2006.02.28 (Tue)  沖縄の桜

日曜日、那覇の「桜坂劇場」前の公園に1本の緋寒桜(ひがんざくら)が咲いていた。
今年初めて見る桜だった。
緋寒桜は寒い冬が終わりを迎え、少し暖かくなる頃に咲き出すわけだが、冬の気温が低くならない時には咲かないこともあるらしい。ということは、今年の冬はどうやら冬らしくあったということなのだろう。
その名の通り特徴的な緋色の花を咲かせるこの桜は、咲くといっても決して開ききらず、俯くような姿で花を垂らす。小雨が降り続く中、花弁を濡らす1本の緋寒桜の姿は、先日山谷の外国人向けバックパッカー宿で知り合った一人の女性の姿を僕に思い起こさせた。

その日は僕も含め3組の日本人旅行者が滞在していた。外国人向け簡易宿といっても、宿泊客が全員海外からの旅行者達だけとは限らない。アジアからの旅行者も多く滞在するホテルなので、何かきっかけがあって会話をしない限りは、その人が日本人なのかどうかというのも実は分からない。英語で会話をし始めたりすると、暫くしてからようやくお互いが日本人であるということに気付くなんてこともある。確かに何処から来たのか?という問いは旅行者達同志の会話の小さなきっかけになるが、ここでは必ずしもそのことに拘るような気持ちは芽生えてこない。違いよりも共通性を探すということが実は旅行者達の心境な気がしている。(土地に根ざさない生活をしている多くの都市生活者もそれは同じだろう。違いや個性を声高に叫んでいるつもりが、本当は共通性を強く求めている。保守化というのは、そういう土地を捨てた暮らしに大きな原因がある。言うまでもなく東京ほど保守的で個性のない街はない。) さて、話を元に戻そう。

Aさんに会った時、彼女は宿の(台所というよりも)狭い流し台で夕飯の支度をしていた。彼女は一見して観光に東京を訪ねた旅行者には見えない風貌であった。慣れた手つきで簡単な夕飯を作る姿も、アジア人というには白すぎる肌も、また旅行者達にどこか共通して見られる異国の地に居るという軽い高揚感も彼女には見られなかった。相当に旅慣れしている人なのか、あるいは観光ではない何かの目的のためにこの宿に一時的に滞在している人(そういう人たちも実際に多いわけだが)だろうと僕は思った。

「彼は相当のお金持ち風ね。」
流し台のその隣に置かれたマッサージチェアに座りiPODで『System Of A Dawn』を大音量で聞いているローマから来た青年の写真を撮影している僕と目が合って、Aさんはそう言った。
「そうですね。もう彼は1ヶ月近くここに泊まっているし、ラフな格好だけど何気に全部イタリアのブランドものですからね。結構なボンボンでしょうね。」
そんな風に始まり、僕はAさんと暫く世間話のような会話を始めた。しかしそんな会話でも結局お互いが何故この簡易宿にいるのかということに話が移行していく、それはごく自然なことだ。

「私は放浪しているの」。
Aさんはニコニコと微笑みながらそう言った。旅館やスキー場などでの住み込みの仕事に就きながら、彼女は季節ごとに様々な日本国内の土地を移動しながら暮らしていると言う。一人の女性の口からあっさりと、しかもさりげない微笑みとともに「放浪」という言葉が放たれたことに、一瞬僕はその言葉が持つ意味の実感を探しあぐねてた。

「桜が好きなのね、それで桜の時期には、桜と一緒にずっと日本中を移動してるのよ。」
桜前線に沿ってAさんは日本を旅している、時には桜の絵を描きながら。
「桜の絵って難しいんですよ。何回描いても上手くいかない。何故かしら。」
それは写真でも同じですよ、と僕は彼女に答えた。桜はいろんな写真家がモチーフにしてきているけれど、そのひとつひとつが全く違う。桜は撮る人、観る人の中で印象や姿を変える。もしかしてそれが「桜」であり、それ故に多くの人々を魅了するのかもしれない。
桜の話になった時、僅かにAさんは饒舌になり、高揚したAさんの白い肌がほんのりと色艶を増していった。春を待つ小さな蕾や、春の風に揺れる花弁、綿雪のように散り続けるその花弁が運ぶ春の匂いが、今、彼女の中にゆっくりと満ちてきているのだろうと僕は思った。そして僕は見知らぬ土地を一人で旅を続けるAさんの姿を想像していた。

小雨に濡れたその緋寒桜の花弁を垂らし咲いている姿は、流し台に向かい俯き加減に夕飯を作るAさんの横顔を僕に思い起こさせた。今、彼女は春を待ちながらどこの町にいるのだろうか。

