『君のことを思い出している
雨の中に静かに立っている君のことを
真夜中をゆっくりと駆け抜けて行く君のことを
雪の結晶よりも強く輝いていた君のことを
空に向かって叫ぶ君のことを
全てをあるがままに受け止める勇気を見つけた君のことを
君のことを思い出している
僕の腕の中に倒れこんだ君のことを
心が死んでしまうと泣いている君のことを
石のような真っ白な君の顔を
寒さの中で行くあてを見失い
暗闇の中をいつも迷っている君のことを
君のことを思い出している
ゆっくりと溺れて行く君のことを
天使のような君のことを
この世の全てのものよりも豊潤な君のことを
もしも相応しい言葉を僕が見つけることが出来ていたなら
きっと君の心を捕まえることが出来たのに
もしも正しい言葉を僕が思いつくことが出来ていたなら
僕は君の写真を今じっと見つめている。』
(The Cure / Pictures Of You)
2008.04.22 (Tue) 沖縄、カンカラ三線、ゼンジイ、捨て犬。
沖縄・東村でカンカラ三線を手作りする。三線づくりをお願いしていた地元の當山全次さん(ゼンジイ)は、「今日はプールの日やった」といって、早々にふらっと居なくなってしまい、「ゼンジイ、逃亡!」と、わが仲間たちとゼンジイが残した三線を見ながら、見よう見真似で作り出した。地元小学校の工作室。機械は揃っているので、なんとか2日かけて3竿の三線が出来上がった。写真は、名護ゲストハウスで翌朝撮影したもの。写真を撮っていると、猫のトラが近づいてきていい感じでポーズを決めてくれた。この三線の胴は小学校の給食室に捨ててあったパイナップルの缶を使ってる。
(Nago, Okinawa. 2008.04.18.)
でもどうしても気になるので、「残波」(白ラベル)の一升瓶を買って昨日作った三線を抱え、ゲストハウスに仲間を残し僕一人で名護から東村へ再訪した。ゼンジイを訪ねると、いつも無口なおじいは口元ににやりと笑みを浮かべ、「こりゃ、直さんとダメだ。糸巻きが出来てない、裏にちょっと来い」と、おもむろに僕たちがつくった三線を直しだす。(もちろん、おじいは昨日逃亡したことは全く忘れている、というか気にもしていない。) やがて30分ほどして見事に三線が、風に乗るようなあの音色を奏で出した。
(Higashison, Okinawa. 2008.04.18.)
このカンカラ三線が翌日多くの人の前で「ちんさぐぬ花」を奏でることとなる。
PS
名護から東村に向かう山道で、4匹の犬の家族に出会う。二匹の小さな子犬と親犬。近くにあった立て看板には「犬や猫を捨てないでください。」 きっと捨て犬が山の中で子供を産んだのだろう。スローダウンした車に近づいてきて餌をねだる。野生の動物なら対処方法は分かっているけれど、こういういったん人に飼われたことがある犬の場合はどうすればいいのか、としばし躊躇する。いや、今も正直よくわからない。ヤンバルの大自然の中で僕は途方に暮れた。
(Higashison, Okinawa. 2008.04.18.)
2008.04.14 (Mon) 休日
よくよく考えるとこの1、2ヶ月の間、ろくに休みを取っていないことに気づいた。
休んでいないどころか、自宅に戻る機会も少なくなって、殆ど「家なき子」状態。ただただひたすらにiPodを握りしめてロックミュージックを聞いていると、ホールデン・コールフィールドになったような気分に戻っていく。おまけに春先に買ったコートの皺の入り具合までもがいい感じにこの気分にフィットしていて、頭の中ではいつもPaul Simonの「Sound of silence」や「I'm a rock」が響いてるという始末。(「それにして「Sound of silence」の歌詞の素晴らしさ。Paul Simon's Songbookヴァージョンの蒼い強さ。何度こうして音楽に救われていることか。)
土曜日はやっと一日自宅に居ることが出来たのだが、疲れているというのに、身体はずっと火照ったままで微熱が続いているからゆっくり休む気にもなれず、海まで10Kmのジョギング、そしてそのまま市民プールに飛び込み1時間泳ぐ。最後は左足が引き攣って動けなり、あと50m泳ぐと溺れるなと思ったので、やっとプールを出た。
そして夜中まで結局、西表の写真や先日のソウルで撮影した写真の整理に明け暮れる。
しかし。手応えだけは確かにあった。
明日は長野。そして今週は沖縄へ再び。
(Seoul, 2008.03.)
2008.04.12 (Sat) 西表島2
昭子さんにウナリ崎に連れて行ってもらった。「この場所に来たくても来れない人だっているのよ」と移動の車中で話をお伺いする。聖地なのだ。そしてこの場所に案内されることが何を意味しているのか、勿論分かっている。
聖地を塞ぎ込むように塗り固められた赤レンガと何十年も前から廃墟となり朽ち果てたリゾート開発の名残。これほどまでにおぞましい風景を見たことはない。廃墟の全面に広が草原で白い花が揺れている。何もない草原にいろいろなものが見えてくる。光が集まり、風が吹き出した。そして、なんて心地よい場所なのだろう。この場所は確かに聖地。
同行した冒険家の高橋素晴は感じるままでこの草原の中に立ち祈りを捧げている。
西表から帰って来てもあの風景が片時も離れない。「再びこの場所に来ることになるな。」東京で再会したとき、素晴も僕も同じことを考えていた。
(UNARIZAKI, Iriomote. 2008.04.06.)
2008.04.03 (Thu) 西表島へ
明日から再び西表に行ってきます。紅露工房の石垣昭子さんに会いに。西表のこどもたちに会いに。そして愛しい小夏ちゃんに会いに(小夏ちゃんは西表に移住した友人夫妻が飼っている子犬)。前回西表に言った時は着いた早々の夜に、いきなりイリオモテヤマネコを目撃し、地元の人たちにも相当に驚かれ、「やっぱり猫がついてますね、鷲尾さんには」と知人からメールも貰い...。今回はいかなることになるか。蛍の群生を見るのも楽しみ。
2008.04.01 (Tue) 遠くの国まで
韓国から帰国。たった3泊間の短い滞在だったのに、もうあの韓国での数日間は永遠へと走り始めてしまっている。
「あなたは誰かに見せるために写真を撮っていないようね。」
ギャラリストの女性がそう呟いたその言葉がこの韓国の数日間を象徴している気がした。
「今、ここで、あなたに会えて良かった」と言ってくれたアーティストの女の子。帰国前の深夜、偶然にもカフェで流れ出したダミアン・ライスの『The Blower's Daughter』を聞きながら、彼女の感情を揺さぶった写真は、ただただ僕が世界を(例えほんの一部であっても)この目でもっとよく見たいと思った結果でしかないのだ、と気づく。より直接的に、よりダイレクトに、誰にも邪魔されること無く、誰にもおもねることなく、誰のためでもなく、ただただよく見たいだけなのだ。むしろそんな行為が、こうして遠くまで、遠くの国へ、遠くの町へ、遠くに住む人のもとへ僕を運んでくれるのだと実感する。そのことが今回の韓国の旅の一番大きな成果だった。そして写真に出会えた幸運に、こうして続けてこれた幸運に、心から感謝した。
明日撮影したフィルムの現像が上がる。多分いい写真が撮れていると思う。