2025.10.9(Thu)
「近接性」という原理
先日、カルロス・モレノ著『15分都市の実践』(日本語版)を手に取った。序文には、哲学者・三木清さんの「生活者」という言葉が引用されていて、思わず「よく知っているな」とうなずきながら読み進めていた。ところが本文に目をやると、この「生活者」という概念は「鷲尾和彦から教えてもらった」と書かれていて、驚いた。ああ、そういえば確かにそんな話をしたな、と記憶がふとよみがえった。
そのことも含めて、この本が著者自身の旅と出会い、街をじっくり観察する中で紡ぎ出された成果であることが、すぐに伝わってくる。そしてモレノさんは、必ず先人たちの功績やその継承に敬意を払う。序文を書いたのも、彼が深く尊敬するヤン・ゲールさんである。その姿勢に、どこか愛らしいものを感じながら、楽しくページをめくった。
「15分都市圏」という近接性に根ざした生活圏のあり方が今世界的に注目されるのはなぜだろうか。それは第二の近代(ベック)以降、個体化してしまった私たちを再び結びつける原理が「近接性」にあるということであり、「近接性」を通して、「まち(都市)」や「文化」は、他人任せではなく、自分たちでつくりだせるものだという実感を取り戻すことを実感できるのだということに改めて気づかせてくれることにあるのではないか。そして、そうした実感は、精神論や理屈だけではなく、デザインという現実の空間での体験を通してこそ得られるものだと思う。
「生活する者」とは「つくる者」である。モレノさんはこの「生活者」という言葉から、その深い意味を読み取っていた。日本では日常的に使われる言葉だが、ここまで鮮やかにその意味を掬い上げた例はあまり見たことがない。結局のところ、人間とはどのように生きるのか、どのように存在するのかという問いこそが、鍵になるのだろう。
今度お会いする際には、もうひとつ、三木清さんの言葉を伝えたいと思う。
「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。」
(三木清『人生論ノート』より)