2001.12.31 (Mon)  最後の月

朝6時半、東京駅発のひかりで神戸へ。
遅い夜明けの車窓からは都心のビルをかすめ浮かぶ満月。それは逆の方向から橙の今年最後の日が昇り、富士の山が近づく頃になっても薄い青の空の中に未だくっきりとその姿を残していた。 こんな風に月を見たのは、2年前にニューヨーク北部の山道をダニー・ライアンが運転するヴォルボのフロントガラスから見た、あの「BLUE MOON」以来だ。あの時、あの月を見て、そして彼と話をして、僕は少しだけ写真や表現という行為について何かを掴んだ気がした。そんなきっかけを与えてくれた月だった。

僕は猛スピードで走る車窓から富士山と満月のツーショットをフィルムにおさめた。
明日からの新しい年を考え、わくわくしながら。

午前10時には、神戸・北野町の西村珈琲店へ。
強い風が吹き荒ぶ中をウエイトレスの女の子のピュアな笑顔を見たいがために現れる老人。「暖かい方へどうぞ。」と声をかけ労う彼女の姿に感銘。
Cafeのなんたるかと再確認。年末で人気のない北野の坂道を友有子と2人で写真を撮りながら巡る。人通りがないことで本来の北野の光景をまたしても再確認。路地を縦横に歩きながら、家並みや垣根の隙間から鋭くしかし優しく差し込む陽に、確かな影を背負いながら佇む垣花たちに向かってシャッターを切る。
残りまくった宿題が気になるものの、こうして今年最後の日にも、いくつか心に残る出会いや情景に出会えたことに感謝し静かに次の年を迎えている。



2001.12.25 (Tue)  再会

オーチャード・ホールでのVincent Galloのライブ。
この2年間、ParisやLAや日本で何度か会おうとしたがお互いタイミングが合わず、丸2年ぶりの再会になった。赤ではなく、白い薔薇を選び花束にして持っていった。

「白は俺が一番好きな色だよ。」そういってあの無邪気な笑顔で迎えてくれた。

「勿論、そうだろうな、と思ってさ。」



2001.12.22 (Sat)  光

金曜日の夜、珍しく忘年会に出席するために、渋谷円山町へと出掛けていった。
場所はある雑居ビルの7Fの、その名も「7階」という店。忘年会といっても友人たちで年に1回集まろうという趣旨のものであって、仕事上の面倒くさい付き合い話があるわけでもなく、久々に逢う友人や、またその友人の知人なども交えて、久々にリラックスした楽しい時間を過ごすことが出来た。
渋谷の町はクリスマス直前の金曜日ということもあり昼間以上ではないかと思えるほどの人波に埋め尽くされていた。僕はなるべく大きな通りを避け、東横線ホームからマークシティ横の路地を抜け、客待ちのタクシーでにっちもさっちも動かない道玄坂を横切り、みんながいる店へと早足で向かった。途中、道玄坂を横切ろうとした時いつも見慣れた道玄坂の風景とはちょっと違うことに気付いた。なんてことはない、道玄坂の並木一本一本が小さな電飾で飾り立てられずっと先の坂上の方まで通り全体がライトアップされていたためだ。
クリスマス。ただ、僕は残念ながらあまりそのライトアップを美しいとは思えなかった。

ライトアップそのものが人の気持ちをどこか高揚させ、街全体を僅かに浄化して見せる効果があるのは分かる。
「キリスト教徒でもないくせにクリスマスなんて」などとこの際言わないし、自業自得なのか被害者なのかはともかく9月11日以降、この渋谷の街ですら去年の同時期とは違うどこか重苦しく出口のますます見えない空気が充満しているのも確かであって、この光の回廊に沿ってすこしでもそんな重い気が坂を登って外へと流れていくのもアリかな、とも思ったのだが、 そんな風にも思いながらも、やはり残念ながら素直に美しい情景とは思えなかったのだ。
それは既に過剰なまでに広告塔やなにやらでライトアップされ、昼間以上にそれらが放つ光や色で眼を痛めるほどまでに街全体が不気味に発光している中で 、クリスマス向けに電飾された並木は埋もれてしまっているのであり、本来それ自体が持っているであろう光の回廊としての美しさを発揮できないためだ。
そしてむしろ街全体の不気味な発光量全体を更に高めてしまっているためだと感じた。
果たして通りを行く人を観察して見ると、思いのほか「奇麗だね」という顔でその光の並木を見上げる人が極端に少ない。広告の電飾が途切れるマークシティ上の交差点まで来てようやくそのことに気付く人たちがいるという状況であり、予想通り、彼等は発光する街全体の中で、その光の並木を発見することが出来ていないようなのである。

