鷲尾和彦

神の漁場

鳥羽湾から東へと並んだ大小の離島群。渥美半島・伊良子岬のすぐ鼻の先まで連なるその地形によって、伊勢湾は黒潮が運ぶ海の恵みをとらえた漁師の魚籠(びく)に見立てることが出来る。
熊野灘と遠州灘が交わる海上交通の要所として栄えた鳥羽(かっての志摩国)は、畿央の朝廷や伊勢神宮にも近く、海産物を御贄(みにえ)として貢いでいた御食国(みけつくに)のひとつであったと言われている。その海は、御贄の中でもとりわけ珍重されたアワビの収穫に適した岩礁に恵まれ、アワビを採る漁法として「海女」の素潜り漁が一帯に根付いていった。水産資源の重要な供給地として、海洋国家の交通・経済システムに組み込まれこの地は発展したが、こうした人間中心の「システム」そのものを創造した、より根源的な力がここには満ちている。
漁撈信仰の中心となった場所を巡ると、そこが同時に、太陽信仰の地でもあったことに気付く。
志摩の一宮、海上守護神を祀る伊射波(いざわ)神社。その名は「伊勢粟(いぜあわ)」に由来するという。アワは「太陽を拝む所」という意味。本殿の背後に広がる森と岬は、元日の日の出が木立の間から拝める方角に開かれている。
離島群の先端に位置する神島の八代神社で、毎年1月1日未明に執り行われる「ゲーター祭」では、グミの木の骨組みに和紙を張ってつくる巨大な白い輪(これも「アワ」と呼ばれている)を、新年の日の出とともに、島民達が長い竹竿で高く宙へと突き上げる。太陽の復活と生命の再生を願うことが起源だという。
漁撈習俗は、海は死者が棲む国であり、命の再生を叶える理想郷でもあるという他界観、「常世の国」信仰と結びついた。ここでは、海(死)と太陽(生命)とが混じり合う大きな渦がぐるぐると廻っている。そして、その渦の中心に「海女」がいる。
海女たちは、死と再生をもたらす海中深くにダイブし、新たな生命を地上へともたらす。菅島の「しろんご祭」では、禁漁区である浜で、年に1度、たった1時間だけ海女たちが海に潜り、赤と黒のつがいのアワビを採る。赤は火=太陽、黒は水=海、だろうか。妊婦がこのアワビを食べると目の奇麗な子供が生まれるという伝承がこの地には残る。
海、太陽、人間を結びつける大きな円環。そこには、食材、エネルギー、生命、精神の循環が幾重にも重なっている。そして「マレビト」というストレンジャーではなく、生身の人間が、そして女性が、この円環を動かしている。
僕はそこにこの国の成り立ちにもつながる根源的な力の存在を感じざるを得ない。
 
(写真集 『神の漁場 | The Fishery』 )

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