鷲尾和彦

Blue Moon Drive

『OK End Here』。
 
そうタイトルが付いたEメールが僕の自宅に届いたのは、去年12月のある真夜中だった。「OK。君との約束、了解した。出来ればその前に新しい写真集を見ておいてくれ。」そしてそのメールの最後には「“OK End Here”。それはロバート・フランクの2作目のフィルム・タイトルだ。」と付け加えてあった。ダニー・ライアン。ドイツ移民の息子としてNYで育った彼は、60年代前半、当時の黒人公民権運動を支援する学生団体SNCCの専属カメラマンとして写真家のキャリアをスタートさせた。そして彼はその強烈な好奇心と幸運なアクシデントに突き動かされて、アメリカの隠された物語を撮り続けていった。僕は彼を写真家として以上に、偉大なる冒険家として憧れを強く感じてきた。彼は今どんな冒険を続けているんだろうか。偶然にも以前NYで訪れたギャラリーの方々の協力もあって、この冬久々に新しい写真集『KNAVE OF HEARTS』を出版したばかりの彼に会う約束を交わすことができた。
 
「地下鉄が止まっちゃって、途中から歩いてきたのよ。」少し疲れた表情で、マリがホテルに現れた。腕に日本では発売されていないダニーの新しい写真集を抱えて。彼女は僕の友人でもあり、今回無理言って通訳を頼んでいた。彼女が持ってきてくれたダニーの新しい本は『KNAVE OF HEARTS』とタイトルが付いてあった。その本は見開きの右側にコラージュされた写真、左側には彼が書いた文章がそれぞれ時代に沿って並べられていて、つまり彼がそのイメージとコトバによって自身の人生を描き出したとても長い物語であった。僕は彼に会うまでのわずかな時間、少しずつ少しずつその中に入り込んで行った。天気は下り坂で、雨がゆっくりと霧のように降りてきていた。吹き抜ける木枯らしが街角からクリスマス気分を吹き飛ばしていた。インタヴュー当日、昨日までの天気が嘘のように空は高く晴れ渡り、ミッドタウンはクリスマスの買い物客でいつも以上に込み合っていた。僕とマリは約束の時間ちょうどに、待ち合わせのギャラリーに到着した。受付にはダニーを紹介して頂いた日本人女性のレセプショニストである池内さんご本人がいらっしゃって「ダニーなら、もう先に来てますよ。」と明るく応対して頂いた。しばらくして奥のスタッフルームの方から、ダッフルコートとニットキャップ、そしてよく履きこまれたワークブーツといういでたちのダニー本人が現れた。
 
「お前か、私に会いに来たのは。話しは後だ。まずは昼飯と行こう。」
 
そういうと彼はもうロビーを抜け、エレベーターホールへと歩き出した。僕らは彼の大きな背中に追い遅れないように着いて行った。彼の行き付けのレストランもやはり混み合っていて、待っている間に僕は彼との話を始めた。僕の親はあなたと同じ年齢なんですと話す僕に、「1942年だな。私はドイツからアメリカへ渡ってきた移民の息子だ。それにしても日本人で私の話しを聴きに来たってのは初めてだな。」と彼は微笑んだ。
 
「お前は『A Portrait of the Artist』っていうジェームス・ジョイスの本を知ってるか。アーティストとはどうあるべきかってことを私はこの本を通して学んだんだ。この本の最後で彼は自分の友人や恋人を捨ててでも、やるべきことのために旅立つんだ。」突然訪ねてきた日本人の子供達(彼から見ると僕らはちょうどそんな感じだ)を見て少し諭すかのように話し始めた。「私は数年前までクイーンズのコミュニティカレッジでドキュメンタリーについての授業を持っていたんだ。1コース200ドルで授業料は安かったがね。10年前の学生達はといえば、ドキュメンタリーを学んでTV局に入ってお金を稼ごうって奴が多かった。でも最近は自分たちが撮りたいからってフィルムをまわしていたりする。すごくいい傾向じゃないか。そんな若い人達がいるってことは、少しはこれからの時代も良くなるってことかもしれない。お前はこれからこの世の中がもっと良くなって行くと思うか?日本はどうなんだ?」これから世界はどうなっていくんだろうか。彼は食事をしている間、何度もその質問を繰り返して僕らに尋ねた。それは時々、僕らへの質問という以上に、自ら自問自答しているようにさえ見えた。
 
