最近は仕事に忙殺されてしまっている。今週は2度も広島まで仕事で出掛けていった。2時間のミーティングなのに広島まで移動すると、あっという間に1日が経ってしまう。広島まで出掛けているならば本当は1日くらい時間をもらって尾道あたりにでも出掛けてみたいものだ。
尾道には学生時代、東京から何度か出掛けていったことがある。昔から何故だか魅かれる街だった。別になにするわけではない、ただその小さな街を散歩したりするのが好きだった。
散歩の合間には喫茶店で一人珈琲を飲みながら煙草をふかしたり、ふらっと地元の銭湯に立ち寄ったりして過した。その頃はカメラなんて持ってもいなかったので写真なんて1枚も残っていない。なんのために尾道まで出掛けていったのか、それもよく覚えていないくらいだ。でも何だかその土地で見た風景だけははっきりと記憶に残っている。
今ではなかなかそんなあてもなく過す時間も持ちにくくなってしまっている。今思えば、あんな時間こそが学生ならではの曖昧でそれ故に貴重な時間であったのかも知れない。
2002.11.06 (Wed) 海亀
結婚式の前々日、そして帰国前の最後の日と、マウイ島滞在のうち時間のあった2日間ともに、ノースショアへレンタカーを借りて出掛けていった。ノースショアの名前を知ったのはいつだったのだろう、確かある雑誌のサーファー特集の中でその地が今でもサーファー達にとっての聖地と呼ばれていると知ってからずっと興味を持っていた気がする。恐らくきっと観光地化してしまっているだろうその場所に、それでもいつかは足を運んで見たいと感じていた。海の写真を撮り出し、サーファーという存在に惹かれたことが理由だったかもしれない。赤土の大地と尖った頂を持つ山々に見下ろされた道を走り抜けた先にある、その島の北端にあるビーチがどの程度以前の姿と変ったのかは知る由もない話なのだが、今この場所を初めて訪ねた僕にとってもそこは十分に穏やかで心地の良い場所であった。時代の流れなんかに関係ないというか、むしろそんなものどうでもいい、といったような時間のスローな流れは、一介のツーリストである僕らにも感じとれた。ノース周辺をドライブしながら、気になったビーチがあれば砂浜を歩き、道路沿いの風景が気になったらカメラを構えて、そんなスローな空気に身を任せてをのんびりと過していった。西の海の向うに夕陽がまさに溶け入っていく姿を目撃し、ゆっくりと1日目のノースへのショートトリップは終わっていった。
2日目、僕らはノースのはずれにある、「海亀海岸(タートル・ベイ)」まで出掛けていった。その名のとおり、このパブリックビーチでは海亀たちの姿をまじかに見ることが出来ることで有名な場所だ(後で知ったのだが、ハワイではいたるところでそんな風にして海亀を見ることができるそうだ)。海亀たちは、海草を食しにすぐ波打ち際まで姿をあらわすそうだ。「海亀と泳ぐなら朝早い時間の方がいいよ。朝の光の方が彼らを見つけやすいから 」地元のサーファーからはそう聞いていた。そんなわけで僕らはハワイの最終日、海亀たちと一緒に泳ごうということで、朝早くから再びノースショアに出向いてきたのだった。ビーチといっても、波打ち際からすぐ先は岩場でしかも波は早い。海水パンツ1枚に水中眼鏡だけという軽装備は明らかに危なっかしい。それでもなんとか泳ぎ出て、素潜りを繰り返しながら海亀たちの姿を追った。 20分くらい泳ぎながら海中を眺めていたとき、いきなり視界の背後から大きな黒い影が現れた。 海亀だった。それも僕の背と同じくらいの体調の奴だった。彼は僕のことに気付いているのか、無視しているのか、ゆっくりと目の前をかすめながら泳いでいった。僕はあまりの突然の彼の登場に驚きこう風しながら、そのままたっぷり息を肺に詰め込んで潜水しその姿を追った。僕は海亀と一緒に泳いだ。手を伸ばすと届きそうで、でも届かない先に彼は距離を測りながら弧を描きながら泳いでいく。まるで戯れるように彼は僕のほんの少し先を泳いでいった。
それが例えこの土地では見慣れた光景であるとしても、その体験はこれまでに感じたことのないような至福の感覚を僕に与えてくれた。自分でも何故だかわからないのだけど、海亀の姿は不思議な幸福感に包まれていた。何故だろう、それはこれまでに感じたことのない感覚だった。その後立ち寄ったノースのクラフトショップで、彼らが神様の化身として崇められていることを知った。正確な由来は知らなくとも、海中を泳ぐ彼らの姿を思い起こすと、そのことはとてもよく分かるような気がした。
たった1週間足らずの短い滞在の中で、海亀と一緒に泳いだことはささやかだけどとても大切な記憶のひとつになった気がしている。東京に戻ってきた今でもなんだかその姿を思い起こすたびに、ふわっとあのときの至福感が甦ってくる。
穏やかにゆっくりと泳ぎ続けていくあの海亀が今ではすっかり僕の中に住み着いてしまったようだ。
2002.11.05 (Tue)
結婚式に参列するためにハワイ・マウイ島へ4泊6日の旅行へ。結婚式は、現地時間の11月4日、マウイ島郊外の古いチャペルで行われた。本当は昨年の9月に同じ場所で挙式予定であったが、例のWTCへの自爆テロが発生したために1年遅れとなっていた。式は、高校の同級生であった兄夫婦と彼らの同級生達、そして親族たちに見守られたとても親密で清々しいものとなった。夕方からは会場をワイキキビーチにあるシェラトン・モアナサーフライダーの中庭に会場を移し、披露パーティーも行われたのだが、そこでも彼らの同級生達の愉快で泣かせる宴会芸で盛り上がった。深い青から星空へと変り行く中で、誰もが心から二人を祝福し、笑い、泣いていた。僕自身は高校を卒業して以来、ずっと東京暮らしが続いていて、すっかり地元の連中とは縁遠くなってしまった。 僕は兄姉と彼らの同級生達の姿を見て、すこしそんな彼らのことが羨ましく思えた。