ロンドン、ケンジントンのホテルから夜が明けていくのを見ていた。
つまり、要するに「時差ぼけ」というやつです。
日本から持ち越してきてしまった仕事に着手していると、原稿の校正依頼のファックスが2件ドアの隙間に届けられた。
2005.09.18 (Sun) 中秋の名月
旧暦8月15日の今夜の月は、いわゆる「中秋の名月」。
今年は幸運にも「中秋の名月」が満月の年。
先週沖縄・安里のスーパーで買ってきた沖縄そばと、今日の昼間駅前で買った団子を持って屋上で名月を味わう。BGMはBILL EVANSの「AUTUMN LEAVES」からBOB MARLEYのロックステディ時代の音へ。安ワインでも名月の下ではなんだか不思議と美味いものだ。
2005.09.17 (Sat) TV Addict
うちの家はキッチン+ダイニングに大きなテーブルと音響設備(といっても小さなコンポ)があるので、食事をしたり、お茶をしたり、酒を飲んだり、仕事をしたり、つまり家に居る殆どの時間はここで音楽を聴いて過している。TVは別の部屋にあるので結果的に殆どTVは見ないということになる。(それに何より飯食ったりしている時にTVを見るのはいただけない。)
今年の1月に15年以上使っていたTVが「キーン」と嫌な音がするようになってもう寿命かと思った時、最初はもういっそのことTV自体を家に置くことをやめよう、しかもうちは逗子の山の中にある「難視聴地域」なのでどうせ電波も入らないし、と思ったのだが、台風や洪水、選挙やテロなど、やはりニュースも見なければならないと思ったし、ようやく揃えたテオ・アンゲロプロスDVD全集やジェフ・バックリーのライブDVDも「銀河鉄道999」も数年に一度は観かえしたいと思ったので、結局新しいTVに買い換えてしまった。それでもやはり電源を入れたのはこの半年以上で殆ど数える位だった。
今日、久々に好きな映画がやっているからとTVをつけたものの、それが終った後のTV番組はまあ見るも無残な内容だったので、すぐにスイッチを切ってしまおうかと思った。
だが、しかし。
そんな我が家でもTVアディクションが居たのだ。
余りにも行儀よく正しい姿勢でTVを見ているその姿に思わずスイッチを消す手が止まってしまった。
※先日の日記でチロの食事風景があまりに好評だったので、時々は人様にその姿をお見せした方がいいかと思い....。
2005.09.15 (Thu) 吉田兄弟 6th Album『YOSHIDA BROTHERS』
津軽三味線の奏者、吉田兄弟の6枚目のアルバム『YOSHIDA BROTHERS』が9月21日に発売されます。
この新しいアルバムの発売に際して、全国のCDショップ等で配布されるプロモーション用パンフレットに、僕が彼らにインタヴューした文章が掲載されています。1万字近くの結構なヴォリュームです。
実は今年の頭に、某媒体の取材で一度吉田兄弟の2人にインタヴュー&写真撮影をさせて頂いたことがあるのですが、その時のインタヴューが印象的だったからと、今回所属事務所とレコード会社の方からオファーを頂きました。
今回の新譜『YOSHIDA BROTHERS』は、彼らにとってのいよいよ本格的な全世界進出の第1歩となる作品です。
彼らに会って強く感じるのは、日本の伝統文化をしっかり見つめ、またそれを守るのではなく、むしろ積極的に進化させていこうとするその眼差しの強さです。
前回もそうでしたが、今回また2人に再会して、彼らが更に強く、更に確信に満ちた表情になっているのを見て、僕自身もとても刺激を貰いました。
伝統とは年寄りが「保存する」ものではなく、常に革新されながらその魅力や可能性を高め続けていくもの。
老舗の和菓子屋の味が実は毎年違っている。そういうものだと思います。
今回のアルバムはいちから海外に住んで、三味線という楽器を客観的に見つめなおすことから生み出されたものです。
ミッチェル・フルーム(ロス・ロボス、エルビス・コステロ、スザンヌ・ヴェガ、シェリル・クロウなどを手掛けたプロデューサー。僕の好きなラテンプレイボーイズのメンバーです)の手による楽曲も入っています。
「津軽三味線という楽器の可能性はまだまだ出し切っていない。だから僕らがやる。」という彼らの音楽は、僕自身も一人のファンとして聞き続けていきたいと思います。
2005.09.12 (Mon) この夏2度目の沖縄行き
