パリに着いて2日目、いきなりPCのモデムがぶっ壊れた。
ということで、実は今ベルリンです。
何故か奇跡的にホテルの部屋からワイヤレスネットワークをキャッチ。
勝手に誰かのネットワークを使ってこの日記を書いています。
といってもいつ切れるやら。「とても弱い」という受信状況なので。
しかも何故かメールは受信できず。なのでこの数日間メールは不通のまま。
勿論、毎日写真は撮り続け、日記も書き続けているので、日本に戻ったらアップしたいと思っています。
ということで。慌しいですが、書いている間にワイヤレスネットワークが切れるかもしれないので、今日の1枚だけ載せておきます。ベルリン・動物園駅。10年以上前だけど、U2の曲でも唄われた場所だと思うと感慨深いものがありました。
ではまた!
2004.09.26 (Sun) 雲を見下ろす
夕方、パリに到着。
機内では、池澤夏樹の『夏の朝の成層圏』を読みふける。ちなみに隣の寡黙な外人はマイケル・ムーアをずっと読んでいた。『Where's my country?』
頭上の空の写真を展示しているときに、今度は空から地上を見下ろしているというのも面白いもんだなと思い、本を読む合間に、ずっと機内の窓から空と雲ばかり見ていた。
ずっと何時間も見ていたのだけど、気に入った空の風景はこれ。小さな雲の群れが果てまで並んで浮かんでいた。どこかチャーミング。
日本海を越えて、ロシア上空に差し掛かった時には全く雲ひとつなく、眼下に陽の光を受けてギラギラと輝く生き物のような河が荒地を縫うように流れていた。こんな風に何時間も眺めていても全く飽きることがない。
いつもパリに着くのは夕方、今日も空は曇り空。
明日からは仕事です。
2004.09.24 (Fri) 明日からパリです。
今日は夕方、蜷川実花さんの(そして僕の)WebサイトをデザインしているJBこと、James Bowskillに某雑誌の取材の仕事でインタヴュー。お互い良く知っている存在だけど、改めてJBのデザイン哲学、アプローチを聞けてとても勉強になった。その中で、彼が英国のアートスクール時代に先生から教えてもらった言葉を僕も教えてもらった。
『デザインとはKiSSである。』
K.I.S.S.=Keep It Simple and Stupid。
デザインというのは、デザインされる対象と見る・触れる・使う側との間にデザイナーという存在が見えなくなる瞬間に成功するのだと思う。
その意味で、このK.I.S.Sコンセプトはとても納得できる。
この続きは、近々このWebサイトでも紹介できればと思っています。とても面白いので楽しみにしてください。
明日からはパリへ。パリに数日滞在した後、ベルリンに行って、その後、ステュットガルト~フランクフルトのドイツ古城街道方面へ出掛けてきます。
2004.09.22 (Wed) Soul Of A Man
六本木のヴァージン・シネマでヴィム・ヴェンダースの『Soul Of A Man』を観る。
ブルースミュージック生誕100周年を記念してマーティン・スコセッシが総指揮をとって企画した『The Blues Movie Project』全7本の映画のうちの1本。
10代の頃ギターを手にして初めて組んだバンドが、CreamやEricClapton、JimiHendrix、MuddyWatersといったブルースやブルースロックのコピーバンドだった僕にとっては、何か自分の思春期を思い起こす感慨深い機会となった。そのバンドはバーボン・ウイスキーの名前を冠したバンド名で、今思えば気恥ずかしくなるような名前だった。先輩の好みで結成されたバンドにサイドギターで入れてもらった僕はその時ブルースという音楽も初めて聴いた。酒はバーボン、煙草はキャメル。ギターのヘッドに吸い掛けの煙草を挿してギターを弾いたり、煙に涙目になりながらくわえ煙草でテレキャスターをかき鳴らしたりしていた。今思えばブルースミュージックの深遠なる精神世界なんてクソガキにはほとんど感じとる能力などなく、見様見真似のコピーをこなすのが精一杯だった。今でもこそ、あの時はもっとこんな風に弾いたり、聴けたりしたなと思えるが、それも年を重ねた今だからこそ言えることなのだろう。
