これまでに撮影したネガを毎日少しずつ少しずつ見返している。
何を見て来たのか、何を見ようとしてきたのか。
あるテーマを立てて、計画を立てて、撮影し、まとめ、発表する。それは、無意識化に渦巻いている「なにか」を可視化するためのひとつの有効な手段であるとは思う。選び抜いた「コトバ」が、そのコトバの直接的な意味を遥か超えていくように。いつもそう思っている。でもしかし、そのアプローチは必然として、やはり何かを切り捨てていくことにもなる。それはそれでいいのだけど、それでも何かが気になる。
今はあえて、脈絡もなく、ただ自分がこれまでに見て来たものをもうひとりの自分が見るという、そんなあてのない「旅」をしてみたいと無性に思う。自分の無意識の森の中をぽつぽつと歩いている感覚。どんな木の葉が落ちているのか、どんな小さな花が咲いているのか、どんな人に心惹かれたのか。
見ることは自分をつくること、だとしたら、その意味では、「何を見て来たのか」を見返すことは、何になろうとしていたのか、何になりたいと思っていたのか、を思い返すということなのだろうか。
2010.06.12 (Sat) travelogue #36 "an early summer day"