土曜日、取材でアート・ディレクターの藤本やすしさんのご自宅にお邪魔する。藤本さんはキャップというエディトリアル・デザイン会社を運営されている方であり、また表参道にあるギャラリーROCKETのオーナーもなさっている。僕の場合は、学生の頃に読んでいた『STUDIO VOICE』が藤本さんのお仕事を知った最初だったと思う。(今でも当時のSVの何冊かはまだ手元に残っている。『吠える』~ビートニクスたちの特集~とか。)
今回は藤本さんのご活動と、最近リフォームされたお宅の話をお伺いするというお題を編集部から頂いていて、僕はインタヴューと写真を撮りにお邪魔した。
しかし、取材でお伺いしているというのに、奥様の美味しい料理と、焼酎をご馳走になり、話しもそこそこにすっかりいい気持ちになってしまった。この後書く原稿のことはちょっと気になるけど、そんな藤本さん家で過ごせた心地よい時間を伝えることが出来たらな、と思っています。それにしてもとても心地よいいい家でした。 藤本さん、ご馳走さまでした。 (鷲尾和彦)
藤本さん家の愛犬・レオ君、とてもいい子でした。
2005.01.28 (Fri) バックミンスター・フラー
先週末の水戸芸術館の『アーキグラム』展で、アーキグラムのデニス・クロンプトンが、我々はバックミンスター・フラーから直接学んだことがある、ということを話しているのを聞き、改めてフラーの書籍を読み返す。
で、思いっきりはまってしまった。兎に角、面白い。
フラーが最終的に獲得した「包括的であること(comprehenssive)」という視点。
それは見えない繋がりを感知するということであり、恐らくネットワーク技術の進化に何故か反比例して「分断化」されてしまっている僕らにとっては改めて見直すべき視点であるような気がする。そして、それは写真を撮る時でもやはり共通した視点だと思う。
実はアーキグラムの仕事も、その芽は殆どフラーの中にあったりする。
20世紀のレオナルドダビンチを呼ばれる人で、たぶん相当な奇人だと思うが、世界を機能させるのもこういう奇人なのだ。 (鷲尾和彦)
2005.01.25 (Tue) ジェームス・タレル 『ローデン・キュレーター・プロジェクト』
ジェームス・タレルの『Roden Crater Project』のリトグラフを手に入れた。
宮内勝典さんの著書『『僕は始祖鳥になりたい』の装画としてタレルの「気団」が使われていたのが、
僕が彼の作品を最初に知ったきっかけだった。『僕は始祖鳥になりたい』を読んでいて居てもたってもいられない気分に襲われ、僕はその本を夜の繁華街の町中に持ち出し路上で読み耽った。そこで読むのが一番相応しい気がしたからだ。本の表紙に描かれたタレルの青空は夜の街の中で光って見えた。
『Roden Crater Project』は、アリゾナ砂漠にある死火山の噴火口そのものをアートとしてつくり返るという壮大なプロジェクトだ。タレルな70年代初期から何度も北米上空を飛行機で飛び、イメージに近いクレーターを奇跡的に見つけ出した。そして長い交渉の結果これを手に入れる。それはナホバ・インディアンの聖地であった。
計画では、地中に何百メートルにも及ぶトンネルといくつもの部屋を設け、それぞれの場所から天体からの光を取り入れる装置や、18年周期で真南に南中する月の姿をピンホールカメラの原理で地下室の壁に映し出す仕組みなどが作り上げられることになっている。『Roden Crater Project』とは自然とテクノロジーとアートを地球上のある1点で出会わせるという行為(アート)であり、死火山そのものが宇宙を映し出す巨大なカメラオブスキュラなのだ。そして僕が入手したドローイングは『Roden Crater Project』のいわば設計図だった。宇宙を映し出す世界最大のカメラの設計図を僕は新しい暗室の壁に飾りたいと思う。 (鷲尾和彦)
※タレルが最初にこの土地を発見してから約30年、しかしまだこのプロジェクトは最終的な完成までには至っていない。
2005.01.22 (Sat) 『アーキグラムの実験建築 1961-1974』 (水戸芸術館)