ヴィム・ヴェンダースは『Soul Of A Man』の中で、Blind Wille Johnson、Skip James、J.B.Lenoirという3人をフューチャーする。この3人のブルースマンを取り上げているところで既に相当のブルースファンであることがわかるけど、特に映画の中でJ.B.Lenoirを取り上げる時に、若い頃のヴェンダース自身の姿が映画の中に登場するシーンがある。僕自身はそのシーンが妙に可笑しく、そしてなんだか嬉しかった。ヴェンダースもクソガキだったんだな。
2004.09.20 (Mon) 空を見上げる
『HEAD TO THE SKY』。
このタイトルは世田谷233のオーナー中根大輔が付けてくれた。
部屋というよりも、少し大きめの「白い箱」を借りることになった僕はすぐにその箱の中で空の写真を展示したいと思いついた。何故だろう。でも僅か30×30cmの小さな箱が様々な色や個性でキラキラと輝いている奥に、空があったらいいなと、シンプルに、直感的に、そう思いついたのだった。 そしてそれは、毎朝出掛ける前に頭上に広がる空の写真にしたいと思った。
頭上の空。標準やや広角のレンズで覗くそれはとても不思議だった。
とても遠くにある気がして見上げると、それは意外にもすぐ手が届きそうな近いところあった。しかし翌日にはやはり空は遠く彼方に存在している。 風に流される綿のような雲は繊細な編み上げられた工芸品を思い出させた。風に千切れていく雲の切れ端は大きな雲から離れていくことをむしろ喜んでいるいきがった放蕩息子のように軽やかだった。上空を横切っていく鳥に出会うこともあった。彼らはいつも電柱の上に止まっている身近な烏たちとは何か違う世界を飛んでいるように見えた。真っ直ぐに覚悟を決めて空を飛んでいた。どこまでもいってもフォーカスが合わない日もある。そんな時、空は空ではない何か不思議で圧倒的な存在に思えた。ほんの数歩歩いてみると、意外にも空はすぐに表情を変えた。空は「空」ではないのだな、と思った。僕の頭上にあるのは、僕の頭上にある「固有の空」だった。そして瞬間的に表情を変えるその固有の空には僕は二度と出会うことはなかった。
僕が毎日やっていることといえば、とてもシンプルなことだ。 ただ朝起きて古いカメラを抱えて外に出て、それを頭の上にかざし、自分の真上にある空に向かってシャッターを押すだけだ。箱のような四角い古いカメラは掲げる姿はまるで空にお供え物を捧げているようだ。 空、カメラ、僕が一直線になる。 フィルムも同じ、プリントも同じデータ。しかし、いくらシンプルにしても、四角い窓を通して出会う物語は日々新しくなり、懐かしくなり、新鮮な発見を僕に与えてくれる。 頭上の固有の空は、僕の中に固有の物語をつくりだす。
そんな風に撮った1枚を中根さんに見せたとき、彼は「HEAD TO THE SKY」というコトバを呟いた。これは彼が長年愛している音楽のタイトルらしい。 そして世田谷233という場所をオープンして以来、いつかこのコトバを表すような企画をやってみたいと思っていたそうだ。 そんな偶然の一致で、今回の写真展の内容は一瞬にして決まってしまった。 偶然は必然でもある。 きっと僕も中根さんも同じことをどこかで感じていたのだろう。
中根さんとはもう10年来の付き合いが続いている。
今では様々な人が行き交う魅力的な場所に成長した世田谷233だが、オープン当日、真っ白な箱だけが並んだ殺風景な空間にぽつんと座っている中根のことを僕は覚えている。
この場所で、僕ができることといえば、僕が見つけてきた固有の物語を中根さんやこの場所に集う人たちにそっと持ち寄ることなのだと思う。
沢山の物語がこれからもこの場所に集まることを願って。
2004年9月 鷲尾和彦
2004.09.18 (Sat) 久々にまわしました
昨晩、『三軒茶屋エクスペリエンス』のプログラムのひとつ「Ex-Gathering」というパーティで久々にDJプレイ。恵比寿MILKで回していたのが既に3年前。ほんと、久しぶり。
でも結局昨夜も最後は、DJ DISKこと盟友・中根大輔と1曲ずつ交代しながら選曲する掛け合い漫才式DJプレイに。これが楽しい。
[WASHIOの選曲に合わせて唄う中根大輔....]
