2006.04.26 (Wed)  写真展 『THE EXPOSED of the art 』

一昨日ハワイから帰国したですが、明日からはバリに出掛けてきます。帰国はGW最終日なのですが、実は5月3日から大阪で始まる『THE EXPOSED of the art 』という写真展に参加しています。今回は編集者の後藤繁雄氏とメディアアーティストの椿昇さんのお二人がキュレーションして、16人の写真家達が参加するというユニークな企画です。展示設営やオープニングに参加できないのがとても残念&スタッフの皆さんには大変申し訳なのですが、会期中には後藤さんと椿さんのトークイベントや、ウェブ上で後藤さんの「写真問答」という企画(これ、僕も参加する予定です)も関連して行われるようなので楽しみにしています。
今回は16名参加ということで、スペースが限られているのですが、僕は18点ほど出展する予定です。
というわけで、昨日から出展する写真をセレクト。いつもの通り、写真を選ぶのはチロです。なまじ僕の煩悩や思惑が入り混じった頭よりも、奴の直感と心眼の方が正しかったりするわけです。大阪近郊にお住いの方は、ぜひお越し下さい。




2006.04.25 (Tue)  ハワイから帰国

昨日、ハワイから帰国しました。
マウイとオアフの2つの島に滞在、しかもたった5日間。なのに、様々な幸運な出会い、喜びと悲しみ、笑いと怒りに満ちた濃い日々でした。
ネガティブな話しはやめておきます。結果的に僕は沢山の幸運に恵まれ、今回の旅の目的を達成することが出来たので。結果オーライです。

さて。
仕事の方はというと、19日マウイ、22日ワイキキでそれぞれ開催されたKOKUA FESTIVALを取材。合わせて、ALO、Jack Johnsonにインタヴューしてきました。近く某雑誌で掲載されますので、また追ってご報告します。マウイではバックステージで、昨年このフェスに出演したJackson Brownが遊びに来ていて、しばらく彼とも話しをしました。僕は中学生の頃以来、彼の音楽を本当によく聞いてきました。まさにフェイバリット・アーティストの一人でもあるのですが、話してみると、本当にあの楽曲の通りの人でした。繊細で、そして生真面目。僕がKOKUA FESTIVALの魅力に関して訪ねると、一言一言的確にとても丁寧なコメントを返してくれました。本来、優れたアーティストというのは皆そういうものなのだなとつくづく痛感しました。彼と会った瞬間、はっとした表情で、「君のこと知ってるよ、前に会ったことあるよね」と向こうから話しかけられたのには驚いたけれど。
Ben Harperは家族連れで来ていて、僕はドレッドヘアが最高にチャーミングな彼の子供たちのポートレートも撮影しました。Jackの子供のMoeちゃんもすっかり大きくなっていて、奥さんのお腹の中には既に2人目の子供が居ました。会場の方にも、若い音楽ファンだけでなく、家族連れのお客さんたちががとても多く詰め掛けていました。このフェスティバルが、子ども達のための環境教育プログラムを活動目的にJackたちが立ち上げたKokua Foundation主催であることはそうした会場の様子が何よりも物語っていました。なので、出演者のステージ写真よりも僕の関心はこの会場に来ているお客さんたちの方に惹きつけられていました。
Jackson BrowneがJack JohnsonとBen Harperの2組の家族を指差して、僕に「これがKokua Festivalなんだよ」と言ったのがとても印象的でした。

僕はデジタルカメラも普段から使っていますが、今回はあえてフィルムで撮影しました。
よって現在は現像中。写真がここでアップできないのが残念ですが、誌面の方を楽しみにしてください。



2006.04.18 (Tue)  KOKUA FESTIVALへ

今晩の飛行機でハワイに行ってきます。
マウイとワイキキでのKOKUA FESTIVAL2ステージを観て、合間にノースショアでALOに取材。パタゴニア・オーシャン、マネージャーの永井さんからご紹介頂いた、ブライアン・ケアウラナ、ジョージ・ダウニングにもお会いしたいと思っている。ノースは、パタゴニア・ハレイワのスタッフのご自宅にホームステイ、元気な子ども達が居るそうなので、週末鎌倉でお土産を買い込んだ。Jackの子供のMoeちゃんには、小さなオルゴールを買った。メロディはトトロの「風の通り道」。



