1月23日、祖母永眠。
先週末、関西へ仕事で出掛けたのだが、当初から日帰りのつもりで仕事道具以外何も持たずに新幹線に飛び乗ったものの、何故だかJR大阪駅に着いたとたんに、兵庫の実家に帰らなくては、という気持ちになった。そのまま母に電話して「今晩泊まる」と伝えると、祖母がしばらくまえから病院に入院していると言った。
祖母を見舞いに行くと、殆ど何も話せない状態だったのに、ぽつりと小さな声で「これでみんなそろったな」とだけ話した。混濁した意識の中、精一杯の表情。別れ際に、僕に向って手を振った。
それが最後だった。
その時は、その言葉の意味がそれほどはっきりとは分からなかった。何故なら、僕の頭の中には祖母の死という発想など全くなかったから。しかし、その時は訪れる。とても自然に。
祖母は僕を招き、僕は祖母に会うようになっていた。そのようにあらかじめ用意されていた。
僕たちは掛け替えのない家族なのだから。
祖母は、静かな美しい寝顔だった。
2009.01.18 (Sun) 『島の色 静かな声』
土曜日、立教大学で行われた映画『島の色 静かな声』の上映会にあわせて東京にお越しになっていた西表島にお住まいの染織作家・石垣昭子さんと金星さんご夫婦に再会した。
昭子さんに初めてお会いしたのは昨年の早春。先日の日記にも書いた『アースキャラバン』という仲間達と企画した小中学生向けの自然体験ワークショップにお力を貸して頂くために、昭子さんが代表をつとめられている西表島の「紅露工房」を訪れたのが最初だった。上映会には、その企画を手がけた仲間達と一緒に出掛けて行った。久しぶりにお会いすることが出来てとても嬉しかった。上映介後の懇親会にもお誘い頂き、この『島の色 静かな声』を手掛けられたスタッフの皆さんも交えて、しばしお話をさせて頂いた。
「よき人に近づけば、不覚よき人となるなり。」道を求めつづけている人との時間は例え短くても、やはりとても得るものが大きい。
『島の色 静かな声』はお二人を中心に西表島の暮らしを映し出したドキュメント映像詩。
監督は写真家/映像作家の茂木綾子さんがつとめられている。自然時間のリズム、風が運ぶ匂い、植物が発する色彩の豊かさ、闇の濃厚さ、そして西表島の光と影とが、とても丁寧に時間をかけて撮影されていた。
この作品をみると「母性」こそがこの閉塞的な時代を変える最後のチカラなのではないかと改めて感じる。
昭子さんと茂木さんという二人の女性、そして西表島という場所。それはとても素晴らしい出会いだったのだろうなと想像する。
『島の色 静かな声』には、西表島のあの強烈な光の強さと同じくらい濃い影の力が映し出されていた。そして観光客が押し掛ける華やかな南国のイメージの背後に、静かに力強く確かに存在する「無意識」の力を感じさせるものだった。
悠久の時を繋いでいく見えない力、それを捉え届けるために、昭子さんという存在と、茂木さんという写真家/映像作家の眼、そしてその邂逅は必然だったのかもしれない。
言うまでもないが、現在メディアを通じて(いやもはやメディアだけの話ではなく、生活環境そのものと言っていいだろう)僕達が得られるものは、あまりにも分かりやすく記号化されてしまった情報しかない。無意識下にあるもの、情報化される以前のモノは悉く背後に隠され、その存在すらまるではじめから無かったかのように切り捨てられている。
映画といえども、最近ではカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲った作品ですら公開があやぶまれ、予告の短い広告コピーで整理可能なプロットの作品、つまりはハリウッド系大作や、バラエティ系TVのりの娯楽ものしかスクリーンに掛からないような状況になっている。音楽も然り。
写真については更に状況は酷いだろう。携帯電話をふくめると一人一台以上のデジタルカメラ普及率に対して、あまりにも写真に向き合う機会というのは限定的だと思う。これほどまでにヴィジュアルが氾濫している時代だが、そこにあるのは2次元のグラフィック処理された「情報」でしかなく、無意識にあるものをそのままダイレクトに受け取り、自分の無意識部や想像力を働かせてそれを感知するというようなカタチでのコミュニケーションは果たしてどこまで日常であるのだろうか。
無意識化にある、ある種得体の知れない鵺のようなものを捉まえて、ひとつのフォーマットを通して「情報化」された世界の住民にも届くかたちで提示することがアートであり、その意味では写真とはそのことを物凄く直接的に身体的に行う行為だと思う。