昨夜の最後は、BOB MARLEY “EXODUS”。
大きな音で音楽を楽しむ、こういうシンプルなことがやっぱり最高なんだな。
2004.09.17 (Fri) DJ KRUSH
SONYのオンラインマガジン「Grami」の取材で、DJ KRUSHさんに会う。
23日から始まる全米ツアーのリハーサルを行っている都内某スタジオ。
KRUSHさんは予想通り、まさに「職人」というコトバがぴったりの人だった。
丹念にひとつひとつの音を探り当て、積み重ね、構築し、自分の内側に浮かび上がる風景を
「音楽」として描き出すこと。日々そのことをストイックなまでに続けている姿は、
彼の表情やコトバの端々にくっきりと現れていた。
新しいアルバム『寂(Jaku)』は、津軽三味線の木乃下真市さん、尺八の森田柊山さん、和太鼓の内藤哲郎さんといったアーティスト達を招いた内容、ここのところ毎日聞いている。それはインタヴューのためというだけでなく、心底このアルバムに魅了されてしまったからだ。
トラディショナルな音楽がこんなにスリリングなものなのか、僕はこのアルバムを聞いて本当に吃驚した。高らかにナショナリズムを叫ぶどこかの政治家や概念が先行しがちの評論家よりも、よっぽど雄弁にこの国の魅力を理解し、そしてそれを世界中に伝えていくチカラがこのアルバムにはある気がする。
「モノづくり」とあえて言ってしまうけど、まさにその手でモノをつくりだす職人の魅力と強さを久々にダイレクトに感じることが出来た豊かな時間だった。
2004.09.16 (Thu) Head To The Sky
深夜1時、展示準備完了。
2004.09.14 (Tue) 15空
先週末、暗室に入り世田谷233での写真展用のプリントを焼く。
『HEAD TO THE SKY』。タイトルそのまま真っ直ぐ自分の真上にある空を撮った写真。
6×6のスクエアなフォーマットで切りとった空を「15空」選んだ。
今日はそのう「2空」のスキャンデータを持って目黒のアジアンカルチャーオーガナイズまで出掛け、1メートル弱の大きなサイズに出力した。
ロンドンから今朝帰ってきたばかりのJBがMac出力を手伝ってくれた。おかげでバッチリな作品に仕上がった。いつも本当に有難う、JB。
木曜日に都内スタジオで海外ツアーのリハーサル真っ最中のDJ KRUSHのインタヴューと写真撮影が出来ることになった。さっそく、明日の帰りに渋谷のHMVでDJ KRUSHの最新作『寂(Jaku)』を購入。海外での先行発売なのでまだ一部の店舗で輸入盤しか手に入らないそうだ。
今晩は残りの「13空」のパネル貼りを行いながら、『寂(Jaku)』を聴き続けている。
2004.09.13 (Mon) 新作です
日曜日、夜10時。『三軒茶屋エクスペリエンス』のために作品を搬入。
1m近くのインクジェットプリント1点、それと土曜日の夜に暗室で焼いた新しい写真を4点。
こんな感じです↓。
2004.09.11 (Sat) 固有解
SONYが主催するオンラインマガジンの連載ページのために、建築家の清水勝広さんを取材する。
清水さんは、建築は「施主と建築家が一緒に旅をするようなもの」と言った。
「ヨーロッパに行くのに、シルクロードを通るのか、タイ経由で南まわりで行くのか。最終的に辿り着いたカタチは一緒でも、その旅路の途中にはルートによって建築家自身、施主自身が思いもよらなかった発見や経験や記憶がある。そしてそれが大切な固有の価値になるんです。今は施主と自分だからこそ手に出来る『固有解』をひとつひとつ探しています。その先に初めて『普遍解』を見つけることが出来る気がするんです。」
そんな清水さんの言葉がとても印象に残った。
最近本屋の店頭に行くとなんだか「人生の勝ち方」マニュアル本がやたらと多く並んでいることに気がつく。どうやったら早く、小賢く、無駄なく、成功できるかをうたうこれらの書籍を手にしたいという気持ちを持つ人が居るのも判らないわけではないけど、何か目の前のことにひとつひとつ自分なりの答えを手探りしていくという清水さんのある意味地道でリアルな姿勢に僕はとても共感することが多かった。効率性の追求の中で見失いつつあるのは、こうした生っぽい時間を過ごすということなのかもしれない。それが一番楽しいし、そんな生っぽい時間を沢山持った人の人生って豊かだし、また誰かからその豊かさ故に必要とされるのだろうと思う。