そこで提案。クリスマスかどうかはともかく、年に1回、その年の出来事への聖なる回想と次の1年に向けての希望に思いを馳せる時間をこの街に与えようとするのなら、枯れて悲痛な表情の並木を電飾で飾り立て、更に消費電力を上げるようなアプローチではなく、むしろ全く光を消した闇の空間を、ある一定期間設けるというのはどうだろうか。

道玄坂でなくても、どこかほんの短い通りでもよい。
突然にその通りだけが全ての明かりを消している光景を作り出すことは出来ないか。
通りには、ひとつだけステイトメントを掲げ、それを小さな蝋燭で照らし出すだけでいい。何故この闇がこの日にこの場所にあるのか、 それだけをシンプルに記したステイトメントだけをその闇の中に映しだせばいい。
「ライトアップ」ではなく、「ライトダウン」させることによって、その闇の通りを歩く人たちの中にこそ、それぞれなりの光を「ライトアップ」していくのだ。

先日日記に書いた「電車の中で足を引っ掛けるサラリーマン」の話にしても、「ライトアップ」という単純な発想にしても、要するにイマジネーションの欠落によるものだ。与えられることに慣れ、プッシュするという一方向的な術しか思いつかない貧素な関係性と会話。日本では消費行動をいつも以上に更に掻きたてる方便としてのクリスマスであるという状況を黙認したとしても、せめて毎日の日々や世界、そして心の中へとイマジネーションをゆっくり愉しむ祝祭としてこのタイミングを活かしても良いのではないだろうか。
光は与えられるものだはなく、光は自分自身で灯すものだと僕は思う。



2001.12.18 (Tue)  花の絵(続き)

13日の日記に書いたことが気にかかる。
よく考えると「薔薇を描けない」などと小学1年生で自己主張できることって凄いことなんじゃないか?もしかして先生が何か彼等の持つ才能を読み取ることが出来ていないからではないか?そうも思えてくるのだ。(話をしてくれた先生のことではなく)最近も想像力の欠落した大人たちをいろんな場所で見かけるにつれ、「描けない」のではなく「描かない」「貴方の方法ではやりたくなく」と主張している子供の顔が浮かんで来るのだ。

些細な話ではあるが、先日、忘年会シーズンで込み合った電車から降りようとすると、ドアの横ではなく、ドアの正面に立ちふさがり降車客を邪魔したまま突っ立っている年配のサラリーマンがいた。
僕が彼を避けるように電車を降りようとすると全く信じられないことに彼は足を出し降りようとする僕の足を引っ掛けた。思わず「何をなさるんですか?」と強く言った所、きっと見つからないと鷹をくくっていたのだろう、思わず彼は恥ずかしさと行き場のないバツの悪さで顔を赤らめ眼を伏せた。その姿を見て情けない気持ちになったままホームに降りると、また信じられないことにドアが閉まる直前に彼は僕に向かって「バ、バ、バカヤロウ!」と精一杯のコトバを振り絞り叫んだのだ。
僕はあっけにとられホームでしばらく呆然となってしまった。
怒りよりも情けなさや悲しさのために、へなへなと力が抜けてしまった。
なんたる想像力のなさ、最後に振り絞って思いつくコトバの語彙のなさ。
見た目60歳近くの立派ななりの社会人であったことが更に僕を脱力させた。
悲しいコドモが増えているのではなく、情けないオトナが増えているのではないか。

先の「薔薇の話」に戻そう。 いずれにしても一方的な見解ではまずい。
人から聞いた話ではなく自分自身で体験しないと何事も判断など出来ないほど、様々なリアリティがあるわけで、「へえ~そうなんだ。」といいながら、気になるところには歩いて出掛けて行くしかない。そう思う。
と、いうわけで、この度仲間と一緒にある小学校の教育プログラムを考え自分も教室に入っていくことにした。



2001.12.12 (Wed)  共有

 僕は写真を表現する場として、壁や空間が最も適していると思っている。勿論全ての写真や写真家がそうだとは限らないし、あくまでも僕自身の写真についての話だ。僕は何が写っているのかということ以上に、その写真から放たれる「熱」や「空気」や「匂い」のようなものこそを呈示したい。大げさに言えば「熱に魘される」ような写真を撮ることが出来ればと思っている。(それも含めて「何が写っているか」ということなのだけど。) そして、その「熱」や「空気」や「匂い」といったものが、やっぱりHAPPYを運ぶものであって欲しいと思っている。青臭いかもしれないけど、最終的にはアートや写真というものは社会や僕等の毎日の営みと個人の間にあるわけで、何のために写真を撮って人に見せるのかというと、やはりそこにしか理由がないと思っている。

