2009.02.22 (Sun)  『世界を再発見するために』


("Wind-lit: Solar " by LivingWorld., Mashiko, 2006.08.)

雑誌『広告』の取材で、デザイナーの西村佳哲さんにインタビューする機会を頂いた。西村さんはデザインオフィス『リビングワールド』の代表。「センスウェア」(世界を感じる道具)をテーマにしたそのお仕事には以前からいつも大きな刺激を頂いて来た。僕にとっては敬愛する大先輩でもある。2006年の夏に行われた益子スターネットでの展覧会では記録写真を撮らせていただいた。西村さんの作品に触れながら数日間過ごした日々は本当に忘れがたい記憶になっている。今回のテーマは「世界を再発見するために」。果たして、撮り下ろしの写真、そして短い文章でどこまで西村さんの世界に近付けたか。3月15日に発売される雑誌『広告』をお楽しみに。

「世界を再発見するために」。そんなテーマなので当然ながら誌面の限られたスペースの中では収まりきらない話となってしまう。誌面からはこぼれたけれど個人的にとても印象深かった話を記しておきたい。

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『例えば、隣に誰かが座っていたら何か喋らなきゃと、たった15秒の沈黙も耐えられない人っているよね。それは実はテレビやラジオにつくられてしまったリズム感だと思う。15秒の沈黙でも今の人にとってはまるで一種の放送事故。それくらい、とても時間密度の高い時代に生きているんだと思う。
確かに人は社会的な約束事のもとに生きざるを得ない。でも自分自身が感じているものをじっくり味わう前に、『今は笑うところなんだ』『今は感心するところなんだ』という風に社会的な状況に回収されてしまうということが少し過剰に強すぎるように思う。
特にお勉強が出来て情報の処理能力が高い人ほど、そんな風に過剰適合になりやすい。何でも出来てしまうから、テニスのネットプレーみたいに、ただ飛んで来た球を深く考えることなく反射的にネット際で打ち返そうとしてしまう。
よく見ることなく、すぐに自分の中で出来上がった雛型みたいなものに上手に合体させて「こういうものだ」と答えを出してしまう。
そんなネットプレーを繰り返すうちに自分自身のことがどんどん分からなくなってきて、自分のことはわからないけどボールだけは返し続けるようになっていく。
しかし不意に背後のライン際にロブとか上げられると、いっぺんにパニックになってしまったりもするんだけど。
これは、何か自分と世界との間を埋めなきゃならないっていう強迫観念に駆り立てられている姿なんだと思う。でも結局、何も見えてはいないし、何も聞こえていないように思える。
そうではなくて、「既にそこにある」ものに気づき世界そのものの豊かさを味わうためには、やっぱり自分自身が「よく生きる」ことしかないんだよね。
写真を撮る前によく見る、演奏する前によく聞く、飲み込む前によく噛む、話す前によく聞く。そんな風に、本当に見たり、本当に聞いたり、本当に味わったりすることが大切なんだと思う。
アウトプットよりインプット。世界を感じる解像度を高めることが肝心。
自分の実感から離れることは、世界からも離れていくことだから。
よく噛んで食べる人は自然の移ろいも同じように味わっていると思う。』
(from a dialogue with YOSHIAKI NISHIMURA, 2009.02.)
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いつかのこと。信頼していた人の言葉が、何故だかとても虚ろに響いて仕方なく、そんなはずはないと信じようとする気持ちと、信じきれない気持ちが混じり合い、結果として上手くコミュニケーションすることが出来なくなってしまったという経験がある。手際よく返される言葉にはその人の本当の姿がどうしても見えなかった。方便だとしてもそこに混じっている幾分かの嘘が信じることを揺らがせた。
会話はずっとまさにテニスのネットプレーのようだった。
話をしようとする遥か以前に既に「答え」は出されてしまっていたし、何をどう語りかけても全ての言葉はコミュニケーションが成立する前に、深い森の奥にある沼の底に飲み込まれていってしまった。
放っておけばいいものを、他の人のように淡々と関係性を維持しておけばいいものを、信じたかったが故に靄を払ってもっとよく見たいと必要以上に踏み込んでしまった。そして結果的には決定的なディスコミュニケーション、もう二度と会うこともない悲劇的(喜劇的)な結末となってしまった。