「『普遍解』は60歳になった時くらいに見つかっていればいいですね。」
がっしりした体格の清水さんがそんな風に飄々と話す姿はなんだかとっても気持ち良かったです。
2004.09.10 (Fri) 八重山行き
10月6日から沖縄・八重山諸島に行ってきます。
去年と同じくバースデイ割引を利用、助かりますこのサービスは。
誕生日当日に日本最南端の波照間島まで渡りたかったのだけど、
結局石垣島の離島桟橋から出る船の最終便に間に合わず、
その日は独りで石垣島の宿で過ごすことになりそうです。
2004.09.09 (Thu) アート
ドイツ人のキュレーターに会う。世界規模でアーティストのリサーチをしているということで、写真家の知人から紹介を受けた。東銀座にある銀座東急ホテルのロビーで『ACROSS』のシリーズを見せながら1時間ほど話をした。「いくつかのアジアの国をまわり、最後にベルリンに戻ってきたときに頭の中に浮かんだ作品があったら、それが自分にとっては重要な作品ということだね」っといいながらブックから何枚か野写真を取り出し、デジカメで撮っていた。結局なにか取り留めのない話だけをして別れた。東銀座の駅まで歩きながら「東京は本当に物価が高いね。ちょっと前までチューリッヒに居たんだけど、その後ベルリンに戻ったらインフレでベルリンも凄く物価が高くなっていた。僕はフランスの奨学金を受けながら世界を回っているんだけど、45歳にもなってフランスから金を借りるなんてね」と、少しだけ笑いながら彼はそう言った。「でも僕にはアートのことしか興味がないんだから。」
僕が撮っている写真が果たして彼の記憶に残るのか、どうかは分からないし、そもそも自分が撮っている写真がアートなのかどうかも分からない。しかし彼が最後に残した言葉がずっと僕の中に残り続けた。
2004.09.08 (Wed) 野田知佑『旅へ』
野田知佑さんの著書『旅へ』を読んだ。
カヌーイスト、ハーモニカ奏者としての野田さんの存在は知っていたが、野田さんがどんなきっかけでカヌーイストとしての人生を選ばれたのかは知らなかった。
この本には大学を卒業した野田さんの日本や世界各地への旅の軌跡、そしてカヌーという存在に出会うまでの経緯が記されていた。
著書の中で野田さんはいつも苛立っている。
『あの下らない、愚かしい大人たちのいう「人生」というものに喰われて堪るか。(中略)
「真面目になって就職しろ」としかいえない奴ら。俺はあいつらよりも何倍も何十倍も真面目だぞ。それから二十数年経った現在でも、ぼくはその頃の大人たちに怒っていて、決して許さんぞ、と思っている。』
旅の道中、野田さんは自分の身体を疲れるまで動かし続けることでその苛立ちにひとりで向い合った。ヒッチハイク、野宿、泳ぐ、潜る、魚を手づかみで捕まえる、歩く、踊る。
苛立ちの中、くたくたになった先に見つけたのがカヌーだった。
カヌーに出会えた野田さんは幸せな人だと思った。
野田さんの苛立ちや熱が真空パックになって詰まったままのこの本はとっても痛かった。読みながら僕はずっとひりひりしっぱなしだった。
2004.09.07 (Tue) 新連載『BOY'S LIFE』
SONYが主催するオンラインマガジンでの連載が決まった。テーマは『BOY'S LIFE』。
ポートレート写真とインタヴュー。今回はアーティストだけでなく、若い政治家や職人達、また出来れば冒険家の人にも会いたいと思っている。
とりあえずこの秋から年末までの6回分が決定していて、第1回目は9月末頃に掲載される予定。20~40代の男性をターゲットにしているオンラインメディアという媒体で何を連載しようか、と考えたときにこの言葉がぽっと浮かんだ。
読者をイメージすると、目の前の現実に対峙さざるを得ない、もしくはそんな状況を受け入れざるを得ない人々が非常に多いと思う。その中でStruggleしていく人々にとってこの企画がささやかな糧になれば、と思ったからだ。
