鷲尾和彦

「極東ホテル」の撮影地について


 
僕の初めての写真集「極東ホテル」(赤々舎 2009年)の撮影地であった、東京・台東区のある小さな簡易宿が昨年営業を終了しました。64年間の歴史だったとお伺いしたので、1950年代後半の創業でした。初めてこの宿を訪ねたのが2005年。ご主人と偶然に知り合えたこときっかけでした。初めてこの場所に立った時、世界の中心に立っているようだと素直に感じました。写真集刊行後も通い続け、15年以上もの長い間、お世話になってきました。
直接的な理由としては、このコロナ禍のために海外からの旅行者が全く来なくなってしまったことです。日本の首都である東京都は他の地方都市と比べ、コロナ禍の中での宿泊業への支援が限定的であったともお伺いしています。ときおり訪れる東京近郊の日本人客がいたものの、それだけでは営業が続けられないと判断されました。
きっと旅人たちは戻って来る、きっとまた誰かに会える日が来るだろうと、ずっと心の中で思い続けていたのだと、その場所がなくなることであらためて気づきました。大きな震災もあってその時も旅行者たちはいなくなったけれど、それでもこの場所がしぶとく続いてきたことを覚えていたから。
震災、スマホやSNSの普及、そして今回のコロナ禍。さまざまな理由によって揺さぶられ、その場の持つ雰囲気も、人々の振る舞いも、この場所そのものも、否応なく変化していきます。この狭い場所では、大きな社会の変化やうねりをいつも鮮明に感じることができました。
洒落た雰囲気の宿泊施設がソーシャルメディアの普及とともに東京都内にも増えましたが、その意味では、この簡易宿は、個人を個人としてあるがままに受け入れる、とてもニュートラルな場としてあり続けたような気がします。
まだ出会える人たちがいたのではないか。もっと写真が撮れたのではないか。何かできたことがあったのではないか。様々な後悔も悔しさも、自分の未熟さも、いろいろな気持ちが込み上げてきます。
時代がつくる様々な変化を受け入れていくことは大切なのだとは思うのだけど、それでもどうしてもそこには「寂しさ」が残ります。そして、その寂しさがまた誰かと出会う気持ちを駆り立てていくのかもしれない。
写真集「極東ホテル」の中に、作家・詩人の池澤夏樹さんが「寂しい惑星(Lonely Planet)」というエッセイを寄稿してくださったのですが、それは決して「孤独」という意味ではないのだと僕はずっと思っています。
写真集を刊行した2009年以降も撮っていた写真を含めて、今また少しずつ見返して行こうと思います。昨晩、少し見返しただけでも、当時の僕には見えていなかった写真、その人の存在が目に入ってきました。またそのことに気づくとともに、こんな未熟であったにも関わらず、またこんな寂しい写真なのに、写真集にしてくださった出版社の方のことを思うと本当に有り難く思わざるを得ません。もう書店にもないでしょうし、旅日記をそのまま綴じたような、もともと朽ちていくことが織り込まれた佇まいの本でした。見返すうちにいつか形が消えてしまう、そういう本だったのです。そういうことも含めて、本当に貴重なかけがえのない経験をさせていただいたと思っています。最後にこのホテルで撮影した写真は、ご主人の息子さんが生まれたばかりの赤ん坊、つまりご主人のお孫さんを抱きかかえた写真でした。まさかその写真が最後の一枚になるとは思ってもいませんでした。今、写真を見直しながら、何度もまた彼らに会いながら、プリントを少しずつしていこうと思います。その先がどうなるのか。簡単に書くことではないのだけれど、もう一度彼らの肖像をまとめることが叶えられないかと思っています。