「『ローンレンジャー』というテレビ番組が子供の頃大好きだったんだ。彼こそが私のヒーローだった。今でもそうだ。彼は白人の保安官だが、インディアン達とも友達なんだ。私は彼のようになりたいとずっと思っていたんだ。」そう話している彼の丸く大きな目には今でも消えない好奇心旺盛な少年性が宿っていた。「さあ戻ってインタヴューだ。でもどうだ、うちに来て夜は寿司パーティーをしないか?」食事を終えて表に出た僕らに彼から思いがけない提案があった。もちろん僕らが乗らないはずが無い。他の用を済ませてくるっていうダニーとは約1時間後に再びギャラリーで会う約束をして僕らは一旦別れた。僕とマリは今夜のパーティーのために日本の食材を売る店まで慌てて走った。「私、寿司なんかつくったことないわよ。ニューヨークにいるんやし。」「でも君は日本人女性なんやから寿司くらい出来るやろ?」「自分から喜んで行きますっていったくせに!」僕らは大声でそんな馬鹿なことを言い合いながら、多めに寿司海苔とお酢、特選生わさびを買いこんだ。「なんか遠足みたいね。」と、マリは楽しそうに、スナック菓子とお茶も買っていた。ギャラリーで再会した僕らは混み合うミッドタウンでなんとかタクシーを捕まえ、ダニーのクルマが置いてあるアッパーウエストのパーキングへと辿り着いた。そしてまだおろしたての皮の匂いがする彼の新車・ボルボT6に乗りこみ、ハドソン河沿いを北へ、彼の自宅のあるニューパルツへと向かった。彼は運転しながら「今から日本人の客を連れて帰るぞ。今夜は寿司パーティーだ。」とマリの携帯を使って奥さんのメアリーさんに連絡を入れている。「魚は何がいい?ツナ? ジャックフィッシュ? イエローフィッシュはどうだ?」ウィリアム・グローブ・ロードを走っている辺りで既に陽は落ち、道路の左右に流れて行くすっかり葉を落とした木々のシルエットだけがまっすぐ僕らの上に影を落としていた。
 
「お前達は知ってるかな。今夜は“ブルームーン”っていうんだ。今日は12月で2回目の満月、そして今夜の月は一番地球に近いところにある。この2つの偶然が重なるのは本当にレアなんだよ。次ぎは150年後なんだ。」 え!今夜なの?後部座席からマリが驚いて身を乗り出した。外は完全に夜の闇になり、ヘッドライトに照らし出された北へと伸びる一本道と、時々行き交う車の姿しかみえなくなった。それでも山々のシルエットははっきりと輪郭を描いていて、今夜が美しい月夜であることを充分に匂わせていた。たわいのない話をしながら、しばらくドライブを続けていた時だった、右回りのカーブを大きく廻わり切ったところで、唐突に僕らの目の前に黄金色に輝く満月がその姿を現した。すぐ目の前に広がるハドソンリヴァーバレーの山々の峰に覆い被さるようにして、その異様に大きな満月は強い光を放ち浮かんでいた。まるで強い意志を持った誰かの瞳が僕らを睨み付けているかのように。僕とマリはその光景に唖然となってしまった。「あれが150年に1度の“ブルー・ムーン”だ。こんな夜は私達をクレイジーにさせるかもな。」僕はその光景に魅入られたまま彼と話しを続けた。
 
貴方はシカゴ大学で歴史学を勉強されたんですよね。
 
「その通りだ。私は歴史を勉強してきたんだ。歴史を学ぶことが好きなんだ。誰もが歴史を学ぶものさ。日本では子供達に日本の歴史を教えるだろ。アメリカ人はアメリカの歴史を教える。ドイツ人はドイツの歴史を教える。問題なのは、こうした全ての歴史は最後には結局“愛国心”によって利用されてしまうことだ。そして最後にはとっても悪い方向にいってしまうことなんだ。お偉いさん達は歴史的な物語を悪用する。そのことで人々をコントロールしたり、利用したりするために。とても残念なことだ。私は本当に歴史が好きだ。ストーリーが好きなんだ。でも机の上だけで学んでいる者は大馬鹿だよ。」
 