オンラインマガジンだからこそ、チカラが満ちてくるような話と写真を提供できたらと思っている。
2004.09.06 (Mon) 寝床
ようやく暑さも鎮まってきて夜も寝やすくなったと思ったら、このところ愛猫のちーこが毎晩この調子でベッドの上から離れない。秋を迎えてどうやら家の中で最高の場所を見つけたらしい。マイナスイオン効果があるという毛布がこの秋の奴の寝床になったようだ。
音楽が大好きなので、心地よい音楽を流したりすると本当に気持ち良くなってしまってその場を動かない。でもしっかり耳だけはちゃんと音楽に傾けている。
ちなみに、今日のBGMはローラ・ニーロの'71年フィルモアイーストでのライブ。
2004.09.05 (Sun) 声
一昨日の日記で書いたJames Taylorのライブを僕は一度だけ観たことがある。
1997年7月3日、トロントのMolson Amphitheatre。
偶々訪れていたその街の新聞で彼がライブを行うということを知って当日券を買い求めた。そこは湖畔近くにある大きな屋外の会場で、屋根のついたステージの前には座席が用意されているものの、後方の方は芝生の自由席という造りになっていた。
当日券で入った僕は勿論その芝生の自由席だった。
チケット代が幾らだったのかは忘れてしまったけど、たぶん少し値段が安かったような気がしている。初夏のまだ少し肌寒い季節、空はあいにくの曇り空で、夕方からは雨という予報だった。それでも会場にはライブが始まるかなり前から実に様々な年齢層の人たちが詰め掛けていた。
カーディガンをはおった老夫婦が仲良く寄り添って座っている隣りでは、幼稚園くらいの子供を肩車したがっしりした体格の父親がじっとステージを見据えて立っている。パンクス風に赤い髪を染めたティーンエイジャーの女の子が同じような格好をした友達と一緒に前の方の席を確保しようと小走りにその横を通り過ぎていく。地元の仲間達らしい男達は肌寒い空の下、テンションをお互いに上げようというのか、ビールを飲みながらいつもより少し大きな声で談笑をしている。
少し離れた芝生の上にはジャグラーがいた。キュキュと音を立てながら風船を膨らまし、慣れた手つきで素早く子犬やウサギを作っては子供達にプレゼントしている。さきほどの肩車の子供はそのことが気になって仕方ない様子で背が高い父親の肩の上でキョロキョロしている。父親はそっと小さな声をかける程度で、しっかりその子供の身体を支えて立ったままだ。
そんな風に様々な人たちが、それぞれの楽しみ方でじっと彼がステージに現れるのを待っていた。
これまでに海外でライブを何度か見たことはあったけど、この時のようにとてもピースで、とてもリラックスした空気を感じたことはなかった。適度な緊張感とリラックスした空気がとてもいい配分でミックスされていて、誰もが音楽の楽しみ方をとてもよく知っているような気がした。そして会場の誰もが心からこのライブを待ち望んでいることが伝わってきた。
それだけでも何かこの場所に居合わせたことを僕は幸運に思えてきた。
そしてゆっくりした時間が流れていく中で、彼はとても静かに現れた。まるで穏やかな時間の波を上手く乗りこなすような老練なサーファーのような巧みさを僕は感じた。ステージに上がってくるその振る舞いを見れば、そのアーティストが優れた存在かどうかどうか判る気がする。大げさに聞こえるかもしれないけど、何か気配としてそのことが伝わってくるように思えるのだ。そしてまさに彼はそんな風に登場した。
そして本当に優れたアーティストであるかどうかは、その後の第1声において確信できる。
小雨が降り出してきた中を、ゆっくり彼はギターの弦を揺らして唄いだした。その声はそっと、風船を貰って喜んでいる芝生の子供の上や、微笑む老夫婦の上や、高ぶった気持ちが今にも身体から飛び出しそうな若いパンク少女の上を吹き抜けていった。
その初夏の風のような歌声がさっと吹いた直後、子供を肩車したさっきの父親が僕の隣で思わず独り言を呟いたのが聞こえた。
「That's voice....」
雨は徐々に大粒になっていった。それでも会場の親密な空気は壊れることはなかった。そして降り続く雨の向こうから僕らに語りかけるような彼のその声が響き続けた。