春はもうすぐですよ。

Okinawa _no_Sakura_200602.jpg




2006.02.27 (Mon)  沖縄取材旅行3日目。

2月の沖縄は雨続きだということを、先ほど宮沢和史さんのライブの打ち上げでお会いしたモンパチのマネージャーの比嘉さんにお伺いしました。金曜日から今もずっと沖縄が雨が降っています。
さて今日、午後はCINEMA dub MONKESの曽我大穂にお会いしました。その名の通り、彼らのライブは音楽と映像のミクスチャー、"空間的-映画的サウンドコラージュ"と呼ばれるスタイルです。なので、結局はCDではなく、毎回が1回限りのライブで体験しないと彼らの表現活動は理解できないわけです。僕はそのスタイルってとてもいいなと思います。確かにミュージシャンである限り、1曲1曲で勝負するということがやはり前提になることは承知していますが、それでも空間全体を表現の場をして、極めて体験的に音空間を鳴らすというスタイルも「在り」だと思うのです。
夕方からは桜坂劇場で宮沢和史さんのライブを観ました。弾き語りと詩の朗読を交互に演じるスタイルで、本当に良かったです。沖縄で彼の『沖縄に降る雪』や『島唄』を聞ける機会なんて、そう滅多にないチャンスです。実際1曲1曲と丁寧に演奏する宮沢さんのライブはとても真摯でそれ故に聞く者の心を揺さぶらないわけがありません。宮沢さんはこの桜坂劇場で演奏するというのも自分自身で交渉して決めたそうです。「一人でもちゃんとやる」、それって別にミュージシャンに限らない話です。僕はミュージシャンではないけど、写真の世界で「一人でもちゃんとやる」、そうありたいと思いました。宮沢さん、素晴らしいライブを有難うございました。


(前島アートセンターにあるCINEMA dub MONKESの事務所(あるいは単なる物置小屋?)での写真。まるでジャームッシュの『パーマネント・ヴァケーション』。)



2006.02.26 (Sun)  沖縄取材旅行

金曜日の夜から取材で沖縄に来ています。今日は、首里フジコさんにお会いしました。彼女の歌は以前からとても好きで、彼女にお会いするのは以前からの念願のひとつでした。(なので、今回の企画で彼女に出演してもらおうというのも僕の提案でした。)
沖縄の歌い手というと、他にも沢山素晴らしいアーティストの方々がいらっしゃいますが、彼女の場合は、伝統的な要素に加えて、ワールドミュージック、ポップスからジャズまで等の要素が見事に「チャンプルー」されていて、他では聞けない非常にユニークで、そしておおらかな音楽を聞かせてくれます。
今日は午後彼女の行きつけのカフェでお会いしてから、彼女が「ラピュタ」と呼んでいる秘密のビーチ、そしてその後彼女が属しているレーベルが所有するゲストハウスでスタッフ全員で一緒に沖縄料理(首里さんが作る豆腐チャンプルーと三枚肉の炒め物の他、ジューシー、アーサ汁等)をつくって、夕食を一緒しながらの取材となりました。とても贅沢な1日になりました。明日はCINEMA dub MONKSの取材、そしてその後は、宮沢和史さんのツアー初日を牧志の桜坂劇場で見ようと思っています。


(Fujiko Shuri, 2006.02.24.)



2006.02.21 (Tue)  『MUSIC UNITED』

佐野元春さんが新しいポッドキャスティング番組『MUSIC UNITED』を配信している。
久々に濃厚な内容のオーディオ・プログラムを聞いた感じだ。
この番組は、つくり手とつくり手、アーティスト同士の対談なのだが、それ故にラジオパーソナリティがゲストに話を聞くというレベルでは聞けない話がここでは聞ける。
佐野さんのことやゲストのアーティストを知らない人でも、もしも音楽が好きで堪らないという人、音楽に限らず何らかの表現活動をしている人、あるいは表現活動をしたいと思っている人、またはメディアのことに少し関心を持っている人は、まずは一度聞いてみて欲しい。

昨年、佐野さんにお会いしてインタヴューしたときも感じたことだけど、今回のポッドキャスト番組を聴いて、佐野さんが選び出す言葉というのは、本当に思慮深く、そして的確だと改めて感じた。恐らくこれは全くのノーカットの内容だと思うが、僕はインタヴューもやっているし原稿も書くから分かるが、なかなかこんな風には言葉を選び、口にすることは出来るものではない。
佐野さんのインタヴューのテープお越しは、そのまんま原稿になってしまった。殆ど何も校正するところは無かった。つまり、自分が発する言葉に対しての徹底した自負と責任をとるということなんだと思う。
安易で空疎な言葉ばかりが蔓延している中で、佐野さんのスタンスに僕は強く刺激を貰っている。