僕はこれまで貴方を写真家という以上に、むしろ『ストーリーテラー』として感じていたような気がするんです。
 
「お前が言ってることは正しいよ。私は写真を『文学(Literature)』として捉えているんだ。写真を撮ることはまるで『書くこと(Writing)』のようだ。私がしていることは全てまるで小説のようであり、文学のカケラのようなだと感じている。それでも私はヴィジュアル・アーティストなんだ。私は偉大なる写真家達に心からの尊敬をしている。例えばブラッサイとかね。彼が文章を書いたのかどうか私は知らないし気にもしない。写真なんだ。その写真を私はリスペクトしているし、そんな写真を撮りたいと思っている。でも同時に私にとってまだ挑戦しなくてはならないことは、何か自分がいいたいことを文章にすることだとも思っているんだ。昨日もインディアン達を撮った写真を見ていて感じたんだが、ただインディアンの写真を撮るだけでは、自分の中に人間として完璧に満足できない部分があるんだ。確かに私は『見る』って行為を愛している。でもその一方で、音や言葉や誰かが話しているのを聞き入ったりする。書くことは、そんな話したり聞いたりしたことを残していくためには必要な手段なんだ。撮ることと書くことはお互いに補完しあうものなんだ。」
 
あなたは新作の『Knave Of Hearts』の中でも、あなたならではのコラージュという手法で物語を描いていますよね。あなたならではのストーリーテリングはどのようにして産まれたんでしょうか。
 
「私はシカゴで写真家としての仕事をしてきた。あるドキュメンタリーグループの一員としてね。その時彼らは『フォト・ストーリー』ってアイデアを持ち出した。例の『ライフ誌』のやったことだ。私はそのアイデアがすごく嫌だったんだ。朝起きる、仕事に出掛けて行く、妻と話しをしている、家に帰って来る、犬が出迎える、そしてベッドで眠る。それが『フォト・ストーリー』だ。なんて馬鹿げた写真だろう。それは写真なんてもんじゃない。写真は『ヴィジュアル』なんだ。それはストーリーを説明するためではない。例えばお前が愛する人の写真を撮ったとする、お前はそこから何かお前を前に進めてくれるものを感じるはずだ。それが写真だ。私の最初のコラージュは、父、祖父、祖母、私、私の息子、犬、それらを一枚の写真にしたものだ。私の父は私の息子に会ったことがない。私の祖父も勿論私の息子に会ったことなどない。だから私はそれらを一枚の写真にしたんだ。インディアンの『トーテムポール』は知っているだろう? 彼らは、父、祖父、祖父の父、自分自身、そして子供を木に彫ってひとつのポールを造るんだ。コラージュによってつくった私の写真はまさにこのトーテムポールと同じなんだ。でも実はその写真に写っているのが私の父なのか、祖父であるのか、そんなことはどうでもいいことなんだ。ただその写真を見て感じることができるかどうか。それをひとつの写真としてみたときに、何を感じ取ることが出来るのか、そこが重要なんだ。」
 
僕らを乗せたT6はニューバーグブリッジを渡ろうとしていた。僕らは目の前に現れたこの世の果てのようで、同時にこの世の始まりであるかのような神聖な風景に魅せられ続けた。
 
「ほら、この月夜の写真をクルマから降りて撮って来なさい。」僕は、彼に言われるや否やすぐにクルマを飛び出し、木々の間から青白く輝き川の上に浮かんだブルームーンを撮りに走って行った。「ははは、お前はホントにフォトグラファーだな。私は寒くてクルマの中だよ。」クルマに戻ってきたとき、彼はそう言って笑っていた。
 
「ほら、あれが私の家だ。」大きな道を脇に入ったところで、彼がそういって一軒の家を指差した。月夜に照らし出された家は派手過ぎない飾りが玄関周りに施されて、家の前の芝生には葉をすっかり落とした大きな木が一本だけ立っていた。家の横には大きな納屋があり、中には古いトラクターが止められてあった。
 
「あれが私のトラクターだよ。40年代のものなんだ。私も確かにバイクを持っていたけど、決して所謂バイク乗りじゃなかったんだ。このトラクターの方がよっぽど気に入ってるよ。こいつに乗れば何でもガンガンなぎ倒して進めるしな(笑)。」家の中にはいるとすぐに奥さんのナンシーさんが出迎えてくれた。もちろん彼女の顔を僕は既によく知っていた。彼女は実際とても明るくチャーミングで突然の客を快く迎えてくれた。僕はお土産に持ってきたSea Weedを彼女に渡し、マリはエプロンをつけてさっそく今日の寿司パーティーのための準備にとりかかった。ライアン家はクリスマスではなくユダヤ教のハヌーカを祝うために家の中には派手な飾りはなかったが、ありとあらゆるところに沢山の家族のポートレートが飾られていて、それは派手なクリスマスの飾り以上に親密で暖かい雰囲気を創り出していた。廊下には家族全員でニューメキシコを訪れた時の沢山の写真がコラージュされ、ナンシーさんが綴った鮮やかなキルトと並んで飾られていた。それはダニーとナンシーさんがそれぞれの手で編んできた家族の物語だ。僕がその写真を眺めていると、メモを書きこんだ名刺を持ってダニーが現れた。「ほら、お前はこの後パリに行くんだろう? だったらここを訪ねてみなさい。ここには私がこれまでに撮ってきた映画が全て置いてあるから。」 そこには、パリにあるMEPと呼ばれる写真美術館の場所と電話番号が書いてあった。
 