2006.04.17 (Mon)  別れ

15年近くも乗ってきたフォルクスワーゲン・ゴルフIIブラックリミテッドをついに手放すことになった。このクルマは僕がはじめて買った車だった。もう3年もエアコンは効いていないし、カセットテープは入れても直ぐ吐き出してしまうし、スピーカーはヴォリュームのつまみをいじるたびにガリガリと大きな耳障りな音を立てるし、クラッチはもう磨り減って1速は殆ど入らなくなってしまっている。サスペンションも何度かの交換の時期が来ている。何年もこつこつと修ながら乗ってきたのだが、今、直すべきところを見積もるとなかなか馬鹿にならない金額になってしまった。去年から住んでいる家が山の中にあって、坂道が多く道も狭いため、左ハンドルマニュアル車がなかなか運転しずらくなったということもある。それで遂にこのクルマを手放すことに決めた。余りモノに愛着を持ちすぎても仕方ないのだけど、それでもやっぱり名残惜しいものがある。
先日は下取りの打ち合わせにきた自動車セールスマンが乗ったとたんに、いきなり窓が開かなくなってしまった。昨日まで何ともなかったのに。引き取られていくことを奴もちょっと嫌がっているようだった。昨日は最後の洗車して、家の前で記念撮影をした。その後、逗子から油壺までの最後のドライブに出掛けた。エンジンも小気味よく伸びやかに奴は走っていった。暖かな春の快晴の下、最後のドライブは最高に心地良かった。
夕方、帰り間際、長者ヶ崎の駐車場に泊めて、もう一度写真を撮った。夕陽の逆光に洗ったばっかりの真っ黒なボディを艶やかに光らせた後姿がなんとも凛々しかったので、もう一度その後姿に向かってシャッターを押した。



2006.04.16 (Sun)  春

ようやく春らしくなってきた。それで、iPODにJames Taylorのアルバムを何枚も入れてずっとリピートしている。『Sweet Baby James』『One Man Dog』『Mud Slide Slim And The Blue Horizon』『Gorilla』。ヘッドホンをして、ちょっと大きめの音量にして聞くと、これまでには気付かなかったストリングスやアコースティック・ギターの小さな音色を改めて発見したりする。まるで春先の畦道で土筆(つくし)の小さな頭を見つけたようだなと、横須賀線に揺られながら、外の風景を見ていて思ったりした。



2006.04.07 (Fri)  フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」2006

リクルート社のガーディアン・ガーデンが主催するプロジェクト『フォト・ドキュメンタリー「NIPPON」2006』に参加する写真家として選考された。毎年5名選考される写真家は、写真展の開催と写真集の作成に参加することになる。このプロジェクトに応募したのは、そのテーマが自分自身のテーマであるということに尽きるわけだが、その後、1週間の写真展の開催が出来ること、そしてその後はこのプロジェクトに参加することになった他の写真家と協働で写真集を作り、それが日本国内だけでなく海外でも出版される、ということが大きい。つまり、凄く単純に言うと、「写真を見てもらえる機会」が増えるからだ。ちなみに僕は7月10日(月)~15日(土)に東京銀座のガーディアン・ガーデンで写真展を行うことが決まった。ぜひとも多くの方々に見ていただきたいと思う。