木曜日、夜の便で沖縄へ。
今回は友人の結婚式に出席するため3泊4日の短い滞在。
友人である新婦は与那国島出身、新郎はオックスフォード出身の英国人で、琉球文化、特に三味線や民謡などの研究家。新婦が英国に留学中に2人はロンドンの沖縄県人会で知り合った。
その時、新婦は『ゆなぐにぬまやぐゎ』という民謡を歌い、新郎が三味線で伴奏をしたそうだ。それが2人の出会い。『ゆなぐにぬまやぐゎ』は与那国ぬ猫小、つまり「与那国の猫」という意味。
猫のようにくりくりした眼が印象的でスマートな彼女らしいエピソード、ちょっと出来すぎている位の話だけど、もしかして運命とはそういうものなのかもしれない。
首里のホテルで行われた披露宴も、最初から最後まで歌や踊りが尽きない、とても愉快で気持ちいいものだった。最後に新郎・新婦を中心に、親族から友人達まで全員でカチャーシーを踊ったのは本当に楽しかった。
先々週、勝連(現うるま市)の『肝高の阿麻和利』という中高生たちによる組踊(くみおどり)の舞台を取材しに沖縄に来たが、その時の取材文の中で、僕は最後に何故それほど『肝高の阿麻和利』に心揺さぶられるたのかという自分自身への問いに、それは「大人や年配者が“保存する”ものとしての伝統ではなく、今ここにある文化として、子供たちが自分の声や自分の身体を使い必死に歌い込む意思や生き方をそこに見るからではないだろうか。歌を作り出し、歌に想いを託せ、歌い込んでいく生き方、沖縄固有の文化性とは独自の歌・詩・踊り以上に、そんな歌を生み出す生き方そのものにある」と書いた。
音楽が自然にそこにある生活の素晴らしさを、またしても今回感じることが出来た。
そして、琉球の伝統文化が、海を越え、国境も、人種も超え、こうして2人の人間を結びつけるということを目の当たりにし、その文化の底力のようなものを感じた。
それともこの2人の場合は「与那国猫」の魔力、だったりして。
さて、今回の沖縄行きではもうひとつ目的があった。
それは東風平町(こちんだ)の沖縄そばの店『風庵』に行って、そば・丼用の器を分けて貰うことだった。
この器は読谷村の陶芸家、大嶺實清さんの手によるもの。
大嶺さんは普段はこのような器は作られていないそうだが、風庵ではそばを大嶺さんの器で食すことが出来る。以前からお願いしていて、今回遂に分けて頂けることになった。
那覇のホテルについて、「金曜日のお昼に行くよ」と風庵に電話をしたら、「沖縄に着いたんですね。お帰りなさい。」と、オーナーのダン君の一言。僕の方もまた沖縄に来れたんだなと彼の声を聞くと嬉しくなってくる。
確かに、風庵のそばを食べるために毎回沖縄に行っているようなもの。
鰹味がききりとしまったその出汁は最高に美味い。味もその色も濁ることなくすっきりと美しい。いつもはシンプルに「沖縄そば」を頼んでいたが、今回は「ソーキそば」を頂いた。
ソーキが載ることで微妙に変わるその味もまた美味。
沖縄に行く方はぜひ立ち寄って見てください。
沖縄そば 『風庵』
住所 沖縄県島尻郡東風平町友寄108
TEL 098-998-5832
営業時間 午前11時半~午後6時
定休日 火曜日
2005.09.07 (Wed) 道具
今回の写真展では何故か「どんなカメラで撮っているんですか」とか「色は結構いじってるのですか」等という質問がよくありました。
色は基本的に肌の色がなるべくナチュラルになることだけを考えてプリントしていました。
カメラの方は、古いコンタックスの一眼レフカメラで撮影しています。
何を撮るかに合わせてカメラは選びます。(ちなみにこのカメラ、僕が生まれて初めて買ったカメラでした。)今回は狭いホテルの中、なるべくコンパクトに、でもコンパクトカメラではなくちゃんと見て撮りたいと思ったので手持ちの中で一番小ぶりの一眼レフカメラにしました。
といっても、別に機材を豊富に持っているわけではないですし、特に過剰にカメラに拘っているわけでもないのですが。
以前某編集者が主催するワークショップに参加した時、日本ではまあ有名な写真家HマTシ氏が来ていて、僕が古いライカのカメラを持っているという話をしたら、「こういう奴がいるから困る。ライカを持てばいい写真が撮れるって思っている。機材に拘るなんて最低だ」と全く何故僕がそのカメラを持つようになったのかという理由も聞かずにワークショップに参加している全員の前でまくし立てられたという経験があります。