昨夜、ギャラリーにも足を運んでいただいたデザイナーのI氏からメールが届いた。彼は奥さんと(そりゃもう無茶苦茶可愛い)お嬢さんと3人で来てくれたのだけど、彼とお嬢さんは会場ではプロジェクター(今回はフィルムとスライドをプロジェクターで投影することも行った)の前で、影絵をして遊んだり、床を転げまわってはしゃいだり、僕もカメラを取り出して一緒になって遊びながら写真を撮ったりと、その時だけはギャラリーの中が楽しい遊び場になったのだった。 そんなI氏から届いたメールは次のような内容だった。

『こんちはです。 個展会場では、娘と一緒になって騒いでしまいすいませんでした。 作品ステキでした。 じつは、ワシオ君の個展の前に 知り合いの画家が青山で個展をしていて そっちの方を見てきたあとでした。 会場自体はすごくオシャレで青山~って感じでしたが、 作品はあまり感じるものがありませんでした。
 娘も親のその微妙な感覚を感じ取ったのか、 単に作品が気に入らなかったのか つまらなそうに、挙げ句の果てには「お腹へった帰りたい~」と ブーたれる始末。
僕としては、ワシオ君の個展にも行こうと決めていたので どうしたものかと思いつつ、なだめすかしてやっとの思いで ワシオ君の個展会場に行き着きました。
娘の機嫌が悪くならないうちに早めに帰ろうと思っていたのですが、 心配はなかったです。 子供の感覚は鋭いので、娘もワシオ君の個展で何かを感じたのでしょう。 楽しい一日でした。 また個展をする時は必ず誘って下さい。 』

娘さんはきっと単純に「面白い生き物だなあ」なんて思いながら僕を見ていたからかもしれないけれど、素直にとても嬉しいメールだった。彼女はどんな風に感じたのだろう。あと10年後くらいに彼女と話をして見たいと思った。彼女が大人になったときにもしもその時の記憶のかけらでも残っていたとしたら、それはどんな感覚なのだろう。



2001.12.10 (Mon)  呼吸する

無事、個展が終了しました。
昨日の最終日は朝から絶え間なく古くからの友人やふらっと覗きに入ってくれた人たちでごった返し、慌しくあっという間に一日が過ぎました。
本当にありがとうございました。心から感謝しています。

たった1週間という短い期間でしたが、毎日毎日僕自身にとっては忘れらないような出会いがあり、むしろそんな出会いを通して得られたものが多すぎて、正直、実は軽い微熱が続いているというような状況です。
感じたこと、改めて得たことが沢山ありすぎて、今会期中にも撮影した人たちのポートレートを現像し、言葉を読み返し、もう一度そのことを反芻しようとしているところです。 ただひとつ、まず感じたことを今日のところは書き記しておければと思っています。

それは、「呼吸する」ということです。
今回はこの3年間で撮った写真を選び抜きました。
僕自身が今この時に持っているモノを全力で吐き出したと思います。
そして、その結果僕はこの1週間で、それ以上のモノを多くの人との出会いや会話や共有した時間から吸い込むことが出来たと思っています。まるで「呼吸」をするかのように、吐き出した分だけ吸い込むことができる。逆にいえば、吐き出さないと吸い込むことも出来ない。何かそのような呼吸=営み自体がとても僕にとっては大切なことで、そのことの大切さを実感するとともに、実際に十分に深い「呼吸」をすることが出来たと感じています。 写真そのものが作品として世に呈示するに値するものを目指すことは勿論ですが、それだけではやはりない気がしています。
全部吐き出したから、また僕はもう一度、いちから写真を撮り始めるしかないという状況です。

土曜日に洋画家のWさんがふらっと覗きにいらっしゃいました。(正直僕はその時はWさんだとは知らないで話していたのですが。)何人かの人にはお聞きした質問なのですが、「あなたの家の中にあるもので、ひとつだけ無くすと困るもの。HOMEがHOMEでなくなってしまうものは何ですか?」という質問を渡部さんにもお伺いしました。すると彼は、「実はつい先日家が火事になってしまって全部焼けてしまったんだよ。全部の作品も。でもね、その後、僕は絵を本当に描けるようになった気がするんだ。神様がそんな状況を与えてくださったんだよね。僕は今絵を描くことが出来るんだ。」そうおっしゃいました。