「さて、私のスタジオを見に行くか?」
 
そういって彼はニットキャップをかぶって離れにある納屋を改造したスタジオに僕を連れていってくれた。スタジオは大きく、家と同様に木の温もりが優しい雰囲気を醸し出して、壁には彼の最新のプロジェクトであるアメリカンインディアンの写真が何枚も貼り出され、作業台の上には、新しいコラージュが制作中だった。このポスターを見なさい、と彼は壁に貼っているアメリカの地図を指差した。それは何百年も前から現在まで、アメリカンインディアン達の居留地の変遷を示した地図だった。「かって、アメリカは彼らの土地だったんだ。それが今ではこんな小さな場所に追い遣られている。」彼が指で指したインディアン居留地は、あるで地図に付いた小さなシミのようだった。そしてそこには「Vanishing Point」という言葉が記してあった。 スタジオから戻ると、マリとナンシーさんが大声でわいわいいいながら寿司パーティーの準備をしている声が響いていた。ちょうど魚の仕入れから、息子のノアと娘のレベッカも戻ってきた。僕は台所からマリを呼んで、『KNAVE OF HEARTS』について話を再開した。 「この本は、つまり追悼碑なんだ。本当に沢山の人達への。この本は100年間もの歴史でもある。最初の写真は私の父、祖父の写真だ。この中に出てくる私が出遭った人達は、ほとんどが死んでしまって今はもういない。これはダニエル・セイモア。お前も知ってるだろ。彼は本当に私にとってかけがえのない友人だった。これはジョン・E・サンチェス。そしてこれは彼の墓だ。これはウィリーだ。こっちの写真は私の家族。彼女は飛行機事故で死んだ。これはロバート・フランクの娘、アンドレア。彼女も死んでしまった。これはテキサスの刑務所で知り合った友人達。ここにいる彼らはみんな死んでしまった。でも、私の手元には彼らの写真がある。そして私は生きている。この本はまるで教会だ。そして追悼碑なんだ。日本でも誰かが死ぬと、お社や祭壇をつくって奉るだろう。この本は死んだ人達に捧げたお社なんだ。そして私は自分の子供達にこれらの写真を見せたかった。」 1ページ、1ページ、彼らの写真をそっとめくりながら、ダニーは僕にそう話しつづけた。でもこの本に収められた写真は本当に美しくて、鮮やかで、むしろ生きている匂いを強く発しているように感じます。「そうだな…。お前は、『Bleak Beauty』って言葉を知ってるか?」彼は唐突にそう僕に尋ねた。それはダニーがナンシーさんと2人で創った出版社の名前だった。
 
「例えば、ロンドンの天気の悪さって知ってるな。いつも霧がかかっていて、よく雨が降っていて、寒々しくて。通りにはあまり人が居なくて、物悲しい。そんな天候のことをBleakっていうんだ。Bleakってのは色が無くて、単調で、不快で、醜いことを意味している。Bleak Beautyとはつまり“醜さの中の美”っていう意味だ。反語だよ。でもその相反する意味が重なったところに本当の美しさがあると私は思う。とても悲しくて、寂しいんだけど、だからこそその中に見つけられる美しさがあるんだ。」 そういって彼はマリに本棚から1冊の写真集をとってくれと頼んだ。それは彼の家族のアルバムである『I’d like to eat on the dirt』だった。そして彼はその中に収められた雪が舞うニューヨークの街路を撮った写真を開き僕らに見せた。
 
「例えばこの写真だ。これはNYのクリスティー・ストリート。私達はここに住んでいた。これがまさにBleak Beautyだ。私が尊敬するアートコレクターのドミニク・ドミニールが私にこう言ったことがある。『あなたの全ての写真には、HappyとSadの両方のクオリティがある』と。この『KNAVE OF HEARTS』は死を写している。でも美しい。相反する2つの意味が含まれているんだ。例えばこの写真の彼は囚人だ。彼らは社会的にはBadな存在なんだ。でも美しい。」
 
