再び、ヴェンダースの『映像(イメージ)の論理』を書棚から取り出し読みつづ けている。
彼の作品が紹介される際にはしばしば「ロード・ムーヴィー」というキ ーワードが用いられるが、彼はやはり本質的に「ロード」を巡る人であった。
『まわ り道』というゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』をもとに撮られた彼 の作品があるが、まさにその作品が彼の存在そのものを象徴している気がする。ちな みに『まわり道』のオリジナルタイトルは『間違った動き』であり、何かを目指し動 き続ける男が最後には一歩も動けなくなってしまうという話であって、最後に得た何かではなく、何かを切望する姿自体がエロティックであり、惨めであり、そして物語である。
映画と自身の故郷の歴史とを受け止め、それ故に動き、巡り続ける彼の姿を この本を読むたびにイメージし、そして、勇気づけられる。映画、映像、そしてア ートというものがいかに個人と社会との緊張関係で生まれるものなのかを再確認する 。
さっき、渋谷始発の東横線車内で読んだフレーズを。
『映像は少なくても、それが生命に満ちたものであるなら、無意味な映像の大量生産よりは望ましいのではないか。何かが真に見られたかどうかを決定するもの。それ はまなざしである。』
2002.03.27 (Wed) 生活
昨年知人から薦められていた『スロー・イズ・ビューティフル』(辻信一著/平凡社)をようやく読み終えた。最近読んだものの中では僕自身にとって本当に重要な一冊になった。書かれていたことは僕なりに毎日の中で感じていたも多く、それが実践を通して著者が得てきたその意味でリアルで明快な言葉で記されていることによって、より自分自身の発想や漠とした考えを整理してくれたし、多くの示唆を与えてくれるものとなった。
この国ではどんな言葉もアイデアも一度社会で流通しだすと、メディアがまるで甘い樹液に集るかのようにいっせいに取り上げ、なぜか受け手もそのスピードの中で簡単に一喜一憂しながら互いに協力しあってその寿命を縮めていくという傾向がある。寿命だけではない。「早い情報」(=つまり表層的または偏った情報により、まるで全てがわかったかのように済ませてしまうこと)によって、本来その言葉やアイデアのもの「味わい」や「真価」を読み取ることが出来ないというまさに「ファースト・フード」のように味気ないものにしてしまうという傾向というか習性もある気がする。
『スロー・イズ・ビューティフル』で著者が自身の人生を通し血肉として獲得してきた言葉やアイデアを、僕はじっくりと反芻し、そして自分自身の生活の「糧」にしていくことを考えていきたいと思っている。それは「生きていく技術」、すなわち「アート」、そして「文化」なのであり、もう「アート」や「文化」によって生活を創り上げる以外に、僕たちがこれから生きていく術などないのだから。
2002.03.01 (Fri) 仕事
今、ある音楽アーティストのヴィジュアル・プロデュースを引き受けています。
彼と僕は同い年、同じ関西出身ということもあり、仕事やプライベートを通して以 前から親しくさせていただいていました。彼がある意味自分の「商品」価値を託すこ とになる役割を依頼してくれたことを、僕は心から感謝して引き受けさせて頂く ことにしました。これまで仕事としていろんな企画も考えてきましたが、今回はいつ も以上にマインドも、アウトプットのレベルも高く目指して行きたいと考えています。
実際には、アーティスト写真、アーティストとレーベルのシンボルマーク、CDジャ ケット、プロモーション・ヴィデオまで、考えることが山のようにあって、しかもそ れがシングル数枚、アルバム、と1年間続いていきます。そのひとつひとつがすぐに チャートやセールスだけでなく、彼のアーティストとしての存在感に影響していく真 剣勝負なわけで、相当に大変なことを引き受けてしまったなと思っているのが正直な ところです。勿論、そんな緊張感があることで更に良いアウトプットへと挑戦してい けると思っています。 成果はそれが世に出たら報告します。