何か呼吸をするかのように生きていくこと。
肺の中に何か残しながら新しい息をしようとするのではなく、思いっきり吐いて、思いっきり吸うこと。そうしないと誰より自分本人がうまく生きていくことが出来ない気がします。
僕も そんな風にこれからも写真を撮っていくことが出来たら、と思っています。
写真だけでなく、他のどんな営みにおいても、そんな風に出来たらと思っています。
沢山の人との新しい出会いや会話の中で、僕自身がこれからも大切にしていけることも沢山ありました。不思議ですが1日1人は、象徴的な「今日の一言」を与えてくれる人に出会いました。そんな人たちや彼等の言葉はまた反芻しながら書き記すことが出来たらと思います。 改めてですが、今回ギャラリー・コーワに来ていただいた方々に、もう一度感謝いたします。 本当にどうもありがとう。僕は今この微熱を抱えたまま次のことを考え出しているところです。みなさんはその後どんな生活をしていかれるのだろう、そんなことも考えてたりもしています。また会いましょう。



2001.12.04 (Tue)  

今日は午前中ずっと雨が降っていたため、ギャラリーに訪れる人がどれくらいいるものなのかと考えていたが、結局 昨日と同じ程度の人が訪ねて来てくれた。
何人の人がこの前の通りを通りかかるものか数えたりはしていないが、 恐らく写真やアート、もしくは僕の写真の世界に引っ掛かる人の割合っていうのはある程度の比率っていうのがあるの かもしれない。
今日はそんな中で珍客といえば失礼だが、とても面白い人が訪ねてきてくれた。
「いやあ、ぜひ来てくださいって書いてあるはがきをもらったもんだからさあ。」といいながら大島さんは午後雨の中現れた。

僕も彼もお互いどこかであったような気がしないでもなかったが、ちょっと名前をお伺いして、大島さんが 2年前にフラッと当時の個展を観てくれた人で、彼が芳名帳に残してくれたアドレスを頼りに僕自身が今回の案内を お送りしていたことが改めてわかった。
彼はいきなり「いやあ、仕事がなくなっちゃってな。あんたが”ぜひ”ちゅうもんだからさ。」といいながら テーブルに腰掛けお話をはじめられた。大島さんはご自身が絵を描いていらっしゃる方で、自分がどんな絵を書いている のか、どんな活動をしているのか、ということを僕に延々を話してくれた。・・・のだが、彼のお話はどうも最初から あちこちと飛んだり、突然固有名詞(僕が知っているという前提で)を取り出して話されたり、そもそも半分独り言 に近い話っぷりだったりで、なんとか僕もがんばろうと思ったのだが、どうしても半分程度しか文脈をキャッチアップすることが出来ず、完全には理解することが出来なかった。
しかも僕が合いの手を入れると、またその話を軸に360度とまでは行かないまでも、280度くらいの角度で話が膨らみ、僕は必死で文脈を見つけようと話を聞き続けることを余儀なくされた。いろんなギャラリーのお客さんがそんな二人を見ながら入れ替わり立ち代り現れたりする間にそんな風な会話が約1時間くらい続いた。

そんな折、金色に染めた髪を後ろで結び、原宿近辺でよく見かけるようなロックテイストのファッションを 着こなした女の子がフラッとギャラリーに入ってきて、写真とあわせてプロジェクターに上映している僕の映像作品を 椅子に座って一生懸命に観だした。
大島さんは彼女のことをチラッと見ながらちょっと気になった様子で話をちょっと小休止しそんな彼女の姿を目で追っていた。
彼女はプロジェクターに映し出された作品を見終わるとゆっくりと写真を 順にゆっくりと時間をかけて見て回った。2日目だけど、写真を見る彼女の姿に、これまでに来てくれた他のお客さん よりも何故か静かな熱のようなものを感じて、ギャラリーを彼女が出て行く前に「よかったら感想でも聞かせてください」と声をかけてみた。
彼女は「このポスターって売っているんですか?幾らなんですか?」と今回の個展用に制作 したポスターを指差して尋ねてきた。彼女の顔を見ると、どこか不安げというか壊れそうな印象が漂っていて、思わずはっとしてしまった。同じような格好をした女の子は表の通りを沢山歩いているのだけど、彼女はどこか本当に触れると 壊れそうな印象が強くして、僕はちょっとの間どうしてだろうっと彼女の表情に見入ってしまった。 僕が「そうだね、じゃあ500円でどう?」っていうと、彼女は値切ろうとするわけでもなく、でもちょっと 困ったような顔をしてみせた。僕は彼女の雰囲気を感じていたので、「いいよ、あげるよ。君には。実際 誰よりも写真をちゃんと見てくれていたし。」とポスターを1枚取り出し、丸めてあげることにした。
彼女はお礼を言ってくれて、芳名帳に名前を書き、表の通りへと出て行った。
その後、彼女が書いてくれた名前を見ると、そこには写真への感想が記されていた。

