2005.05.30 (Mon)  Sim Redmond Band@横浜赤レンガ倉庫

横浜赤レンガ倉庫で、Sim Redmond Band のライブを観る。
今回はシム、ユニート、ジョーダンの3人によるアコースティックセット。

金曜日の六本木SuperDeluxでは飛び入りで3曲だけの演奏だったけど、
今回はあの「声」を満喫することが出来た、
それにしても、シムとユニート、2人の声は本当に素晴らしい。

身体の力を抜いて、歌に身を委ねてしまえば、それでいい。
聞いているこちらの心が浄化されていく感じ。
なかなかそういう感覚って味わえるもんじゃない、と思う。

何故だろう?何故だろう?といつも不思議に思うのだが、
ひとつだけ言えるのは、それが決してテクニックやまた作詞作曲という
「技」によるものじゃない、ということ。

まさに彼らの人柄、そのものがあの歌、あの声を生み出している。
音楽=人生、というのは決して大げさな言い方ではないだろう。
音楽を通して、その人そのものと出会うことの方が、実は本当の感動を
与えてくれるのだろう、と僕は思う。

ずっとあのままで、歌い続けてくれたらいいな。
僕は何度でもあの「声」を聞くために彼らのライブに足を運ぶだろう。

※今回もライブ写真、撮らせて頂きました。Baffalo Records野口さん、感謝いたします。




2005.05.29 (Sun)  「Relix」日本版リリースイベント

六本木のSuperDeluxで行われた、ジャム系音楽の専門誌「Relix」日本版のリリース・パーティーに行ってきた。

以前から一度観たかったBigFrogも出演、またSim Redmond Bandもアコースティックセットで出演した。
SRMのメンバーとは数ヶ月ぶりの再会。
相変わらず彼らの音楽と同様、とてもピースな人達。
あ、逆か。そんな彼らだからこそ、あんな心地よいハーモニーが作れる、のだ。
この日のライブの様子も撮影した。
日曜日の赤レンガ倉庫のライブも楽しみだ。

「Relix」はもともと米国のデッドヘッズ(グレイトフルデッドのファンの人たちですね)がコピー&ホッチキス留めというスタイルで始めたリトルマガジン。でもその創設者の人は今では銀行家&投資家らしい。(金はあるが、気持ちはデッドヘッズ、なのか、金はあるから、趣味で雑誌もつくる、なのかは分からないけれど。)

日本版リリース記念号はJackJohnsonのライブ会場などで配られているそうだ。ちなみにその号のメインはJackのインタヴュー。
僕は6月1日に横浜でのJack&Gloveのライブを楽しんできます。



2005.05.25 (Wed)  カエターノ・ヴェローゾ来日公演

音楽家は、全てを明らかにはしない。
音楽家がひっそりと隠し持ったものに、僕らは聞き耳を立てる。

ハチドリのようなギターの響き。
やわらかい雨のようなチェロ。
暗闇に眼を光らせながらしなる獣の生皮が
高い天井にまで低音を響かせ、
そして
ささやくように、そして時々発作のように身体を引きつらせ
熟年のシンガーは唄う。

表現として立ち現れるものは、
人の生のほんの上澄みでしかない。

幾層にも積み重なり、折り重なり、沈殿し、変形し、
強度と純度を高めた、その人の生。

表現することは生きること。

まるで、
深い井戸の底に映し出される遠くの空から届く星の瞬きのように、
うかつにいると見逃してしまうほどの、かすかな、その生の発光。

それを目撃したいと、僕らはじっと眼を凝らし、耳を傾ける。

しかし、井戸の底には消して手は届かず、
まして、井戸の水にすら触れることは稀だ。

ただ僕らはじっと眼を凝らし、
水が撥ねる音に聞き耳を立てる。
そして井戸の深さを感知し、怖れる。

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昨夜、東京国際フォーラムで、カエターノ・ヴェローゾの来日公演を観てきた。
久々に音楽に圧倒された。
そして、その声は本当に素晴らしかった。

