2006.03.27 (Mon)  春の風景

昨日日曜日は、法事で親族が久々に集まった。
祖母の十三回忌、伯母の三回忌。
富士山がすぐ目の前に迫る山間の小さな田舎町まで、
逗子から高速道路を飛ばして1時間のドライブ。
麗らかな春の日。
蒲公英や菜の花の上をパラグライダーが飛んでいった。
朝早く車で出かける際に車窓から見たときは自宅近くの公園の桜はまだ蕾だったのに、夕方近くに帰ってくると、もう五分咲きくらいにまでになっていた。
それでは、携帯電話で撮影した春の風景を3点ほど。
ライカで撮った春の写真は、また後日。

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2006.03.19 (Sun)  牡蠣

年に一度、岡山から届く牡蠣の山。一灯缶(約20ℓ)にいっぱいでも僅か数千円。季節の終わり頃に地元漁師さんから直接買い付けるわけだ。ご近所さんにお裾分けしてもたっぷり残った牡蠣の山を3日間かけて食した。フライもいいが、潮の香りがったぷりなので、新鮮なレモンを絞ってぶっかけて喰うのがやっぱり最高なのだ。この味をご一緒に堪能したい方は、この時期を狙って我が家に遊びに来るように。




2006.03.17 (Fri)  パームグラフィックス

昨日は、新宿のBEAMS GALLERYでパームグラフィックスの「100Tシャツ展」のオープニング・パーティー出掛けてきた。パームグラフィックスの豊田さんとは今回お会いするのが2度目。昨年の夏、digmeoutの谷口さんからご紹介頂いて以来だった。豊田さんのその作品は(そしてお人柄も)とてもチャーミングで僕は一発で好きになってしまったので、今回は豊田さんにまたお会いしたいと思い、ここだけの話、適当な理由をつけてこっそり仕事の打ち合わせを抜け出し、新宿の会場まで駆けつけたのだけど、その甲斐あってか、昨夜は久しぶりに楽しい夜となった。
豊田さんにもお会いしてお話できたし、大阪から駆けつけていたdigmeoutの谷口さん、古谷さん達にも再会できた。また桑原茂一さんにも数年ぶりにお会いできたし、豊田さんのご紹介で鎌倉在住の写真家、横山泰介さんともお話することができた。他にもとても嬉しい新たな出会いがあった。何だか初対面の人たちとも初対面じゃないようにすっかり仲良くなって、僕はついつい逗子行きの終電ギリギリまで新宿で飲んでしまった。何でこんなに今日は楽しかったのかなと、帰宅の途につく電車の中で考えてみると、まさにそれが豊田さんとその作品の力なんだな、とふと気付いた。作品は決してギャラリーで見るだけのものじゃないわけだ。



2006.03.13 (Mon)  風を見た

葉山、長者ヶ崎。夕方近くになって、風が吹き始めた。
次々に変化しながら、穏やかな水面の上を風の軌跡が駆け抜けていく。風に撫でられて、海はまるで巨大な魚が鱗をギラッと光らせ身を捩った。砂丘の砂の粒が風によって波状の模様をつくることを「風紋」を言うが、これは何と呼ぶのだろうか。



2006.03.10 (Fri)  山の風景

東急文化村ザ・ミュージアムの『ミュージアム・ギャザリング』で、今回は作家の謝孝浩さんをお招きした。ネパールを舞台にした池澤夏樹さんの『すばらしい新世界』という作品が生まれる背景に、ヒマラヤ周辺における謝さんの経験豊富な旅の知識と実際の旅のガイダンスがあったことは、池澤さんご本人からお伺いしていたし、『COYOTE』のダライ・ラマ逃亡ルートを追うという特集でも謝さんのレポートを拝見していて、いつか機会があったらお会いしたいと思っていたので、今回は僕自身にとっても嬉しい機会となった。今回の『ミュージアム・ギャザリング』は、現在開催中の『スイス・スピリッツ ~山に魅せられた画家たち』がテーマだったのだが、果たして謝さんをお招きして、ギャザリングスタッフ全員が非常に楽しい時間を過ごすことが出来た。ギャザリングの中心メンバーであるザ・ミュージアム広報の高山さんや海老沢さんもみんな謝さんのファンだったのだ。

今回の展覧会は、18世紀後半の近代登山と山岳調査の開始時期に画家が記録として描きとめた風景画に始まり、現代アートの作家の手による山をモチーフにした作品まで、実にこの数百年間の間に人々がどのように山を眺め、自然に対峙し、内に取り込み、またはともに暮らしてきたのかが、時間の流れとともに発見することが出来る内容だ。作品数自体も非常に多いが、「山」というひとつのモチーフを通して様々な人々の「眼差し」、あるいは「生き方」や時代性を見詰めるというのは、なかなか他では得がたい体験である気がする。僕自身も非常に楽しめたし、最低もう1回は行ってみたいと思った。

謝さんはアレグサンドル・ペリエの作品を挙げ、「これは僕が山に対峙するときの気持ちに近いな」とおっしゃっていたが、そんな風に、様々な作品の中から自分と同じ眼差しを見つけることが出来るのも、「山」というある種世界的風景であるが故なのかもしれない。
その話をきっかけに、ミュージアム・ギャザリングという名の大雑談大会は『果たして自分の中に「山」の風景を持っているかどうか。』というテーマに話が及んでいった。
海でも、森でも、田園でもなく、山。心の中に山の風景を持っているということが人生に与える影響には、他とは違う何かがあるのではないか、と。
そういわれて思い返すと、思い当たるふしが確かにある。
今は海の近くに住む僕だが、実は小高い山に囲まれた土地で生まれ育った。
勉強部屋の窓を開けると南側に山の稜線が続いていて、その西側の端ある紅山という小さいが鋭い三角型をした印象的な山の岩肌に照らし出される夕陽の照り返しを毎日見て過した。
その風景というのが一番自分と故郷とを結びつける一番太いリンクな気がする。学校での出来事、あるいは幼少の時に見聞きしていたポップミュージック、あるいは家族の表情さえよりも一番強い気もする。それがどんなことなのかはまだ僕にも分からないけど、何か直感的に感じるものがあるのは確かだ。ギャザリングメンバーの中根大輔は、「それは山が絶対に動かない存在からだと思う」といっていた。
これについてはもう少し深堀りしてみても面白いかもしれない。



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