60年代後半、シカゴの公民権運動を展開する学生団体SNCCの専属カメラマンとしてそのキャリアをスタートさせたダニー・ライアンは、1966年ジョージ・イーストマンハウスで開催された『Toward A Social Landscape』展に、Bruce Davidson、Lee Friedlander、Garry Winogrand、Duane Michalsらとともに参加し本格的に写真家としての活動を加速させていく。60年代のCIVIL RIGHT MOVEMENT、シカゴ周辺のバイク乗りとアウトサイダー達、テキサスの収容された美しい男達、壊され行くマンハッタンのビル群、ラテンアメリカのストリートチルドレン、ハイチ2月革命、抑圧を受けながら僅かな居留地に身を寄せて暮らすアメリカン・インディアンたちの誇らしい肖像。そしてNY州の草原に住む自身と家族のポートレート。全て彼のテーマは「アメリカ」という彼の足元にあった。
今晩、ダニーに手紙を書こうと思う。



2006.04.07 (Fri)  『The Last Great Daniel Johnston』

Daniel Johnstonの『The Last Great Daniel Johnston』がこのところのヘビーローテーションだ。
このアルバムはDJ本人のオリジナルヴァージョンのベスト盤と曲順もそっくりそのままでBeck、Tom Waits(勿論、ギターはマーク・リボー)、Death Cab For Cutie、Teenage Funclub、Eels、TV On the Radio、Bright Eyes、Sparklehorse&Flaming Lips、 Vic Chesnutt、Calvin Johnsonなどそうそうたるアーティストのカバーアルバムとの2枚組み。
DJの楽曲を始めて聞いたのは10年程前。映画『Before Sunrise(恋人までの距離)』のエンディングに使われていた『Kathy McCartyによる『Living Life』のカバーが最初だった思う。(ちなみに僕は一時期この映画の音声をカセットテープに録音してずっと繰り返し聴いてすごしていたことがある。映画の中で主人公2人が街中のレコード店に入りレコードを視聴するシーンがあるんだけど、あの曲はなんだっただろう? 知っている人がいたら教えて欲しい。) 

Kathy McCartyの『Living Life』はこのアルバムには入っていなくて(彼女のカバーは別途『Dead Dog's Eyeball: Songs of Daniel Johnston』に収録されている)、代わりにEelsのヴァージョンがこのアルバムには収録されているのだが、これもとても素晴らしい。でも、カバーもいいが、やっぱりDJのオリジナルには及ばない。そりゃそうか。
ビートルズとお化けのキャスパーを愛する孤独なシンガー。たった一人で自宅のポータブルレコーダーに向かい調子はずれのピアノを弾きながら自作の曲をカセットテープに吹き込み続けた。そしてひとつひとつダビングしては街角で売り歩いた。

「一人でも出来るんだ。」 DJの曲を聞くと、それがどんなに惨めで悲しくて情けなくても、最後には心が晴れやかになるのは何故だろう。
例えば、最近ブログだとかポッドキャストだとかが普及してきて、「これからは消費者がメディアを支配する時代だ」などとのたまう「煽り屋」が多いが、それはきっとそういう経験と実感を持ったことが無かった連中なんだろうと僕は思う。こうした新しいネットのツールは「ちゃんと自分一人でつくって仲間を集める」手段であって、そういうインディペンデントな意思を持った人間は昔から当たり前にやってきているわけだ。例えば先日の日記に書いた佐野元春さんにしても、FMラジオ→カセットブック→雑誌→インターネット→コミュニティウェア、ブログなんていわなくても「ハートランドの手紙」を綴ってきている。
DJはカセットテープを1本1本手作りで売り歩いた。それは彼と世界を繋いでくれるものだった。そのことを思うと何て現在は恵まれた時代なんだろうと思う。問題は、DJのように歌いたい歌があるかどうか。結局はその事だけなのだと思う。ツールが人を繋げるのではなく、「歌」が見知らぬ誰かとの出会いをつくってくれるのだ。




