鷲尾和彦

Station / Station

駅構内に貼り出された「Welcome Refugees」という手書きのメッセージ。封鎖されたプラットフォームには、パン、水、バナナ、コーヒー、子供のおもちゃを載せたカートが並べられ、ボランティアたちが彼らが目的地に辿り着けるために奔走している。2015年9月9日、ウイーン。欧州からの帰途にあった私は、空港に向かう途上のウイーン西駅で、駅に押し寄せる溢れるばかりの人の波に突如として呑み込まれた。空港にチェックインするまで、あと3時間。私はその僅かな時間をこの駅に留まった。
 
海を渡り、国境を超え、長い陸路を移動し、中央ヨーロッパを目指す人々には、シリアだけでなく、アフガニスタン、バングラディッシュなどアジアから来た人々も多くいた。
小さな子どもを連れた家族、そして仲間たち。閉鎖されたプラットフォームの上で子どもを抱きよせ談笑しているその光景は、見知らぬ遠くの土地で暮らしてきた人々だということを忘れさせた。スマートフォンで祖国に残してきた妻や子と会話する男性、その姿はさっきまで列車の中にいた私自身の姿でもある。ある青年は流暢な英語で「大学で工学の修士をとったんだ。みんなドイツを目指すから、僕はオランダを目指そうと思うんだ」と話してくれた。もしもこの場でパスポートを失ったら、私はどのようにして自分の存在を証明できるというのだろうか。さまざまな境界が交差し、溶け合い、壊れようとしていた。ドイツに向かう臨時列車がホームに滑り込んできた。人々が走り出し、乗車口に殺到する。さっきまでプラットフォームで私と一緒に遊んでいた少女も、家族とともにその列車に乗り込んでいった。どうにか座席を確保した彼女は、プラットフォームに取り残された私に向かって何度も手を振った。1枚の窓ガラスが今、私たちを分け隔てている。そして、この1枚の窓ガラスを挟んで、彼女と私は全く別の旅を続けていくのだ。
その時、一人の金色の髪の青年が私に話しかけてきた。
 
「ようこそ、ヨーロッパへ。あなたは水がどこにあるかわかりますか?」
 
母国を離れ他の国へと移動せざるを得ない「難民」は、第二次世界大戦時を超える6560万人にも及んでいる。そのうちの約半数が18歳未満の子どもたちであり、旅の途中で両親からはぐれた子どもたちは8万人近くにも及んでいる。しかしこの圧倒的な数字を知っても、私はその状況をイメージすることが出来ない。
 
私に出来ることは、こうしていま手元にある写真を繰り返し見つめ続けることだけだ。あの少女の写真を。 そして、私は彼女のことを想像する。彼女はすでに見知ぬ存在ではない。漠然とした数字でもない。たった一瞬だとしても感情を交わした記憶が、一人の実存する人として彼女の存在を何度も何度も蘇らせる。
彼女の写真を繰り返し見ながら、私は、私たちがともに失おうとしているものは何かを想像する。親しい人たちを奪い去さられ、あの空や海の輝きから引き離されて生きるとはどういうことなのかを想像する。長い旅路の果てに祖先がやっと見つけ出し、そこで子どもらを産み、祈りを込めて耕してきた土地から離れるとはどういうことなのかを想像する。そして、いつの日か、彼女が多くの子や孫を連れた最初の帰還者となる日のことを想像する。
 
私に「ようこそ」と言ってくれたあの青年は何か間違っていたのだろうか?いや、私にはそうは思えない。私たちは誰もがこの世界を漂い続ける小さな欠片なのだ。
 

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