色をいただく
2009.5.8
染織作家の石垣昭子さんが、島に自生する植物を用いた伝統的な染織に取り組むために西表島に「紅露工房」を開いたのは、今から約30年前の1980年のこと。以来、染織作家として国内外で高い評価を獲得するとともに、島の伝統行事「節祭」の衣装を復活させたり、後継者育成にも力を注いできた。自生する植物から色を、植物繊維から糸を。石垣さんが織り上げる布の色彩の美しさ、それは全て自然の恵みから生まれてくる。
海からの風が木立を揺らし吹き抜けていく。木漏れ陽が緑の芝生の上をまるで砂糖菓子を散らかしたようにきらきらと転げまわっている。芝生の上に置かれた盥(たらい)の中では、抽出したばかりの紅露(くうる)の染液が午後の陽の光を丸ごと呑み込んだように赤くひかり輝いている。「紅露の赤茶色は、午後の陽の光を浴びると鮮やかさが増すんです」。
石垣昭子さんは布づくりや染色に取り組むために、まず素材となる植物を育てることから始めた。
「ここには山、海、川がある。そして光も、風も、水も、土も。すべてが揃っている。だから色は自然に生まれてくるのよ」。
植物はその生まれ育った土地や気候に相応しい環境で育てられ、最適な時期に採集された染液がもっとも美しく染まるという。
「もっとも美しく、もっとも心地よくあるためには、自然に適うこと、この環境に素直であることが一番なのよ。それは人も同じね」。
物干し竿の上では色とりどりの布が風に乗って泳いでいる。琉球藍の透き通った深い蒼色。福木の目が覚めるような黄色。紅露の力強い赤茶色。そしてアカメガシワの軽やかな灰色。全て工房の近くに自生している植物の恵みだ。
この島では、女性が機を織るのはごく自然のことであり、それは生きていくことと同義だった。石垣さんは丁寧にその生き方を紡いできた。そして長い時間をかけて、様々な織物に挑み、そして何十色という色を探し出し、染め上げてきた。しかし今では琉球藍、福木、紅露、アカメガシワという4つの植物とその植物がもたらしてくれる色だけに絞り込んでいるという。その理由を尋ねると、「自然にそうなっていった」と石垣さんはさらりと答える。
「確かにこの4色が揃うのは日本中でもここしかないでしょう。しかし島固有の色というよりも、古来から日本人が愛してきた色だったのよ」
石垣さんがそのことを発見したのは、初めて海外で展覧会を行った際に立ち寄ったパリでのことだった。オルセー美術館で行われていた浮世絵展を見た時に、広重や歌麿も、結局この4色で描いていることに気づいた。
「それに、この色はよく売れるの」。 石垣さんの布を買い求めていく多くの人が自然を失くしてしまった大都市に暮らす人々。そんな彼らが好んで求めていくのもこの4色になるのだという。
「この4色は日本人がずっと持ってきた色の感覚なのでしょうね」。
和らいでいく午後の日差しの中で、軽やかにそよいでいる4色の布。ただ単に、綺麗というだけでは何かが足りない。それはとても力強い色。確かな実体としてこの世に存在している色。
「確かにどれも力強い。なのに、どのように組み合わせても色がぶつかりあうことなく不思議と調和する。それは自然から頂いてきた色だから。自然の中には様々な色があるでしょ。緑の葉っぱの中にも、緑の濃淡があり、黄や赤も入っている。そして自然の色には共通して影の色である灰色が潜んでいる。この影の色、灰色によって自然の色は調和しあい混じりあっていくことができるのよ。もしもこの自然の色の中にちょっとでも化学染料をいれると、その色が飛びぬけてしまって不調和を起こしてしまうの。なぜなら人工の色には影がないから」
光から色は生まれる。しかし色に力を与えるのは影。光と影、それこそが自然の恵み。染織に限らず、古来から様々なものづくりは全て自然が相手だった。植物も、生き物も、土も、風も、太陽の光も、人が生きていくために必要な恵みをもたらしてくれるものは全て人間には作りだせないものであり、そしてそのことをわきまえた暮らしがあったから。
今では、私たちは何でも自分たちで作れる、あるいはお金で買えると思ってしまっている。しかし本当は、自然の恵みをただ受けとっていくことしか出来ないのだ。
「そこにユウナの木が生えているでしょ。ユウナには自然の酵母菌があって、琉球藍の色を抽出するのにとても大切な働きをしてくれる。このユウナは先祖がここに植えたものよ。豊かな恵みを与えてくれる『環境』をつくることが、ただひとつ人間に出来ること。私たちに出来る一番大事な仕事なの」
初夏の心地よい風がやむことなく静かに渡っていく。風は染め上げられたばかりの布が含んだ湿り気をそっと運び去っていく。
琉球藍
どんな緑の植物からも、緑色の布を染め上げることはできない。琉球藍の葉を発酵させ抽出した緑色の染液も、空気に触れ外の世界に出るとそれは深い藍色に変色する。緑色は見えない世界の色、「あの世の色」と呼ばれている。
福木
福木からとれる黄色は眩しいほどに鮮やかだ。それは「太陽の色」。太陽の色は「神の色」だ。そしてこの黄色は琉球王朝の象徴でもある。
紅露
紅露の赤は土の色。紅露は育つ土を選ぶ植物。だからここで取れる紅露が生み出す赤は、一番その土地を象徴する色だといえる。
アカメガシワ
ゲーテはその『色彩論』の中で「色は光の行為だ」といった。確かに色は光からうまれる。しかしその色に美しさと深さを与えるのは影のちから。影の色である灰色は「この世の色」といわれている。
(雑誌『広告』 2009年)