鷲尾和彦

Transit

2015年9月。ヨーロッパを旅していたとき、オーストリア・ウイーン西駅で、シリアから逃れてきた「難民」たちと遭遇した。
列車からプラットフォームに降り立つと、他のプラットフォームには、次から次へと「難民」たちを載せた列車がやってきていた。ホームは多くの人でごった返し、大学生ボランティアが、彼らの行く先を尋ね、いつ目的地に向かう列車がやってくるのか、どうやって目的地にたどり着けるのかを熱心に訊ね、手助けしようとしている。去年の秋の始まり頃は、特にドイツやオーストリアでは受け入れに前向きだった頃なので、あちこちに「Welcome Refugees(ようこそ、難民のみなさん)」というメッセージが駅の構内のあちこちに貼り出されていた。封鎖されたプラットフォームでは、パン、水、バナナ、コーヒー、スナック菓子、子供のおもちゃ等を載せたカートが並べられ、人々が群がっている。次の目的地に向かうバスが来るまでのわずか3時間、僕はこの場所に居続け、一人でも多くの人と話をしようとした。
シリアだけでなく、アフガニスタン、バングラディッシュなどから来た人達も多く、その中の何人かの青年は流暢な英語で「大学では工学の修士をとっていたので、その能力を活かしてヨーロッパで仕事がしたい」と話してくれた。「ドイツは人が殺到しているから僕はオランダがいいなと思っているんだけど君はどう思う?」
たくさんの小さな子供連れもいた。親戚や知人と一緒に移動しているのだろうか、ボランディアが用意した食事を食べながら閉鎖したプラットフォームの上で小さな子供達を抱きしめながら談笑している彼らの様子を見ていると、ここがウイーン西駅で、彼らが「難民」と呼ばれている人達で、ということを忘れてしまいそうになった。なぜなら、それは自分が家族や親戚と一緒に過ごす休日の風景とそっくりだったからだ。スマートフォンで祖国に残してきた子供達と会話している父親の姿、それはさっきウイーン西駅に向かう列車の中にいた僕自身だ。
列車がホームに滑り込んできた。目的地に向かう列車なのだろうか、人々が殺到する。さっきまで一緒に遊んでいた少女が家族とともにその列車に乗り込んだ。僕はプラットフォームから彼女が座席に座るのを見届ける。その瞬間、彼女の表情が変わるのをはっきりと認識する。手を振ってくれる彼女の姿を僕はプラットフォームから、ガラス窓越しに撮影する。言葉がわからないから、僕は出来る限りの笑顔で、大きく手を振るしか出来ない。バスに乗り込むギリギリの時間まで僕はそうやってプラットフォームに居続けた。
そして最後にバスのチケットを買おうと切符売り場に向かうところで、金髪の若い青年が、僕に向かって「ウェルカム。水がどこにあるか知っているかい?大丈夫かい?」と話しかけた。その目は少し涙ぐんでいた。彼は僕を「難民」として受け入れた。

他者のことをどこまで想像することが出来るのだろうか。
その感覚をどこまで持ち続けることが出来るのだろうか。

シリア内戦勃発から6年目、国内・国外難民を合わせると、実にシリアの全人口2200万人のうち88%が「難民」状態にあると言われている。20万人を超える人が海を越えトルコやギリシャ、イタリアに逃れようとし、そのうちの3000人近くの人が溺死している。それは、第2次世界大戦以降最大規模だという。
その現場で生きる人達の壮絶な状況、絶望感を、僕は想像することは出来ない。

あの列車に乗って旅立った少女は、今どこに居るのだろうか?
その一点においてだけ、唯一自分の想像力を先に広げようとすることが出来るかもしれない。
なぜなら、僕は彼女をもう出会っているから。

「故郷の引力からも、異国の遠心力からも切り離された
人間が放つ、その「響き」だった。
目の前にいる見知らぬ人々は、もはや見知らぬ誰かではない。
僕たちは誰もがこの世界を漂い続ける小さな欠片だ。」

僕は、写真集「極東ホテル」の後書きにそう記した。
今、その言葉を自分自身で読み返している。

実際に出会った一人のことを想像することしか出来ない。しかし、その想像力を少しずつ広げていこうとすることが大切な気がしている。
僕がいま、改めてこの「極東ホテル」の写真を自分自身で見返しているのも、あの秋の、少女との出会いがそうさせている。
僕に「ウェルカム」と言ってくれた彼は間違っていたのだろうか? 僕にはそうとも思えない。
 

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