米国のメディア業界の燦燦たる状況(民営化という名の下の私営化。こういうのをアメリカ化というのだろう)を見ると、ポッドキャストやブログは、その低コスト(制作費、そしてマインドの両方)故に、私営化を逃れることが出来る最後の砦のようになるかもしれない。しかし勿論これも使い方と使い手の意識による。言葉を空疎にするのか、生きた言葉を響かせることが出来るのか。勿論、僕は後者でありたいと思う。



2006.02.18 (Sat)  仏教徒

京都で僧侶の方々にお会いした時のことを書こうと思っていたのだが、その前に東京で今度は非常に若くてスマートな僧侶の方にお会いした。
神谷町にある浄土真宗本願寺派光明寺の僧侶・松本圭介さん。79年生まれ。東京大学卒業で、僧侶に「就職」した人だ。松本さんはネット上で「彼岸寺」というブログサイトを運営している。「仏教をポップにしたい」という松本さんのコンセプトに共感した仲間の僧侶やその仲間の方達が集まった超宗派のネットワークでもある。昨年は、築地本願寺で『他力本願で行こう!』というライブ&DJイベントまで行っている。ちなみに僕の好きなイラストレーターの安斎さんやみうらじゅんさんも出演している。なんだか凄い面白い発想の人だった。(ちなみに、「他力本願」は浄土真宗の核となる教え。決して「他人任せ」という意味ではない。)

最近、養老先生の『無思想の発見』という本を読んだが、松本さんに言わせれば、日本人は無思想・無宗教ではなく、自分が仏教の影響を受けていることに「無自覚」なだけで、本来仏教的な感性は高いという。様々な日本の生活文化の根幹には仏教があり、それ故に仏教の価値や面白さは様々な切り口で提案できるんだ、と。
人間は言葉が本来意味することよりも、その周りに纏わりついたイメージの方に影響を受けやすいので、仏教というと、なんだか自分はあんまり熱心でもないし、関係ないしと思いがちだが、松本さんにそう言われてみると、確かにその通りだと思う。

僕は決して熱心に仏教の教えを学んだものではないので、もしかして読みが浅いかもしれないが、僕の中で仏教とは、「自分自身の眼で自分を取り囲む世界を見続け、体験しつづけ、その結果として獲得された世界の成り立ちについての定理」のようなものであると思っている。観察→体験→思考→表現(この場合の表現とは、例えば「般若心経」のようなテキスト)、そういうプロセス、もっとシンプルに言うと、世界って何なんだろうっていう解けない謎を諦めずに自分の眼で見て考えようとする行為なんじゃないかなと思う。僕はそこには強く同感する。

とすると、写真を撮っていること自体が修行であり、仏教的な行いなのか?
少なくとも、一神教や黙示録的な発想だけは全く理解できないのは確かだな。

と、今夜は一人、極東ホテルの狭い部屋の中で、自らの信仰と写真的行為の関係について考えるのだった。



2006.02.16 (Thu)  旅の予定

今朝は、何故だかジャック・ジョンソンと僕が一緒にどこかの小学校で学校の先生をやっているという夢で目が覚めた。先生やりながら、やっぱりギターも持っていてジャムってたりもする。うっすら残るジャックの顎鬚までが見えたやけにリアルな夢だったのだが、新譜の『Sing-A-Longs and Lullabies for the film Curious George』を聞いていた影響というよりも、むしろ昨日打ち合わせしていたあるミーティングの影響の方が大きい。それと昨夜帰宅途中の横須賀線の車内で読んでいた『あたらしい教科書』(プリグラパブリッシング刊)。なんだかとってもエキサイティングな夢だった。

ジャックが主催するKokua Festivalは今年更に規模が大きくなっているようで、3年目の今年は4月中旬にマウイとオアフの2箇所で開催するようだ。今年は、Willie Nelsonがメインアクトらしい。勿論ハワイ在住のアーティスト達も出演するし、こういう世代もローカリティも文化性もシャッフルして繋げ、しかもテーマを明快に掲げながら人を動かすイベントが成立していることを考えると、勿論、ジャック本人の人間性もあってのことだと思うが、つくづく音楽の凄さというものを痛感してしまう。毎年行きたいなあと思いつつまだ実際にその場を体験していないので悔しいのだが、さて今年は行けるかな?