どうすればこのような声が、このような歌が歌えるのか、
カエターノ・ヴェローゾという人の生を想像しようと思ったが、
無駄なことだと直ぐに思い、ただただその歌にのめり込みこんだ。

彼が『トロピカリズモ』というブラジル文化の革命的ムーブメントの狼煙を上げたのが1967年の10月。当時のブラジル軍事政権により、反政府的な表現活動という理由から盟友ジルベルト・ジルとともに逮捕されるまで1968年の12月に『トロピカリズモ』と呼ばれる運動体は終焉したといわれているが、まあそのようなことは整理好きな歴史家に任せておけばよい。

結論からすれば、カエターノの生は何も変わらず、そして消して裏切らなかった。

コンサートの最後、ブラジルの音楽を世界的なスタンダードにしていくことへの変わらぬ意思表明を口にした彼が、最後に『黒いオルフェ』を歌った。

ブラジル音楽/文化を国際的なものにするために、当時のグローバルなポップカルチャーの要素を取り入れ、また土着的で固有なものとしてのブラジル文化を掘り起こすというアティチュードが『トロピカリズモ』であったとすれば、彼は今でもその人だった。

当時も今でも、ポップカルチャーは支配者達に常に弾圧される。
それはこの国でも同じだ。

だから、僕達は「歌」をシェアしていけばいいのだと思う。

「歌」に表出する生の煌きの瞬間を、僕らはそっと目撃すればいいのだ。
その煌きこそが、支配者達がセットした「構造」を超えて、地下水脈を辿ってどこまでも広がっていき、そしてやがて僕らを繋ぐのだろう。
そのことに僕達は既に気付いている。

「歌」に耳を傾けるしか出来ないけれど、それで十分なのだと思う。



2005.05.23 (Mon)  日曜日はTOrchのライブ。

土曜日は昼過ぎ、逗子の商店街でビールとシークヮーサー入りの缶チューハイを買って、逗子海岸まで散歩。もう海の家をつくるための準備が始まっている。
逗子海岸は波も穏やかなので、サーフィンというよりもウインド。
夕方になるとちょっとだけまだ肌寒さが残るところもほろ酔い気分には心地よい。
まだ観光客が押し寄せる前の、今が一番いい時期かもしれないな。
夕方から暗室に篭りっきり、日曜日の朝、倒れるように眠る。

夜は横浜のライブハウスで、TOrchを観る。
女性ヴォーカルのシーラ嬢の声は、少女と大人の女性とが混じったような不思議な感覚。
ちょっと生意気そうな風貌もなんだか良かった。
一見、正統派のJazzを演奏しているように見えて、スピリットはかなりオルタナティブ。
そこが良かった。
CDをさっそく買いたいと思う。



2005.05.21 (Sat)  暗室作業(2)

今週はずっとカラーのプリントをしていた。
というのも、まだうちの暗室は完成途中で、モノクロームフィルムをプリントするためのシンクが設置されておらず、カラーフィルムしかプリントできない状態だからだ。

来週はようやく待ちに待ったシンクを設置する予定。
考えて考え抜いて設計したのだが果たして上手く行くかどうか。

それにしても、暗室作業は面倒だし手間もかかるのだけど、印画紙に像が浮かびあがってくる瞬間の気持ち良さはやはりなにものにも代えがたい。
とてもアナログで、まさに手作業なのだけど、肉体的に心地よい疲労を感じながらそういうとても地道な作業を続ける快楽はやはり否定できない。

デジタルにはデジタルの良さもある。
でも全てがデジタルに置き換わるものとも思わない。
勿論、アナログな発想に固執するつもりも毛頭ない。
様々な手段を自分のものにして、目指す表現のために意思を持って使いわけること。
そういうことが出来るという意味では、とても恵まれた時代なんだと思う。



