忌野清志郎さん追悼のテレビ番組が随時各局から放送されているけれど、昨日見たNHK『YOU』出演時(1983年元日)のスタジオライブ映像は凄まじくかっこよかった。『キモちE』と『スローバラード』の2曲。アルバムでいうと「BEAT POPS」発表直後。スペースシャワーTVの4時間特番も観たけれど、昨夜見たこのこのスタジオライブは圧倒的だった。
清志郎さんの生のライブは僕は一度しか観たことがない。一度というか一曲だけ。数年前のフジロックフェスティバル。ガイジンバンドたちを観た後、グリーンステージを「通過」しようとしていたら、清志郎さんが『スローバラード』を歌いだして、その歌声に身体が自然に反応して足が動かなくなってしまった。アコースティックギターで一声歌っただけで、周りの風景が全部塗り替えられてしまった。本当に凄い声だった。結局、いろんなバンドを観たけれど、あの一曲、一声に、勝るものはなかったなと、今振り返るとそう思う。
小学生からロックコンサートに行っていて、特に小中高校の時代はいわゆる「めんたいロック」のダークスーツに身を包んだソリッドで切れ味鋭い音に惹かれていたので、RCサクセションはレコードでは聞いていたものの、ライブには行ったことがなかった。R&BよりもPUBROCKやMODSやPUNKS。土の匂いよりも都会の裏路地。要するに、田舎のガキの日常とは全く逆の世界感に幼い憧れを持っていたというわけだ。めんたいロックにも素晴らしいバンドはあったけど、嗜好性の幅が狭かったところに若気のなんとか、がやっぱりあった。いつでもライブを観にいけるだろうな、とタカをくくっていたというところも確かにあった。Deadも、Laura Nyroも、そう思っていて見逃したアーティストは沢山いるというのに。そう思うと、あの時苗場の山の中で清志郎さんの歌が聴けたのは、人生の中で巡り合った貴重な幸運のひとつだったと思う。(Elliott SmithとJeff Buckleyも、生前生で観れているということは今思えばやはり奇跡的だったと思う。僕は本当に幸運だな。)
歌は何度でも繰り返し聴き続けることが出来る。(写真も何度も何度も見直すことが出来るけれど。)
何度も何度も繰り返し聴くから、聴こえてくる音があるし、響く言葉がある。でも繰り返すと、飽きる音も確かにある。(そんな写真も確かにあるも。)
繰り返し見たり聴いたりすることが出来るものの力って何なのだろうと清志郎さんの歌を聴きながら思う。懐かしさではなくて、今響く歌として。
沢山でなくてもいい、そんな一曲を、そんな一葉の写真を撮ることが出来たらなと思う。清志郎さんにはそんな曲が何曲もあるので、僕はこれからの短い人生、ぜんぜん飽きないし、ぜんぜん楽しめるので、やっぱり最高に幸運だなと思う。
追伸
先の『YOU』出演時のスタジオライブは、NHKオンデマンドでも観れるみたいなので、興味ある方はぜひ。
2009.06.08 (Mon) 滝めぐり
軽井沢のメルシャン美術館で開催中の『もうひとつの森へ』展を観にいく。
偶然にも4人の参加アーティストのうちの2人(佐々木愛さんと津田直さん)が知人であったということで以前から楽しみにしていた展覧会。それに今年のGW期間中、結局撮影と暗室とでろくに外出もしなかったので、1ヶ月遅れの休暇をとりたいという思いもあったし。それで土曜日の午後に行われた津田さんのスライドショーの予定にあわせて、軽井沢まで1泊2日のショートトリップを楽しんできた。
展覧会はとても楽しめる内容のものだった。森の中を彷徨うようなイメージでつくられた会場構成もユニークだったし、彫刻、写真、映像、インスタレーションというそれぞれ異なる表現手法の作家たちの作品が彷徨える森の中で出会いあうことで生まれる新たな刺激には、なかなか他では味わえない面白さがあった。7月10日まで開催中なので、初夏の心地よいこの季節、ぜひとも軽井沢まで出掛けられることをお薦めします。
さて。翌日曜日は前日とうってかわって心地よい晴天に恵まれたので、軽井沢周辺のいくつかの滝を巡ることにした。千ヶ滝、白糸の滝、竜返しの滝...。(浅間大滝は時間がなかったので次回の楽しみにとっておこう。) ゆっくりと森の中を歩くと、初夏の心地よい日差しと新鮮な木々の緑に心が軽やかになる。滝に心惹かれるのはどうしてなのだろうとふと思う。しかし、この初夏の鮮やかな緑の森の中では、そんな理由や動機を論理的に説明しようと試みること自体が場違いなように思えてくる。今日は何も考えることなく、降り注ぐ光や木々の呼吸や、滝壺から渡ってくるミストを浴びているだけでいいのだ。僕はジーンズの裾を捲くり上げ透き通った水の中をゆっくりと進み、滝に向って何度もシャッターを押した。
(熊避けにハーモニカを吹きながら森の中を歩く。内心ではむしろ熊を誘っている?)
(竜返しの滝にて)
PS
滝めぐりをした後は旧軽井沢の町へ。
中山道の宿場町のひとつであった軽井沢は、明治時代には宿場町としてはいったん廃れてしまう。しかし維新後の「信教の自由」という恩恵を得んがために欧米から来日したキリスト教宣教師たちによって再発見されたことで、避暑地・軽井沢としてリブランドされ再び人々を集めていく場所になっていく。そのきっかけをつくったといわれるのがカナダ人宣教師のA・C・ショー。彼はこの遥か極東の地に自身の故郷の風景を見出し、その魅力を知り合いの宣教師たちや、欧米文化を吸収したいと躍起になっていた当時の日本人文化人や知識人たちに語り広めた。そしてゲストハウスを建て彼らをこの地に招き入れた。それが別荘地・軽井沢の発祥だそうだ。1910年代には西武、東急などがリゾート開発を進め、現在につながる瀟洒で異国情緒溢れる国内有数の避暑地となった。
A・C・ショーが軽井沢に建てたゲストハウスと教会を観にいく途中に、地元の写真屋のショーウインドーにこんな写真があり驚いた。望郷の思いか、あるいは夢のような幻想か、いずれにしても人を惹きつけるのは、「ここにはない何か」なのではないだろうか。それは今も変わらない。混み合う軽井沢の町中を歩きながら、ふとそんなことを思った。
2009.06.04 (Thu) Waiting for a friend
久しぶりのシブヤセンター街。
婆娑羅か、お前らは、とタムロしてる連中にいっても分からないだろうし、そもそも婆娑羅でもないので言っても仕方ない。
何に飢えているのか、あるいは何かに飢えたことでもあるのか?
シブヤなんぞに行くのは、友人に会うため。友人、いや戦友。
お前はHOMEがあるからフローティングしている。俺はHOMEがないからステイしている。
表と裏。だから面白いわけ。
安物のワインを呑み、シブヤセンター街クオリティのピザをつまむ。
これが子供達をだます街、子供達をだますクオリティ。
久々に覗いたセンター街HMVのロック売り場はまるでちょっと前のクラシック売り場のよう。
まばらな客、だけどそこに居た少女の眼は良かったな。
何があってもロックは聴け。他に何を聴くわけ?
1Q84、あと残り1/4。