とりあえず、4月末にバリに行くことは決めました。



2006.02.14 (Tue)  日本のロックバンド

先週はずっと京都に出掛けていました。

月曜日は、京都産業大学写真部の卒展にお邪魔し、その後、すぐ近くの京都三条ラジオカフェでお話してきました。火曜日は、昼間に釘抜地蔵(石像寺)、常勝寺、大徳寺、円通寺等を、ラジオカフェの福井さんにご紹介頂き、夜はこれらのお寺の僧侶の方々の集まりである「薄伽梵KYOTO」という超宗派の会合にお招き頂きました。そして、水曜日は、東京で見逃していた『ドイツ写真の現在』展を京都国立近代美術館で見てから、再び円通寺に向かい、夕方、京都造形芸術大学でギャラリーエデュケーターの杉浦さんにお会いして、大学内をご案内していただいてから、夕食を杉浦さんと空間演出デザイン学科の学科長でありアーティストの椿昇さんとご一緒させていただきました。

と、ざっと主なスケジュールを書き記すとこういう感じで、1日1日が大変濃厚で充実した日々になりました。そこには新しい出会いも沢山あり、書きたいことは本当に山のようにあります。そこで今回京都で得たことを僕自身反芻しながら、幾つかのキーワードに整理して、少しずつ次回以降に書いていきたいと思います。

さて。京都から戻ってきた2月9日木曜日、新幹線を降りてそのまま東京駅のコインロッカーに荷物を預け、ご招待を頂いていたGLAY武道館公演に行ってきました。昨年末にメンバーのTAKUROさんを撮影させていただいたのですが、彼らのライブを実際に見るのは今回初めてでした。久しぶりに地鳴りがする程の物凄い歓声に取り囲まれ、彼らの人気ぶりをまさに実感しましたが、実はライブ自体以上に、僕が印象に残ったのは、彼らのオーディエンスへの向き合い方でした。非常に丁寧なんですね。演奏もやはり同じくある種無骨なまでの丁寧さを感じさせるものでした。

1月に同じ武道館で見た「くるり」もやはり超満員の素晴らしいライブだったのですが、彼らが「THE WHO」のロゴをパロディーに使ったり、60~70年代の英国ロックのテイストを巧みに取り入れ消化したとてもイマドキなセンスでファンを魅了している姿とは、ある種GLAYは対極にあるような存在に思えました。それはどこか小学生の頃よく聞いていた日本のロックバンド感、懐かしさを感じさせるものでした。

オルタナティブもメインストリームも今ではその区切りなど全く意味を持たない時代だし、音楽に関しても、音楽そのもの以外にも、アーティストの言動、あるいはファッションなど音楽の周辺にあるカルチャーまでが、世界中から瞬時に手に入れることが出来る時代になっています。その意味では特に90年代以降、ネット以降の世代においては、現在日本で活躍するロックバンドも、世界との「同時代性」を自然と体感しながら表現活動することになるわけです。
勿論、それ自体が「時代」なので、まさに時代感覚(=ポップ)を表現するアーティスト達がそうであるのは極めて自然なことなのでしょう。
それは単に英語で唄うとか、最新のトレンドを身に纏う、海外のアーティストを模倣するという表面的なことだけでなく、もっと根本にある「振舞い」とか「生き方」のところで、そうなってきているのだと思うのです。そういう生き方は、トレンドに敏感であるが故に、必然的に自らを常に変化させていくという生き方にも繋がります。(またそれ自体もオーディエンスにとってはひとつの「メディア」として魅力的なのは確かです。)

しかし、GLAYのライブで見たのは、そういうことではなく、無骨なまでに日本的なロックバンドの姿でした。あまり周りのこととか、移り変わる世界のトレンドとかにも目もくれず、むしろ自分たちの氏素性に素直である、というか。そこには、どこか多くの日本人に共通するコードも確かにあるような気もしました。そして、最新のセンスで魅了していくというよりも、人間っぽさというか、丁寧なファンとの向き合い方で絆をしっかり創り上げていく彼らの表現活動のスタンス。実際、彼らの歌のテーマにあるのもやはりそういうとこに置かれている気がします。コミュニケーションの作法と濃さ。そこにGLAYの魅力の源泉があるのでしょう。
流行やトレンド、世界で今「かっこいい」って言われていることに左右されずに我が道を潔く進む。そこにはある種の安心感と強さがあるのも事実です。そして武道館の会場のオーディエンスがどこか好きなものは好きという晴れ晴れしい表情を一様に浮かべているのは、実はそういう逞しさに由来しているのではないか、と僕は感じたのでした。
そして、そんな彼らの存在に憧れ、託し、ともに在りたいと思う若い人たちが居るということは、僕には何故か非常によく分かることでした。
『かっこいいってことはなんてかっこ悪いんだろう』というのはかって70年代初頭に元ジャックスの早川義夫さんがリリースしたアルバムのタイトルですが、GLAYというバンドが体現しているのは、逆説的にそういうことなのかもしれません。

1ヶ月の間に同じ武道館という見た2つのライブがあまりに対照的で、より一層そういう印象を持ったのかもしれません。
勿論、いずれが良し悪しとか、(最近の流行でいうと)上下とか、そういう問題ではなく、これはあくまでも「多様性」ということなのだと思います。そして多様性が同時に成立する時代というのは、豊かなのだと思うわけです。



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