彼がそれから程なくして雑誌で「ライカの故郷ドイツを訪ねる」なんて特集のカメラマンとして「いや~やっぱりライカは最高ですね」なんて感想を述べ、ライカで写真を撮っているのを見て、あまりの馬鹿さ加減に呆れてしまったことがありました。
まあそういう話しはともかく、やはりカメラは人と人、あるいは人と風景やモノの間にある機械ということは事実です。歪なものです、人と人との間に機械を持ち込むというのは。なのでそれが人であれ風景であれ、対象と一番ベストなコミュニケーションが持てるに相応しいモノを間に置くのが一番だと思います。
高価だとか、安価だとか、大きいとか小さいとか、そういうことはその人が考えて一番相応しいと思うものを選べば良いと思います。全くの初心者が高価なカメラを持っても別にそれが良いと思えばそれでいいと僕は思います。
ちなみに僕が古いライカを持っているのは、写真を始めた当時の恩師から引き継いだものです。道具というよりも、その道具にまとわるイメージに左右されているようでは写真は撮れない気がします。
ちなみに、僕の古い一眼レフカメラは何故か写真展用の撮影を終えた後、故障してしまい、今修理に出ています。元気になって早く戻ってきて欲しいです。
2005.09.06 (Tue) 写真展、無事終了。
日曜日、無事写真展『極東ホテル』が終了しました。
会場に足をお運びいただいた皆様、本当に有難うございました。
心から感謝しています。
また短い開催期間であったために、間に合わなかったとのご連絡を沢山頂きました。
すみませんでした。
いつかきっと、もっと長い期間出来るような写真家になりたいと思います。
実は今回の写真展、5月初めに「8月に写真展をやるぞ」と決めてから撮り出したものでした。
当初は会場にもポートフォリオとして置いていた『アクロス』という作品を写真展のテーマにする予定だったのですが、数年かけて撮ったわりに一旦まとめてしまうと、何故か新しいことをやってみたいと感じてしまって。
それに『アクロス』はまた時間を見つけながら内容を深めて撮り続けていくことも出来るテーマですが、『極東ホテル』の場合はそのテーマと出会った時から、「今すぐ出さないと」という何かそんな直感のようなものがしていました。
そのためある意味無謀なことですが、写真展のスケジュールを決めてから実際に写真を撮りだしたというわけです。
更にいうと、実は僕がカメラというものと出会って今年で10年。
あまり誰にも話していませんでしたが、個人的には10年記念の写真展という意味もありました。
10年間撮ったもので、という発想もあったかもしれませんが、一つの区切りだからこそ全く新しいことをやってみよう、と思いました。
10年前、初めてカメラを手にしたときは、全くの旅カメラで、
旅行の時に連れていく程度の付き合い。今とは全く違うスタンスでした。。
旅カメラをぶら提げて10年前初めて訪れたパリの安宿で、TVから「地下鉄サリン事件」の様子(その後日本に帰国してそれが宗教団体によるテロ行為だったと知るのですが)を見ていたことを覚えています。
あの時、遠いFarEastからの旅行者としてパリの安宿に泊まっていた自分、自分の国で起きた事件をフランス語放送で見ていた所在無げな自分自身が、今回『極東ホテル』で僕が撮影していた旅行者達にダブって見えていました。
くしくも今回の撮影中にロンドンから来た旅行者を撮影している時に、ロンドンで地下鉄テロが起きるなど奇妙な偶然もありました。
あの写真で撮ったのは僕自身の姿だったのかもしれません。
他者の存在をイメージしてみること。
『極東ホテル』の撮影を通して僕自身が得た一番大きなことはそれに尽きます。
今では東京駅の地下ホームや、渋谷の交差点ですれ違う旅行者達にも、
彼らはどんな国から来たのだろう、その国はどんなところなのだろう、と思いながら見るようになりました。あれは自分かもしれないし、よく知っている誰かかもしれない、もしかして次に出会う人かもしれない。そういう風に思い眺めると、何故かどこか気持ちがすっとしてきます。
平和への第1歩、まあそんな感じです。
写真を撮り、写真展をやることで、一番いい思いをしているのはやはり僕自身なのですね。
今回の写真展終了も引き続き『極東ホテル』というテーマは続けていきます。
もう来週末から再開しようと予定しています。
それでは。
また会いましょう。
PS.