先の西村さんの話を聞いて、いつかのこの経験が強く思い返された。
そしてある時、その人が撮影した写真を見たときのことを思い出した。

その写真には確かに子供達の姿が撮影されているものの、何も写っていなかった。
フォーカスがあっていないというわけではなかった。うっすら幕が降り身体が持つ生々しさから遊離したような光景。両足で構え狙おうとする以前に押されてしまったシャッター。いわゆる素人写真の未熟さともそれは違っていた。テクニックやセンスの問題でもないのだ。
つまりは、それは「見る」以前の写真だった。
そして見ていないのに切り取られてしまった光景は、残酷で寒々しかった。

その写真を見た時に妙に心がざらついた。そこに写っている(写っていない)ことを信じてもいいのかどうか迷った。理屈などではない、あくまでも直感。しかしその感覚が拭いきれない。戸惑った。そして結論を出すことが出来ずにした。しかし、西村さんの話を聞いて、やっとその謎が解けていくような感覚がした。
写真にうっすらと降りかかっていた幕は、その人の世界の有り様であり、関わり方を示している。

きっとその人個人の問題ではなく環境のせいだとは思う。家庭を含めた取り巻く環境が「よく見る」前に撮るというような人生をつくってきてしまったのだろう。ネットプレーで勝ち続けなければならない生き方を強いらされて来たのだと思う。
しかし過剰に外の世界に反応するその振る舞いの裏側で「本当はもっとよくこの眼で世界を見たい」という無邪気な表情をその人の中に垣間見たこともあった。そしてその無邪気さを感じたが故に、結果として僕は必要以上に踏み込みすぎてしまった。
しかしそれは間違いだったのだと今では思う。
僕自身も時間密度の高い日々の中でその時十分に見えていなかった。状況をもう少し落ち着いて丁寧に眺めることができていれば、そこまでのろくでもない結末には至らなかっただろう。

僕自身が「よく見る」こと、「よく生きていく」こと以外に、自分がすべきことは他に何もないのだと思う。そして魑魅魍魎、聖俗入り交じるこの世を、この空と海のわずかな狭間を確かな自分のリズムを刻みながら歩いていくしか出来ることはないのだ。そしてその路の上で出会えるものがあれば、その出会いに感謝しそれらを愛しんでいけばいい。それ以外のことはする必要はないし、すべきでもない。僕はそれをこの苦く馬鹿馬鹿しいこと経験から学んだ。
あの時以降の僕の写真が明らかに次の次元へと変わっていったことは、この学びの成果だと思う。

*西村さんとのダイアローグは近々このウェブに掲載する予定です。



2009.02.14 (Sat)  travelogue #13

既に監視員を除いて周りには人はいない。水の底に真直ぐに延びた青いラインに沿って身体を延ばし進む。30分も泳ぐと身体が水に馴染んで来る。そして最初は捉えどころのなかった水の存在感を徐々に感じ始める。両腕両足が確かに水を蹴っている。前に進もうという意思に水が応えてくれているのだ。その感覚が堪らなく心地良い。このままずっと身を任せていたくなる。そして閉館間際まで止まることなく2時間近く泳ぎ続けた。まだまだ泳いでいけそうだ。


( Kamakura, 2009 , from『Neighborhood』 )



2009.02.02 (Mon)  travelogue #12

見ることで永遠の朝を言祝ぐ。
見ることで汚れた夜を洗い出す。
見ることで日々は絶えず生き返る。



(Fontainebleau, France)



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