2006.04.03 (Mon)  佐野元春「星の下 路の上」ツアー最終日

大阪から戻ってきたその足で、東京駅から有楽町の国際フォーラムに向かった。
佐野元春&THE HOBO KING BAND「星の下 路の上」ツアー最終日。本当に素晴らしいライブだった。
演奏楽曲は80年代から現在までのまさに佐野元春スタンダードナンバーという内容であったが、全てのナンバーがフレッシュで瑞々しく、そして濃厚であった。ポップミュージックは時代性と、(必然あるいは宿命として)鮮度を求められる表現形態だ。そして、そんな宿命とともに歩きながら鮮度を維持し、またその味わいをより確かで濃い手応えに昇華させていくことは並大抵のことでは出来ないと思う。今回のライブは前回以上に、アレンジや演奏、構成力、そしてコーラスチームの新しい起用など、練りに練られた内容、戦略が見え、それが結果的に伸びやかな演奏を実現した。若さだけでは獲得できない、深く時代性を読み解いていく思慮深さや知恵がそこにはあった。
「鋼のようなウィズダム」。これは佐野さんの『Young Bloods』の中のワンフレーズだが、昨夜のライブはまさにその言葉がぴったりだった。そんな感想をライブ終演後、佐野さんに伝えるといつものようにとても真摯に僕の話しに向かい合って下さった。また佐野さんから大きな力を頂いたように思う。ただただ、感謝。



2006.04.02 (Sun)  伏見稲荷

朱色の鳥居が延々と続く参道。祖母に手を引かれた幼い子供が僕の少し前を登っていく。
その子供の後姿を見つめながら、僕は自分自身の子供の頃を思い出していた。
京都・伏見稲荷大社。ここに来るのはもう二十年以上ぶりになる。
幼少の頃、毎年元旦には必ず明け方前の列車に家族とともに乗り、実家の兵庫からこの京都伏見稲荷まで出掛けたものだった。鷲尾家の氏神がこの伏見稲荷に奉られているからだ。玉姫大神といい、この霊峰の三ノ峰に奉られている。
(うちの実家で昔飼っていた猫は、「姫」という名の白黒の美しい雌猫だったのが、その名前はうちの前栽にも奉ってある玉姫大神と彫った大きな石の上にある日突然現われたために、家族で名づけた。)

山に沿って延々と続く薄暗い朝の参道をゆっくり一段一段登っていく時のきりりとした感覚。吐く息の白さ。狭い参道をすれ違う見ず知らずの人々同士が、お互いに目が合うと軽く会釈を交わしながらそれぞれの巡拝の道を行くあの厳かな雰囲気。三つの峰々が連なる神体山と延々と峰をうねりながら続く朱色の鳥居が描き出す異界の風景。それらが子供心に忘れられない強烈な体験となって、僕自身の中に刷り込まれている。度々京都を訪れるたびに、伏見稲荷に参りたいと思いつつその機会が持てていなかった事がずっと気に掛かっていたのだが、今回仕事の打ち合わせの合間を縫って、数時間の余裕が出来たので、二十年以上ぶりに再び訪れてみたのだった。

京阪の伏見稲荷駅を下り、入り口の楼門を目にした時から僕の気持ちは高ぶったままだった。それはこれまで自分自身でも経験したことがない感覚だった。それは、「再びこの場所に来ることが出来た」ただただその喜び以外には全く何もないという奇妙な感覚だった。僕自身の身体全身がただひとつのとてもシンプルな感覚だけで満たされてしまったという感覚。これは我ながら奇妙でもあり、そして同時にとても軽やか気持ちでもあった。もう子供ではなくなってしまった僕はきっと例え何かに集中していても、どこかで雑念や、あるいは余計な気遣いや計算などなどが混じった「不純な」気持ちでいると思う。しかしその時僕の中には全くそのような余計なものがなくなってしまったわけだ。
その気持ちに突き動かされて、延々と続く参道を一人で登り続けた。これが宗教的な体験なのかどうかは自分では分からない。実際、僕は何かを祈ったり願ったりすることなく、むしろただここに居るのだ、この山道を歩いているのだということだけに充足感を感じていたに過ぎない。思い出にふける感傷的な気持ちでもない、そして「今、ここ」にいるというとてつもなくシンプルで静かで力強い気持ちだけがあった。

あの気持ちは何だったのだろうか、何と呼ぶのだろうか。
稲荷山から降りてきた後もずっとそのことを考えている。
そしてまたそのような感覚を味わうことがあるのだろうか、とも。



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