「人が好きです。この作品には人の体温の暖かさが見れて良かったです。今日はじめて東京に出てきて、もう息がつまって いたんです。ここに来て少し休まりました。ありがとうございました。」

彼女は自分の住所と名前の上にそんなメッセージを残していた。
僕がそのメッセージを読んでいると、大島さんが「あの子はあんたの知り合いかい?偉く熱心に見てたよなあ。」と ぼっそと話かけてきた。
「彼女、フラッと入ってきてくれたんですよ。ここにこんなメッセージを残してくれました。」
僕は大島さんに彼女のメッセージを見せた。
「沢山の人が集まることよりも、彼女のようなお客が一人でも居てくれるほうがいいんだよ。あんた週末までこの個展を やってんだろ? きっと今日が一番いい日になるから。」 大島さんは僕と、そして自分自身にも言い聞かせるように、ちょっとだけ大きな声でそう言った。 結局大島さんは1時間以上もギャラリーの真ん中のテーブルに着いたままぼんやりと写真を眺めていた。

「じゃあな。そろそろ帰るわ。」
大島さんがギャラリーを出ようとしたとき、僕は大島さんにお願いして、彼のポートレートを撮影させていただいた。ギャラリーで話している時よりも、ちょっと寂しげに視線を落とした大島さん の表情がファインダーの中にあった。
「俺の個展の時に使うからよ。送ってくれよな。幾らだい?5万円位か?それと ポスター買ってくわ。」
「ポスター代だけ頂いておきます。ポートレートは今日のお礼に差し上げます。僕も写真を使ってもらえると嬉しいし。」
「そうかい。じゃあこんくらいの大きさで焼いといてくれや。」
そういいながら大島さんがギャラリーを出て行った。
空は相変わらず曇ったままだったけど、雨はどうやら止んだようだった。
明日はどんな人に会うのだろう。



2001.12.03 (Mon)  冬のインディアンサマー

前日日曜日の夜、準備のために完成した作品パネルを持ち込んだものの、実際にギャラリーサイドから頂いていた 見取り図のサイズが違っていたり、何せ老朽化した建物のため随所にひずみが生じでいたりして、結局パネルサイズ を変更し現場で切り直しするはめになった。

結局、準備が完了したのは当日の午前3時を回ったところであった。
すべてを中根さんと2人の手作業で進めていくうちに、毎日がこんな風に何かを作る日々であればと心から思った。 パネルを何度も買いに走った東急ハンズにも僕らと同じように「このサイズ?」「いやもっと大きい方がいいよ」 なんて真剣に話している人たちをたくさん見かけた。僕と中根さんは「あいつらどんなことやってんのかな?」なんて ちょっと嬉しくなりながら、大きなパネルを車に運んだ。
最終的には作品そのものが問われるのは言うまでもないけど、何か自分の手でカタチを作ってみるってことを 続けていけば、そしてそんな人が少しずつでも増えていけば、僕たちの毎日も少しずつ上手く行くようになる 気がする。言いすぎなのかもしれないけど。
会場内の設置は予想以上に上手く行き、むしろ現場で出たアイデアによって当初の構想よりも良いインスタレーション になったと思う。
ふらっと覗きに入ってきた人のほかにも、何人か友人も駆けつけてくれたし、どこで知ってくれてい たのか「鷲尾の写真が好きで」と行って来てくれた人も居て、初日から嬉しい話になった。
また作品を見ていただいた方から、来年の初旬に別のギャラリースペースでの展示を引き受けてくださる方が出たり、 フランスのギャラリーへのプレゼンテーションをサポートしてくれる話も頂いたりと今後につながる話も生まれた。
ただ、本当に直感的なのだけど、通りに出て改めて気づいたのは、何か俯いて歩いている人、すぐ1メートル弱の目の前 までしか視界がない人が多い気がした。それは人とぶつかっても謝らない子供をよく見かけるようになったことと 同じ話なのか、単に冬の日のせいなのか、商業地という場所柄なのか、単に僕が誰よりもきょろきょろと歩く人間というせいなのかわからないし、単に作品の問題なのかもしれない。
ネガティブな意味でではなく、いったい写真やアートが生活の中にあるという人、もしくはあってほしいと思う人、必要とする人はどの程度存在するのだろうか。
HOMEに は何があり、何が要らないのだろうか。
純粋にそんな疑問が表参道沿いに座り行き交う人を見ながら浮かんだだけなんだけど。

明日はどんな人に会えるのだろう。



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