水戸芸術館で『アーキグラムの実験建築1961-1974』を観る。
展覧会初日の今日はアーキグラムのメンバー自らがナビゲートするギャラリーツアーが行われた。当時の彼らの活動はArchi(Archi-tecture)×Gram(Tele-gram)という名前の通り、自らパブリッシングする『アーキグラム』誌上のコンセプト提案で主であった。しかし、当時構想され吐き出されたおびただしい数のドローイングやモデルが数百点も展示された会場内には、建築という発想そのものを解体し拡張しようとした彼らの強烈な好奇心が今でも生々しいまでに充満していて、建てられた直後から歴史となってしまう実際の建築物と比べて、空想であった彼らの「建築」の影響力の方が持続力を持っているような気すらしてきたほどだった。
「Plug-In City」「Instant City」等、比較的良く知られた彼らの提案(コンセプト)の他にも、「Node」「Adhox」「Hab」「Pad」「Control & Choice」「Nomad」「Ideas Circus」などのキーワードが並ぶ。そしてこれら60年代から70年代当時テクノロジーがもたらすだろうと考えられた未来がここではたっぷりのユーモアで描かれている。(そして、それらのドローイングは殆ど全て手書きだ。メンバーのデヴィッド・グリーンは「ソフトウェアシステムがデザインにどう働きかけるかについてはもっと真剣に考えなければならないはずだ」といって、保険やクルマのセールスマン向けに開発されたウィンドウズの『パワーポイント』を例に出して、こうしたソフトが今に思考やデザインの発想を貧困にさせるかということについて語っていた。言うまでもなくパソコンソフトでデジカメの写真を加工出来るよりは、手書きで綺麗な○が描ける方がよっぽど凄いのだ。)
言うまでもなくこうしたキーワードは既に「現実」であったり、今では生活における必須のリテラシーになっている。
僕は水戸に向かう常磐線の車内で新井敏記さんが作家の池澤夏樹さんに行ったロングインタヴュー『アジアの感情』を読んでいたのだが、その中に「ユーモアは生きる基本であり、現実の危機(クライシス)を乗り越えるバネになりえる」という言葉があった。
アーキグラム展で僕が見たのも、ギャラリーツアーでアーキグラムのスポークスマン的存在であるピーター・クックが観客に向かって話していたのも、全くそのことだった。
結局、世の中を明るくしたり暗くしたり、ハッピーにしたり詰まらなくさせるのは、全て一人ひとりのユーモアと想像力でしかないのだ。
そのことを目の当たりにできたという意味でアーキグラム展は痛快な体験となった。 (鷲尾和彦)
2005.01.22 (Sat) 関が原あたり
朝、新幹線で大阪へ。関が原辺りだけはやはり雪。徐行を続け予定より30分以上遅れて、新大阪。新大阪からタクシーでミーティング場所へ。4時間に渡るミーティングの後、そのまま再び新大阪駅へ向かった。例えば仮にずっと座ってばかりいたとしても移動距離に比例して人間は疲労していくそうだ。移動すること自体は好きだし楽しいのだけど、やはり今日のような移動は疲れるな。大阪市内を走るタクシーの窓から見た風景はなかなか魅力的だった。今度はもう少し時間をとって訪ねてみたいと思う。
ということで、今日は新幹線の車中からのショット。 大阪で撮れなかった代りに、ちょっと多めに載せておこう。明日は朝から水戸芸術館へ1泊2日のショートトリップ。
アーキグラムのメンバーが勢ぞろいするという奇跡的なイベントに参加します。(鷲尾和彦)
2005.01.18 (Tue) 荒川遊園地前
某雑誌の取材。王子から都電荒川線に乗って荒川遊園地前へ。取材前後合わせて30分でトライX3本とデジカメでスナップ。 (鷲尾和彦)
2005.01.15 (Sat) 引越し
幸運にも天気予報は外れた。
大雪の予報だったので正直困っていたのだが、小雨となったのでおかげで無事引越しも完了。土曜日だというのに首都高速湾岸線は雪を避けた人たち多かったためか全く渋滞なしの快調なドライブとなった。
家の中はダンボールの山。
