鷲尾和彦

記録すること、記憶すること。

2012年、『高校生で出会っておきたい73の言葉』という本が出版された。編者は作詞家・詩人の覚和歌子さん。この中の、1/73の言葉として、僕の写真集『遠い水平線(On the Horizon)』からの一節が収録されている。写真集「遠い水平線』は、2011年、あの震災発生後から東北を巡りながら撮影した写真と、その時に書いていた日記とでつくった私家版の写真集だったから、当時、覚さんから突然メールを頂戴した際には、「よくまあ見つけてくださったものだ」と、とても驚いた。
 
「記録すること、記憶すること。見えるものだけでなく、見えない存在を、まだ見ぬ存在を想像しようとすること。」
 
覚さんは日記の中から、この一節を選んで下さった。これは2011年の夏、福島県の海辺を歩きながら書き留めた言葉だ。人が歩いた痕跡もすっかり消え、ただ打ち寄せる波跡だけが残っている砂浜を歩いた時、ふとそんな言葉が込み上げてきた。その時見た風景は、足の裏で感じた感触は、その時感じた気持ちは、きっとこれからも大切な記憶となって残り続けるだろう。その言葉は、この小さな写真集の中で一番書き残しておきたいと感じた言葉だった。「まだ見ぬ存在」とは、これから生まれてくる新しい世代の子どもたちのことだった。当時1歳になったばかりの娘と、彼女たち新しい世代の人たち。彼らといつかこの時の経験を話すかもしれない。その時、彼らの前に立っている僕は、あの出来事を目撃した一人としてなのか、あるいはその事態を引き起こした当事者の一人としてなのか。そんな複雑な気持ちもあった。詩人の覚さんは鋭く、その言葉を拾い上げた。
 
この書籍のことを思い起こしたのは、9歳になる娘と、アマゾンの森林を襲っている大規模な火災について話したことがきっかけだった。森が燃えることが、どのような影響を人間に与えてしまうものなのか。彼女なりに想像しようとしていた。娘は動物たちが好きで、今は夏休みの宿題として父親から受け取った「ドリトル先生シリーズ全13巻」の読書感想文に格闘している。いつか獣医になりたい。しかもドリトル先生のように、病院に連れ込まれるペットたちだけではなく、自分から動物たちに会いに世界を旅をするような、そんな冒険家のような獣医の姿に彼女は憧れている。アマゾンの森林や、アフリカのサバンナ、北の国の氷の上に住むあの白くて大きなホッキョクグマたちにもいつか会いたいと話してくれた。それで、僕と娘は、うちにある星野道夫さんの写真集を開いて、アラスカの動物たちやホッキョクグマの親子の写真を一緒に眺めながら、南の森が燃えること、北の国の氷が融けること。動物たちの生存圏が損なわれていくこと。そして、それは僕たちが何気なく暮らしている日常や暮らし方とも密接に繋がっていることを話した。
 
その時、僕はふといつか自分自身で書いた言葉のことを思い出した。そして僕の言葉が載ったページの隣に並んで、星野道夫さんの言葉が、1/73の言葉のひとつとして記されていたということも。
 
僕は娘と一緒にその本を何年かぶりに手にしてみた。この本を作った人は、あの「千と千尋の〜」の主題歌を作った人だよと話したら、娘はちょっと驚いた。バラバラに、それぞれが全く無関係に存在していると思っていた、物事や人の存在や風景や動物たちが、一冊の本の中で結びついていて、不思議に感じたようだった。でも、本ってそんな風に編まれるものなんだよ。早すぎるということはないだろう、僕は覚さんからお送り頂いたその本を娘にプレゼントした。
 
日々メディアを通じて見聞きするニュースには、将来や社会の不安を掻き立てるものが少なくない。誰がどんな思いで書いたのか、誰もわからないまま、人の存在と切り離され、無責任に広がっていくコトバも多い。
 
しかし、世界中の動物たちに会いに行きたいと話す娘の姿には一点の不安など感じない。そこにはただただ、希望だけがある。そしてそう話す彼女の言葉には、彼女自身の存在の確かさがある。
 
娘や娘たちの世代のことを思い、自分には何が出来るだろうかと考えることが少なくないけれど、何か大げさなことを考えているわけではない。ただ、いつでも、ひとつひとつをちゃんと自分の目で見て、自分自身の言葉を見つけていこうと思う。そして、娘と、娘たち新しい世代の人たちと、一緒に話をしていきたいと思う。それぞれの存在と、それぞれの存在の確かさを込めた言葉によって。そのことを、これからも続けていこうと思う。そんな風に暮らしていきたいと思う。
僕たちは皆誰もが当事者なのだ。だからこそ、よく見て、よく想像して、よく話をしなくてはならないように思う。
 
PS
明日から、日本、中国、韓国の文化交流事業「東アジア文化都市」プログラムに参加するために、韓国を数年ぶりに訪問します。僕の展示は『遠い水平線』、あの時東北地方で撮影した写真を何年かぶりに展示する。写真家の吉川直哉さんがこのテーマを選んで下さった。展示を行う仁川は「海」を大切にしている町だとお伺いした。僕が参加させていただく展覧会も「海」をテーマにしている。こんなタイミングだからこそ、今、自分自身の写真と言葉を携えて、中国や韓国の写真家や若い大学生たちにお会いできることを本当に有難く思っています。
 
「記録すること、記憶すること。見えるものだけでなく、見えない存在を、まだ見ぬ存在を想像しようとすること。」