2005.05.18 (Wed)  『Sprout』のサントラ

トーマス・キャンベルのサーフ・ムービー『Sprout』のサントラ。
リリースは、Jack JohnsonのBrushfire Records。この映画のためのスペシャルバンド、Sprout House Band(Jack Johnson、Tommy Guerrero、Money Markのセッションバンド)の楽曲も収められている。JackはTommy Guerreroが以前からの憧れの人だといっていたけど、一緒に音楽創れて幸せだろうな。そうやって一人ずつ仲間が増えているBrushfireRecordsは本当に理想的なレーベルだと思う。
他には、Ray Barbee、Torroise、Mojave3(かなり以前からのファンなので驚いた)、それにOliver Nelson!も入っている。
暑苦しい暗室の中でこの楽曲を聴きながらプリント。映画も渋谷のシネマライズで公開されるらしい。

サーフムービーといえば、他にもレイアード・ハミルトンやグレッグ・ノールらのレジェンドサーファー達が出演している『Riding Giants』も控えていて、こっちは来週の試写会で少し早く観れる予定。



2005.05.17 (Tue)  写真セレクト中




2005.05.13 (Fri)  ミュージアム・ギャザリング

昨日は、東急文化村ザ・ミュージアムで行っている『Museum Gathering』の日で、ギャラリー・エデュケーターの杉浦幸子さんと数年ぶりに再会した。
杉浦さんは、少し前まで森美術館でパブリックプログラム・キュレーターをなさっていて、現在は京都造形大学で講師もされている。

僕が杉浦さんとお会いしたのは、今はなき表参道の同潤会アパートで行った僕の写真展でだった。ふらりとギャラリーを覗いて頂いた彼女のことを僕もよく覚えていた。その後また会いましょうという話をしながら、タイミングが合わず昨日数年ぶりの再会となった。
たった一度しか会ったことがないというのに、忘れられないほどの強い印象や、これからもまた会うんだろうなという勘のようなものを感じる人ってたまにいるんだけど、杉浦さんはまさにそういう人の一人だった。

杉浦さんを交えて、アートのこと、杉浦さんが提案し実践されている「アート・エデュケーション」のことをお伺いするのはとても刺激的で、あっという間に3時間以上も話しこんでしまった。一緒に『Museum Gathering』を運営している中根大輔、ザ・ミュージアムの広報担当・海老沢さんも僕と同じで、すっかり杉浦さんとの会話に夢中だった。
次回は、杉浦さん主催のワークショップをぜひ体験して見たいと思う。



2005.05.10 (Tue)  写真展やります!

今年の8月最終週~1週間、場所は東京・四谷3丁目の「Roonee 247 photography」という今年2月にオープンしたばかりの新しい写真ギャラリー。

ルーニィ主催の篠原さんはこのギャラリーを立ち上げる直前まで赤坂の東京写真文化館でディレクターを務められていた人。
彼の写真に対する姿勢には僕もいつも刺激を頂いている。そんな篠原さんが立ち上げたギャラリーで出来ることは本当に嬉しい。

一応日程は決まったものの、実は内容は未定。(もちろん構想はあるけど。)

今年の3月、ロンドンとパリ(正確にはパリはフォンテーヌブローにお住まいの作家・池澤夏樹さんに会うために瞬間的に立ち寄っただけなのだけど)に行った際に、そういえばちょうど10年前の同じ時期にロンドンとパリに来ていたなということを思い出した。
あの時、初めて買ったカメラでパリとロンドンの街角を撮影してまわった。
今思えばなんてことない普通の「旅行カメラ」に「旅行写真」。
あれから10年。僕はこの2005年、カメラを手にして10年目になるわけだ。

ということで。
写真展の内容は5月中には決めます。
詳しいことが決まり次第、直ぐにここに記したいと思います。



2005.05.09 (Mon)  GW最後の日曜日


(Hayama, 2005.05.08.)


