の先がどうなっているのか、そんなことはどうでも良かった。ただ足が痺れるまで歩き続けると、自分の中にある余計なものがあの谷の底へと流れ出してくれるかもしれない。そのことだけを思って、ただただ雨の中を歩き続けた。
iPodで聞いているのはこの2週間ずっと同じ曲。
it's a perfect day for letting go
for setting fire to bridges
boats
and other dreary worlds you know
let's get happy!
it's a perfect day for making out
to wake up with a smile
without a doubt
to burst grin giggle bliss skip jump sing and shout
let's get happy!
(Ooshikamura, Nagano. 2008.05.10.)
2008.05.03 (Sat) 門司港
キャラバン隊から暫く離れて一人。
破壊は再生。しかし未だ遠い希望か。
(Moji, Fukuoka. 2008.05.03.)