あなたは何故今このような写真集をつくったんですか。まるであなたの人生の集大成のようでもあるわけですから。
 
「私はまるで自分の人生が終わったかのような“ふり”をしてこの本を作ったんだ。 この本はフィクションなんだよ。でも人々はそのことを理解はしない。私がドキュメント写真を撮っているから。でもこれはクリエイションなんだよ。それは写真が真実を撮らないっていうことを意味しているのではない。何事にも始まりがあって、終りがあるんだ。私が出会ってきた人達をもう一度振り返るために、私は自分の人生が終わったことのようにしてこの本を完成させたんだ。でもそれは真実じゃない、私の人生は終わっていないから。そして物語の最後で私は子供達を見ている。そこでは、私の子供達が次の新しいアドベンチャーに立とうとしているんだ。」
 
彼がそこまで話した時、ナンシーさんが寿司パーティーの時間よ、と僕達を呼びに来た。
 
僕らはノアとレベッカが買って来てくれたサーモンやツナを、手巻き寿司にしてパクついた。たっぷりワサビを効かして食べている僕に、勇敢ねと家族の皆は笑った。手で掴んだりして食べられるか、と普段は頑固なダニー父さんも今夜は素直に従った。「私達もお父さんと一緒に撮影現場にしばらく移り住むこともあるのよ。」と、高校生のレベッカが僕に教えてくれた。普段は家の中に入れてもらえない飼い猫も今夜は珍しい客がいるからっていうことで特別に居間に上がってきて、僕のひざの上に沢山の白い毛を残してじゃれている。明るいナンシーさんは「うちのお父さんは天才よ。あの『グレート・ファミリー・アルバム』を見た?でもこの人、いつも人を見るときはこうやって少し斜めから見ているのよ。」といって明るく笑った。僕はまるで、ライアン家の皆が『グレート・ファミリー・アルバム』と呼ぶ写真集の中に入り込んだような、心地よい錯覚を感じていた。僕はもう既にこれ以上質問をする必要もない気がしていた。何故彼が今まで執拗に消えて行く物語を、『ヴァニシング・ポイント』を必死で綴って行こうとしてきたのかが分かりかけた気がしたからだ。「もうインタヴューはもう充分だな。」そんな僕のことを察してか、食事を終えてからダニーはそう静かに言った。
 
もうすぐマンハッタンに向う最後の電車が出発する。ノアが僕らを駅まで送ってくれることになった。「また来なさいね。いつでも歓迎するわ。」明るい声でナンシーさんがそう応えてくれた。マリはすっかりナンシーさんと仲良くなっていて、今度ブルックリンのカフェで一緒にお茶しようという約束をしていた。ダニーは静かに僕の肩に手を置いて微笑んでいた。外は相変わらず大きなブルームーンの明りで、闇全体が青白く発光していた。家の裏にある池も、庭に1本だけ植えられた古い大木も、大きな納屋も、その前に置かれた釣り用のボートも、その青白く発光する闇の中で静かに眠っていた。
 
パリの街はクリスマスストームに襲われ悲惨な状況になっていたが、着いて早々に僕はダニーに教えてもらったMEPを訪ねてみた。そこで僕は彼が60年代後半からこれまでに創ってきた全ての映画を見ることができた。最後に見た最も新しい作品『Media Man』(’94)では、ポートジェファーソンのタトゥー・コンテスト、ミシシッピー州のユニオン・チャペルのソウルミュージック、ニューパルツの自宅農場でとれる野菜や、死んでしまった飼い猫を子供達と一緒に埋めるシーン、そして他の映画にも頻繁に登場するダニーのご両親のお墓を家族で訪ねるシーンなどがたんたんと綴られていた。そこには彼らがともにアメリカという物語を綴っている姿があった。最後の映画を見終えて、表通りに出たとき、また霧のような雨が降り出してきた。夕方5時だというのに、もうすっかり外は暗くなっていた。辺りにはまだクリスマスストームの傷痕が癒えずに通りの隅の方に残っていた。メトロの駅前にぽつんと置かれた移動式の小さなメリーゴーランドだけが、ゴールドとオレンジとブルーの鮮やかなライトを点灯させて回転しつづけていた。
 
『BLEAK BEAUTY』。僕はダニーが語ったその言葉を感じていた。そして、あの大きなブルームーンの光に包まれた農場のことを思い出していた。
 
(”BLUE MOON DRIVE” Dialogue with Danny Lyon 『ウェイストランド』VOL.6 2000年5月)

back