夜は、引越しそばを頼み、配達がくるまでの時間に駅前の商店街までモエの小瓶とビールを買いに走った。初めての町の夜の散歩は、まるで旅先に来たかのようなちょっとした高揚感を伴う。Jack Johnsonの『time like these』をかけながら、引越しそばを食べる。
今日から、海の近くの新しい家。
2005.01.13 (Thu) 知覚は終らない
佐々木正人さんという生態心理学者は「アフォーダンス」理論で有名な方だが、その佐々木さんの著書を読んだデザイナーの深澤直人さんがこんな言葉を某雑誌に残していた。
「意味」は心という孤立した領域にあるのではなく、環境の中にある。「環境と人は常に等価である」という認識によって知覚が無限になることを知った。知覚は終らない。
上手いこというもんだな。
だから僕も写真はやめられないのだと思う。
(鷲尾和彦)
2005.01.12 (Wed) 『登川誠仁&知名定男』
Amazonで昨年注文していた『登川誠仁&知名定男』がやっと届く。写真も最高にかっこいい。(ちなみに歌詞カードに載っている写真もすごく良い。)
去年、パリで再会したデザイナーのJayは、パリで中江裕司監督の『ナビィの恋』(英語のタイトルはそのまま「Nabbie's Love」だったそうだ)を観たそうで、「次に日本に行く時は絶対に沖縄に行きたいんだ」と、えらく感動していた。 「でも、沖縄民謡のCDってなかなか手に入らないんだよな。」
Jayが今度日本に来た時はこのCDをプレゼントしよう。 (鷲尾和彦)
※ちなみにこっちは、アメリカ人と英国人の師弟コンビ。
2005.01.09 (Sun) 言葉
【dialogues】に、写真家ダニー・ライアンと過ごした時のことを載せました。これは今から5年前の1999年12月23日、NYでインタヴューした時のもので、当時『Wasteland』という雑誌で発表されました。
僕はこの時、ダニーから「Bleak Beauty」という言葉を教えてもらいました。
「お前はこの『Bleak Beauty』っていう言葉の意味を知っているか? 例えば、ロンドンの天気の悪さって分かるだろう。いつも霧がかかっていて、よく雨が降っていて、寒々しくて。通りにはあまり人が居なくて、物悲しい。そんな天候のことをBleakっていうんだ。説明するのはちょっと難しいけど、きっと日本語でもいい言葉があるはずだ。Bleakってのは色が無くて、単調で、不快で、醜いことを意味している。だからBleak Beautyっていうのは“醜さの中の美”という一種の反語なんだ。でもその相反する意味が重なったところに、本当の美しさがあると私は思う。そこにはとても悲しくて、寂しいんだけど、だからこそその中に見つけられる美しさがあるんだ。」
以来、彼のこの言葉は「種」となって僕の中ずっと残り続けています。
ダニーから受け取ったものなのか、僕の中にもともと在ったものが彼と会ったことでひとつの概念(コンセプト)として結晶化したのか、正直それはどちらでもあった気がしています。それ故にこの言葉はとても大切なのです。
僕は全くの独学で写真を続けています。勿論日々生きていく中で触れる様々なことから学んでいるのですが、もし誰かから写真について直接的に何かを教わったということがあるとすれば、それはこのダニーの言葉以外にはない気がしています。
新しい年の始まりに、僕自身改めてダニーの言葉を、そして彼と過ごした時間をもう一度思い起こしてみたいと思います。 (鷲尾和彦)
2005.01.05 (Wed) はじめての散歩
正月、生まれて初めて「犬の散歩」を体験!
初めてのお相手は、柴犬のリキ君、生後約10ヶ月。
リキ君は妹が嫁いだ先で番犬として飼いだした犬で、ぷりぷりとした体格に若いチカラを持て余している元気で可愛い奴なのだ。
僕は猫しか飼ったことがないので、これがはじめての犬の散歩。
正直かなり感動したのだ。
どちらかというと、リキ君に散歩させてもらっている。
元気なリキ君は、どこまでも、どこまでも駆けていくのだ。
リキ君はドリブルも上手い。素晴らしいサッカーの練習相手なのだ。ちなみに隣は甥っこと姪っこ。
2005.01.01 (Sat) 謹賀新年