鷲尾和彦

花を織るひと

「知花花織」(ちばなはなおり)という美しい名を持つ織物のことを知ったのは数年前のこと。沖縄の友人から、彼の恋人がその伝統的な織物の復興に携わっていること聞いた。二人が暮らす町で生まれた布だという。知花花織は、現在の沖縄市知花を中心に織られてきた沖縄の伝統的な染織物で、15世紀頃に南方から伝わったと言われている。普段着や晴れ着として庶民の女性たちによって織られてきたが、沖縄戦で壊滅的な被害を受け、織り手の多くを失い存続が危ぶまれた。研究者や地元市民の努力によって技術が復興され、後継者育成が軌道に乗り出したのは、まだこの10年あまりのことだという。
 
昨年の秋、僕は念願かなって知花花織の工房を訪ねることが出来た。知花花織事業協同組合理事長の小橋川順市さんが出迎えてくださった。工房内では静かに女性たちが織り機を操っていた。そこにはあの彼女の姿もあった。
「花」と呼ばれる紋様が、地糸の上に経に連なり浮くように施される知花花織はなんとも可憐で美しく、そして繊細だ。生きるために織っていた布だというが、その手仕事に、僕は沖縄の風土が育てた生活文化の底力を目の当たりにして驚くしかなかった。
しかも、実際の作業を拝見すると、それは想像していた以上に緻密な技術が必要とされるものだった。経糸と緯糸とを組み合わせて織り上げるため、糸は織り機に仕掛ける前から先染めされ、模様が入る部分と入らない部分とが予め糸の段階で染め分けられている。しかも織っている間に糸が縮むので、織り縮み分も計算しながら染めているという。生産効率や経済的な側面からだけみると、なかなか厳しいと小橋川さんはいう。
しかし、布を織り続ける人たちの表情は柔らかく、工房全体にゆったりと落ち着いた空気が流れていることに僕はふと気付いた。それを察してか、小橋川さんは『ウナイティサージ』という言葉を教えてくださった。それは、その昔、女たちが舟に乗る男たちの無事を願い、祈りを込めて織った小さな布のこと。
「だから、今もこの布を織りたいという女性たちがこうしているんです。」
一枚の布は美を愛でる心を呼び覚ますとともに、僕たちがこれから生きていくための大切な物語をも運び届けてくれる。工房にはカタカタと小気味よい機織りの音がいつまでも響き続けていた。
 
それから半年経ったある日、沖縄から嬉しい便りが届いた。それは、知花花織が国の伝統的工芸品として認定されるというニュースだった。沖縄の伝統工芸品が国から指定されるのは23年ぶりになるという。あの静かな工房で花織を織り続ける女性たちの横顔を僕は思い起こしていた。
 
(『日経モメンタム』2012年6月)

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