日曜日、無事写真展の終了を祝って、長野重一さんの写真集『HYSTERIC FOURTEEN』(ヒステリックグラマー刊)を買ってしまいました。凄くいい写真集です。お薦めします!
2005.09.03 (Sat) 『極東ホテル』作品販売のご案内
写真展の会場では、オリジナルプリントも販売しています。
プリントは、全て六つ切りサイズ(239mm×160mm)のカラープリントです。
各作品とも、エディション15です。
また展示作品から何枚か選んで購入頂ければ少しお安くなります。
1作品 15,000円
3作品 35,000円 (12,000円/点)
5作品 50,000円 (10,000円/点)
10作品 80,000円 (8,000円/点)
全作品(43点)を一括購入の場合は、200,000円
それと今回は、“『極東ホテル』オリジナルプリント入りボックス”も用意しました。
六つ切りサイズの作品が6点、テキスト、ポストカードが入っていて、1ボックス50,000円
です。
こんな感じです↓
このボックスに入っている6点は僕が選んだ作品になりますが、ご希望があれば他の作品で組み合わせていただいても結構です。昨日このボックスをご購入いただいた方も1点セット以外の写真からお選びいただきました。
今のところは会場でないと作品が見れませんので申し訳ないのですが、
写真展が終了後は、ウェブサイト上でも作品及び作品販売のご案内する予定です。
2005.09.02 (Fri) ダン!
写真展初日の8月30日、僕と会って以来、ずっと旅を続けていたロンドンからの旅行者、ダン君が会場に駆けつけてくれました。
実はこれから成田なんだ、と、大きなスーツケースを引きずったまま旅先の九州からこの写真展の会場に足を運んでくれました。
彼の写真、彼と「極東ホテル」で過した時間についてのテキストも会場には飾っています。
日本でどこが一番良かった? って聞くと、
「東京も良かったけど、彼女の両親が住んでいる七山(佐賀県)がやっぱり良かった。果樹園で働いたりしたんだよ」。
彼がロンドンに居るということは、僕にとってはロンドンは遠くの町ではないような気がしています。
Dear Dan,
I hope you are well.
Thanks for your time in Tokyo.
I will send some photos of you as soon as possible.
hope to see you again.
KAZ
2005.09.01 (Thu) 写真展はじまりました
写真展『極東ホテル』が始まりました。
昨日のオープニングパーティーには本当に沢山の方々に駆けつけて頂き、とても感激しました。本当に有難うございます。この場を借りて昨日集まっていただいた皆さんに御礼をお伝えしたいと思います。
実は、今回の写真展の準備、直前まで相当にバタバタしました。
というのも、直前の準備に当てていた日程がそのまま沖縄取材になってしまったためです。
沖縄での取材は素晴らしく有意義だったのですが、
それにしても、最終のプリント作業が今週日曜日の搬入当日の明け方までかかるという、まあ普通は在り得ないような有様になってしまいました。
それでもなんとか今出来る最善の展示にこぎつけることが出来たと思っています。
今回の展示では、写真に加えてテキストも書いて貼っています。
テキストは、僕が「極東ホテル」と命名した今回の撮影舞台である台東区にある外国人向け宿のこと、そのホテルが建っている街のこと、出会った人たちのこと、彼らと過す時間の中で僕が感じたこと、などをしたためたものです。
これも日曜日の夜、写真は展示完了したものの、何かまだ足りないと思い、そのまま月曜、火曜とほぼ2日ほど徹夜の状態で書き上げました。
ビート・ジェネレーションのバイブル的文学作品である『路上(on the road)』の作者・ジャック・ケルアックは、長いロール紙をタイプライターにセットし、紙を取り替えたり、紙切れを気にすることなく、ハード・バップのジャズビートに身を任せ、ノンストップでしその小説を書き上げたという伝説があります。
僕の場合はあわてて準備したという話なので、ケルアックのようにカッコイイもんじゃないですが、切羽詰った時の人間の集中力というものに我ながら驚きながら、一気に大量の文章を書き上げました。
誤字脱字、文法ミス等も直していないまま展示してますが、それもまたあり、ということでそのままにしています。
写真作品と合わせて、そんな風に書き上げた文章も今回は楽しんでいただければ、と思っています。
後日、そのテキストはこのウェブにも載せたいと思います。