James Taylor - Molson Amphitheatre, Toronto - Jul 3, 1997
2004.09.03 (Fri) 宵秋の音楽
James Taylor 『Mud Slide Slim And the Blue Horizon』。
1971年にリリースされたJT3枚目のアルバム。
このところ夜寝る前にはいつもこのアルバムを聴いている。
丁寧に紡がれた楽曲は何度聴いても決して飽きることはない。
むしろ少しずつ涼しく過ごし易くなっていく秋の入り口の夜には、
彼の繊細な歌声やギターの響きの心地よさがぴったりで、
その魅力を聴くたびに再発見している。
お薦めです。
2004.09.02 (Thu) Under The Moonshine [part.3] Dialoue with Jack Johnson
JACK JOHNSON (1) 2004.08.06.TOKYO
W:フジロックのゲートの前で君の奥さんやご両親、それに息子のMoeちゃんにも会ったよ。その時に撮影したポートレートを持ってきたんだ。
J:本当に?ありがとう。ちょっと待ってて、ちゃんとバッグの中にしまうから。
W:去年の朝霧Jamと今年のフジロック、何も変わっていないことが僕には凄く嬉しかったんだ。
J:うん!
W:この一年間でミュージシャンとして発見したことってある?
J:正直、僕自身はあんまり自分のことをミュージシャンだと思っていないんだ。 ギターのコードは弾けるけれどね。どちらかといえばソングライターみたいな存在だと思っている。だからいつも曲を書いてるだけなんだ。今年はTommy GuerreroやMoney Markともプレイした。自分が尊敬するミュージシャンと演奏することがとても嬉しいんだ。これが僕の1年間ってところかな。人に出会って一緒にプレイする、そういうことなんだ。
W:CDで聞いている時はとてもアコースティックな感じだけど、ライブではフロー、波をより強く感じるね。
J:そうだね。スタジオにいるときは、アコースティックで2人くらいの友達、バンドメンバーがいるだけだからね。誰かのために演奏してるわけじゃないからね。リリックのことだけに集中しているから。ライブは、聴衆からのエネルギーを感じながら演奏するから、もっとダンスできる感じになるよね。もっとスピリッツな感じかな。レコードはBBQなんかでかけられたり、車で走りながら話をしているときにかけられたりするから、もっとメローな状況で聞かれるよね。だから、この2つは違った意味をもつことだよ。
W:君の歌からは映像がとてもクリアに浮かんでくる。忘れられない光景を描くように曲をつくっている、そんなことを想像していたんだけど。
J:僕の曲のつくり方は、3つか、4つのパターンがある気がする。そのひとつは、自分の妻を笑わせる曲を作るっていうことだよ! 『BubbleToes』とか『Wasting Time』、『Tomorrow Morning』とかね。これらはライトハートなラブソングだよ。それからTVを見たりして、何かすごく腹が立つことが起きたりして、それを曲に書いたりもするし、あとは誰か辛いときをおくっている人を見た時に、曲を作ってあげたいって思うこともある。少しでも気分を和らげられるような曲をね。実際に曲を仕上げるには少し時間がかかるから、結果的にある特定の人のためではなく、同じように辛い思いをしている沢山の人達に向けてつくっていることになるんだけど。
もともと僕は家族や友人がBBQなんかで集まったときにギターを弾いてたんだ。ビートルズとかボブ・マリーとか、皆と一緒に歌を唄うためにね。そして、僕は甥や姪や、兄弟のために曲を書くことから始めたんだよ。誰でもいい時間もあれば、悲しい時もあるんだ。痛みを経験することもあると思う。
僕はそんな近くにいる人たちのことを思って曲を書いているんだと思う。
(to be continued)
© 2004 Washio Kazuhiko
2004.09.01 (Wed) 夏の終わり
9月を迎えても、まだ太陽は頑張るのだ。
© 2004 Washio Kazuhiko