そんな行為は「情報化」された世界に慣れた住民にとっては、その秩序を乱す反社会的でアナーキーな行為と映るだろう。
しかしそれがこの閉塞的な世の中に新鮮な風を送り込む風穴となったり、あるいは一筋の希望となるのだと思う。そして、僕が写真という存在に惹かれ続ける理由もまさにその点にある。
『島の色 静かな声』の中で、昭子さんは「眼に見えないところの仕事」について語る。糸を編み布を織ることは誰にでも出来る、しかし大切なのはその前段階の「仕事」なのだ、と。
逆に「情報化」された世界に慣れた住民は、例えば「私は○○が出来ます」ということが仕事が出来る基準だと胸を張るが、それは仕事ではなく「作業」でしかない。だから資格を積み重ねることが仕事が出来ることと誤解するし、入社3年目もすれば「仕事が出来るようになった」と錯覚し、キャリアとやらを積むために別の職場に移ったりする。しかし昭子さんがいう「仕事」は、もちろん全くそんな中にはない。
「仕事」は作業=つまり具体的なカタチを創りだす最後のプロセス、に至る前に決定づけられてしまうのだ。そしてそれがまさにワークしているとき「相手の心を動かすこと」が出来る。つまり、相手の心を動かせるかどうか、その点に「仕事」かどうかが掛かっている。こうした感覚を持ち得るかどうか、それは情報化されない無意識下にこそ「世界」があるのだということを体験的に知っているかどうかに掛かっているのだと思う。
昨年秋に東京国際映画祭で『島の色 静かな声』を拝見して、今回で観るのは二回目だった。こうして日記を書き出して気付いたが、まだまだこの作品からは感じとれるものが沢山あるのだろうなと思う。
春には映画館でも公開されることが決まったそうなので、きっと映画館にもまた足を運ぶことになるのだろう。
そして、今年春にはまた沖縄を巡る旅をしたいと思っている。
PS
『島の色 静かな声』は自主上映会を募集していて、35mmフィルムからDVDまで様々なフォーマットでの作品レンタルを行ってくれるそうです。詳しくは上記公式サイトまで。
(Iriomote,Okinawa. 2008.03. )
2009.01.16 (Fri) 暴力
泡瀬干潟、埋め立て強行?? これは暴力以外の何者でもない。
そして、泡瀬干潟を守る活動を展開しているKEN子の日記を読んで下さい。
昨年4月に仲間達で企画した『アースキャラバン』というプロジェクトで、泡瀬干潟を訪れた。危機感は高まっていたが、昨年秋の裁判で工事差し止めの判決が出て、本当に仲間達や沖縄のみんなと最後に残った希望を噛み締め心から喜んだ。しかし、この「暴力」。判決が出たのにも関わらず、国は「県や市が控訴している」というだけでこの暴力を正当化した。ここまで酷い話はないでしょう?
今、出来ることは何か。泡瀬干潟での『アースキャラバン』の様子を改めて伝えること。そしてこれも今すぐに出来ること。
(泡瀬干潟のコメツキガニ, 2008.4月)
2009.01.10 (Sat) travelogue #11
遠くを憧れるよりも、
近くに永遠を見出せること。
失ってしまったものを嘆くよりも、
残されているものを抱きしめ続けること。
(Inamuragasaki, kamakura. 2009.01.)
2009.01.01 (Thu) 『丑年』
本厄を抜けて新しい年。
そんなことに拘って生きているわけではないが、やはり昔の人はよくいったもので、否応なく行を積まなければならない時は来るものだ。2008年のことはいつまでも忘れないと思う。
ということで、年明け一発目の写真は、わが家の天使の寝顔をご挨拶代わりに。
うちのシロクロ模様の「子牛」を見習い、何事にも動じず惑わされない「不惑」の一年にしたいものだ。まあ、うちの子牛は「動じない」というよりは、あったかカーペットの上で「動かなさすぎ」なのだけど。
追伸
喪中につき新年のご挨拶は御遠慮させていただきます。
昨年は、韓国でのスライドショー、グループ展、北海道へのスライドショーツアー、また銀座/大阪ニコンサロンでの個展などで多くの方々にお会いすることが出来ました。また西表島〜北海道までの3ヶ月の旅ではとても多くの皆さんに助けて頂きました。本当に有難うございました。心より感謝いたします。
今年も変わらぬご愛顧のほど何とぞよろしくお願いいたします。
(Chiro, by Leica M6. )