このゴールデンウィークは殆ど自宅近辺で過ごした。
(唯一昨日の土曜日だけ、テオ・アンゲロプロスの最新作『エレニの旅』と、3度目となるジンガロ座を観るために東京に出掛けたのを除いて。)

GW最後の日、葉山芸術祭の一貫として上映された『地球交響曲~第5番』を観に出掛ける。
この西表島在住の草木染織作家、石垣昭子のことを知ることが出来た。
そして、ひとつの映像作品を通してこうした出会いがあったことが嬉しかった。

しかし同時に映像作品としては全体的に消化不良な感じが僕の中に蟠ったのも確かだ。
石垣昭子さんのエピソードにしても、それ以外の出演者のパートに関しても、彼らの暮らし、彼らの言葉の本質を紡ぎだすことが十分に出来ているとは僕には思えなかったのだ。

「地球」「環境」あるいは「友愛」「調和」といったそれ自体否定しようがないようなテーマを素材にし、それをより深く掘り進めていくには、その反対にあるスキャンダラスでショッキングなテーマを扱う以上に、映像作家の「眼」が問われる。
(偶然にもそのことはこの『地球交響曲~第5番』の中に登場するダライラマ14世の言葉としても述べられている)

限られた時間(この映像作品の場合は約2時間15分)の中で、ひとつのエンターテイメントとして完結させなければならないという枠組みもあるだろう。
映像で描き出せるもの、しかし逆に映像というフォーマットであるが故に描き出せないものもある。
こうしたことを僕なりにも理解した上で、やはりこの作品の視点に関してはどうしても消化不良の感が否めなかったのだ。

むしろ、最初から「良い話」を「良い話」と「演出」している感じがあるのではないか。
そしてそうした発想と表現方法で作られる映像は観客の「登場人物が持つ固有の物語」の本質に近づこうとする気持ちを損ねてしまっているのではないだろうか。
僕にはそう思えてならなかった。

例えば、子供の誕生のシーンと七夕祭りで燃え盛る炎とテクノミュージックを掛け合わせる手法は、ドラマティックな「効果」を狙った過剰な演出ではなかっただろうか。
故・星野道夫や、故・ジャック・マイヨールの魂を七夕の日の灯篭流しに託すという行為は、この映像作品全体のテーマではなくて制作者個人の中で完結すべき私的な行為でしかないのではないか。その映像を見せられる観客には、それが開かれた主題として残るものとはならないと制作者は気付かないのだろうか。
この映像作品のテーマ「全ては繋がっている」ということを、観客自らが心の中で感じ取ることと、映像によってエピソードを繋いでみせることは実は全く逆のことなのではないだろうか。

そこは映像作家として、また「全ては繋がっている」ということをテーマにする以上は、絶対に履き違えてはいけない気がする。

僕にはあの愛知万博でNHKは巨額の制作費を掛けて流している「スーパーハイヴィジョン」のプロモーション映像とどこか共通する、何か観客におもねるような予定調和な話に見えてしまった。(あのNHKの映像は余りにも酷すぎるのでここで比べるのは『地球交響曲』の作家には申し訳ないのだけど。)

上映終了後、「赤ん坊が生まれるシーンでなんだか泣いちゃったわ」と話しながら会場を出て行く小母さんたちの会話が僕には象徴的に響いた。そうなのだ「良い話」に「泣ける」なんて感想など出る程悠長な話ではないはずだ。

僕個人が強く関心を持っているテーマであるが故に、僕はより批評的にこうした映像を丹念に見ていかなければならないと思っている。
僕個人としては、より素直に出演者達の言葉とその風景に出会いたいと強く感じた。

上映後、葉山のまさに山の中にある「和か菜」に行って手打ち蕎麦を食べながらそんな話をした。そういうことを考えてみる機会になったという意味では、『地球交響曲』を観てよかったと思う。

蕎麦屋の窓の外に広がる棚田が綺麗だった。
緑が日ごとに深まっている。GWが明けると、もう初夏になるんだな。



2005.05.05 (Thu)  逗子に住むということ

この3年間に撮り貯めた写真を整理しながら、毎日ジョギングか歩きで葉山の方まで出掛けている。今日は先日ジョギング中に見つけたオープンしたての小さなイタリアンレストランに昼飯を食べに行くことをゴールに設定し、長い散歩に出掛けた。
車やバイクで通り過ぎていく時に見過しているものが歩くというゆっくりのスピードの中ではくっきりと見えてくる。ささやかな発見を繰り返していくうちに自分が住んでいる場所を好きになっていくことを実感する。
逗子という街はニュートラルな場所だと思う。
鎌倉と鎌倉以西の湘南方面に独特の匂いがあるのと同じく、葉山~三浦方面にもやはりまた違った文化の香りが漂う。逗子は2つの独特の文化圏に挟まれるようにしてひっそりと佇む街。鎌倉にも葉山にも名物といわれている土産物や食があるが、逗子には名物はそれほどない。しかしここからは鎌倉、葉山、どちらの場所やその魅力にも歩くか自転車でアクセスすることができる。そんな軽やかな距離感が僕にはちょうど良い。
さて5月の風に吹かれて、うちのチーコもすっかり心地よい時間を過ごしているようだ。
奴もどうやらこの場所が気に入ったらしい。




2005.05.04 (Wed)  紫蘇の葉

森戸海岸までジョギングする途中で、紫蘇の小さな鉢が道端で「ご自由にどうぞ」と置かれていたのを見つけ、帰り道に二鉢頂いてきた。
早速電動ノコを取り出し、プランターを作った。
日向に置くと紫蘇の葉は硬くなり香りも薄れていくので、家の北側の日陰にプランターを置いた。




2005.05.03 (Tue)  沖縄に行きたい


(Ishigaki, 2004.10.)

土曜日、長者ヶ崎まで2時間かけてジョギングしてした帰り、ご近所のswd君とばったり道端で出会った。GWだというのに「バースデイ割引」でちゃっかり沖縄まで出掛けるとのこと。
なんとも羨ましい。
同じ沖縄でも、僕はこの数年間に撮影した大量の沖縄写真に囲まれてGWを過ごしている。
ところで、沖縄はもう梅雨入りしたそうだが、swd君はいい休みを過ごせているだろうか?
石垣の離島桟橋近くで見かけたこの子犬は、元気に成長しているだろうか?



2005.05.01 (Sun)  極東ホテル通信#01

そのホテルがある町は東京の北東の外縁に位置している。
そこはかって山谷地区と呼ばれていたエリアの中心部に当たる。

山谷という地名は、既に40年近く前の住居表示制度の導入によって消滅しており、現在では地図上には存在しない。もともとは台東区・荒川区にまたがって簡易宿所が存在した地域を指し、現在の地名でいえば、台東区清川1~2丁目、日本堤1~2丁目、東浅草2丁目、橋場2丁目、荒川区の南千住1~3、5、7丁目等の辺りということになる。
しかし地名は消えても、今でも日雇い労働者たちのための安宿が立ち並ぶ町の風景と、早朝から深夜まで彼らが路上に佇む光景はいまだに残っている。

早朝、狭い路地が人々で溢れる瞬間がある。 労働福祉センターが開くのを待つ日雇い労働者達。 明け方に近い時間帯に、真横から初夏の鋭い朝日を背に受け、彼らは金色に照らし出された眩しい路地の上にその長い影を伸ばす。そして、その合間を縫うように、三ノ輪や南千住の駅から、大きなバッグパックを背負った旅行者達が、日雇い労働者達の流れとは逆方向に路地を歩き入ってくる。 そうして、この町の新しい一日が始まる。

数年前、このエリアで初めての外国人旅行者専用の宿としてこのホテルが生まれた。
正確に言えば、このホテルはずっと以前からその場所に立っていたが、オーナーが日本人相手から外国人旅行者専用の宿泊施設へと経営方針を変更したのだった。
今でこそ、近隣にもこうした外国人旅行者向けの宿が点在するに至ったが、このホテルが外国人旅行者専用の宿に変わった当初は稀で、近隣住民からは反発も少なからずあったらしい。
外国人旅行者という存在は見知らぬ存在であり、見知らぬが故に排除すべき、そして極端には忌み嫌い存在ということになる。このエリアに限らず、保守的な(そして今いっそう保守化している)この日本においては何処ででも聞かれる話だ。
しかし、今ではこのホテルは年間を通してなかなか予約が取れないほどの混雑ぶりで、僅か30室程度の部屋は常に世界中からの旅行者達で埋め尽くされている。

この場所はかって奥州街道と日光街道を通じた江戸への入り口として栄えた宿場町であり、明治から現在まで、街道筋の木賃宿街(安宿、安泊、あるいはヤキ、ドヤ街)、そして簡易宿所街として多くの人々を招き抱え続けた土地であった。
旅人、低賃金労働者、放浪者など、最も時代や社会の動きに翻弄されやすい立場にいる人々を常に受け入れてきたこの土地は、そんな懐の深さを持った母のような土地だったのではないだろうか。
そして、この土地に深く根ざしているそんな無意識が、今では異国からの旅人達を招き入れ、そしてこのホテルを支えている。

僕がこのホテルの存在を知ったのは、ふとした偶然でこのホテルの女将さんと知り合ったことによる。 彼女と出会う直前、僕は数年間かけて沖縄の先島諸島に通い撮影した作品をまとめ終わったところで、今度はもう一度自分が今暮らす身近な場所に立って、その身近な場所、つまり「東京」について眺めてみたいと考えていた時だった。そんな僕にとって彼女との出会いは本当に幸運な偶然であった。
日本の周縁から、東京の周縁へと、僕はそうやって入っていくきっかけを手にした。
(この出会いは、僕だけでなく、同時に彼女にとっても幸運で巡り合せとなったことを僕は後日知らされることになる。)

そうして、僕はこのホテルを塒(ねぐら)にすることを決めた。
女将さんと出会った2005年の春から、僕はこのホテルで一人の旅行者として過し、通り過ぎていく人々の姿を眺め続けた。

真ん中に廊下を挟み、左右に小さな個室がずらっと並んでいるこのホテルでは、旅行者同士が顔を合わせることが出来るのは、小さなテーブルが2つと、椅子が8つほどで一杯になってしまう小さなロビー、そして共同で使うシャワー室前の僅かなスペース、そして3階までの各階にある洗面所に限られる。
ここではドミトリーのような馴れ合いの感覚は殆ど起こらない。 殆どの旅行者が部屋と東京の街とを行き来するだけという、ある意味とても都会的な行動パターンとなる。
匿名性と、それ故の都会的なディスコミュニケーションを前提とした空間。
まるで巣から飛び立っては獲物を探し、捕らえて持ち帰る昆虫か鳥のように、彼らはこのホテルと東京の観光スポットを直線的に行き来し続ける。
このホテルはそのまま東京の街と地続きに直結している。

熱帯夜が続いた夏の夜、ひんやりしたクーラーの冷気が漂う薄暗い廊下を慌しく行き交う旅行者達の姿を、僕はずっと眺めている。
彼らとすれ違う瞬間に、立ち止まり交わす短い(時には夜通し続くほどの長い)会話の中に、
彼らがこの東京に、あるいはこの国に何を求めてやって来ているのか、その理由を少しずつ僕は紡ぎだしていく。それが結果的に、僕が今暮らしているこの国がどんな場所なのかということを浮かび上がらせるのではないだろうか。

極東ホテルでの日々が始まった。




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